
所作(踊りですね)です。
半裸で踊る乞食坊主さんの様子が楽しい踊りです。気軽にご覧いただける演目です。
江戸期の「願人坊主(がんにんぼうず)」というのを題材にしています。
「願人坊主」というのは、お坊さんではなく、門付芸人の一種です。
お寺で修行して受戒して僧としての身分を持っていたわけではありません。
持ってたひともいたかもしれませんが、逆にお寺をドロップアウトしたということになりますから、まあ、あまり真面目なかたがたではありません。
半裸に近いかっこうで、Y字型の棒の先に小銭を通したものでチャカチャカ音を出しながら、「チョボクレ」と呼ばれる滑稽な唄にあわせて滑稽な踊りを見せました。
なぜ「願人坊主」という名前かというと、
当時は一般人も、信心を示すためや願掛けのために、水垢離(みずごり)や遠方の神仏へのお参りなど、多少苦痛を伴う「行」をしたものなのです。
その「行」の代行をするのが彼らの生業でした。なので「願人坊主」と呼ばれます。
上方では「すたすた坊主」と呼ばれました。素足で歩いたからだと思われます。
踊りの内容も、かなり本物の願人坊主の様子を写していると思われます。
逆に、そういう、街中のシロウトさんが面白おかしく踊っている様子を写し取りながら、
プロの歌舞伎の舞踊としての完成度を見せなくてはならないわけですから、難しい踊りだったろうと思います。
今はリアル願人坊主はもういませんから、見る側はただコミカルな振り付けを気楽に楽しめばいいと思います。
前半は、願人坊主本人の女遊びの歴史を踊ります。かなり若い頃から遊び倒している設定です。
後半部分には忠臣蔵など、いろいろなお芝居や踊りのパロディが入っています。
もとネタがわかるとさらに楽しいのですが、ここで使われている「忠臣蔵五段目」のセリフ、「おおい、おおい親父どの」は現行上演使っていないなど、
今日びの客には少々わかりにくい内容になってしまっています。
動きのおもしろさを楽しむ踊りですので、てきとうにご覧下さい。
最後のほうは、「悪」と書かれたお面をつけて踊ります。
一応説明を書くと、
この踊りが作られたのが江戸後期、文化のころなのですが、当時「心学」というのが流行りました。
仏教、神道、儒教を融合した教義で、庶民を教え導こうという、一種の啓蒙哲学です。
「善の心」と「悪の心」というものが、人間の意識の中ではなく外に独立して存在する、という考え方です。
それがまるで意識を持っているかのように人間をあやつっているのです。
なので「悪の心」が入ってこないように気をつけ、時に神仏の力を借りて心を守れば、常に善の心で行動できる、というものです。
ここでは「悪」のお面を付けて、遊女と間夫(遊女のヒモ)との逢引の様子を踊っていますので完全に悪い心の支配下です。ダメすぎです。
同じ「善玉」「悪玉」のお面は、「三社祭」という所作(しょさ、踊りね)にもこの「心学」が使われています。
こっちのほうが「善」も出るので雰囲気がわかりやすいかもしれません。
=50音索引に戻る=
半裸で踊る乞食坊主さんの様子が楽しい踊りです。気軽にご覧いただける演目です。
江戸期の「願人坊主(がんにんぼうず)」というのを題材にしています。
「願人坊主」というのは、お坊さんではなく、門付芸人の一種です。
お寺で修行して受戒して僧としての身分を持っていたわけではありません。
持ってたひともいたかもしれませんが、逆にお寺をドロップアウトしたということになりますから、まあ、あまり真面目なかたがたではありません。
半裸に近いかっこうで、Y字型の棒の先に小銭を通したものでチャカチャカ音を出しながら、「チョボクレ」と呼ばれる滑稽な唄にあわせて滑稽な踊りを見せました。
なぜ「願人坊主」という名前かというと、
当時は一般人も、信心を示すためや願掛けのために、水垢離(みずごり)や遠方の神仏へのお参りなど、多少苦痛を伴う「行」をしたものなのです。
その「行」の代行をするのが彼らの生業でした。なので「願人坊主」と呼ばれます。
上方では「すたすた坊主」と呼ばれました。素足で歩いたからだと思われます。
踊りの内容も、かなり本物の願人坊主の様子を写していると思われます。
逆に、そういう、街中のシロウトさんが面白おかしく踊っている様子を写し取りながら、
プロの歌舞伎の舞踊としての完成度を見せなくてはならないわけですから、難しい踊りだったろうと思います。
今はリアル願人坊主はもういませんから、見る側はただコミカルな振り付けを気楽に楽しめばいいと思います。
前半は、願人坊主本人の女遊びの歴史を踊ります。かなり若い頃から遊び倒している設定です。
後半部分には忠臣蔵など、いろいろなお芝居や踊りのパロディが入っています。
もとネタがわかるとさらに楽しいのですが、ここで使われている「忠臣蔵五段目」のセリフ、「おおい、おおい親父どの」は現行上演使っていないなど、
今日びの客には少々わかりにくい内容になってしまっています。
動きのおもしろさを楽しむ踊りですので、てきとうにご覧下さい。
最後のほうは、「悪」と書かれたお面をつけて踊ります。
一応説明を書くと、
この踊りが作られたのが江戸後期、文化のころなのですが、当時「心学」というのが流行りました。
仏教、神道、儒教を融合した教義で、庶民を教え導こうという、一種の啓蒙哲学です。
「善の心」と「悪の心」というものが、人間の意識の中ではなく外に独立して存在する、という考え方です。
それがまるで意識を持っているかのように人間をあやつっているのです。
なので「悪の心」が入ってこないように気をつけ、時に神仏の力を借りて心を守れば、常に善の心で行動できる、というものです。
ここでは「悪」のお面を付けて、遊女と間夫(遊女のヒモ)との逢引の様子を踊っていますので完全に悪い心の支配下です。ダメすぎです。
同じ「善玉」「悪玉」のお面は、「三社祭」という所作(しょさ、踊りね)にもこの「心学」が使われています。
こっちのほうが「善」も出るので雰囲気がわかりやすいかもしれません。
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