全体についての説明と、登場人物名史実との対応一覧は、
「序段」ページにありますよ。
討ち入り
さあ討ち入るぞ、えいえいやあ。
ていうか
通し上演でも、ここは「出さない」のが本来のカタチなのです。十段目まで出して「さあ討ち入るぞ」でお芝居は終わりなのです。
歌舞伎(浄瑠璃も)の「敵討ちもの」全般において、見せ場は敵討ちの場面ではなく、そこまでの紆余曲折が見せ場なのです。
戦後、映画やテレビで忠臣蔵が作られ、それらの見せ場は当然派手なチャンチャンバラバラの討ち入りシーンです。
それはまあ、わかるのですが、
歌舞伎でやることねえだろと思います。
まあお客さんが見たがるんでしょうけどね。「え、討ち入りないの?」とか言われそうです。
こう、討ち入りは出さない奥ゆかしさこそが歌舞伎の本質なんだと思うんですが。色気ねえなあ。
というわけで討ち入り。
とくに解説もナシです。見たままです。そのままお楽しみください。
浄瑠璃的にも「いろは尽くし」や鎌倉の地名尽くしがあるくらいで大した名文句じゃありません。
「いろは尽くし」は、つまり浄瑠璃の文句のなかに「いろは」が取り込まれているのですが、
これは史実のほうの四十七士の名前がちょうど「いろは」四十七文字と対応しているという偶然から使われた趣向です。
この段を出すとしたら、むしろ討ち入りが終わってから、判官の位牌を出して順番にお焼香をするところがあり、
六段目で死んだ早野勘平の財布を出して、身分の低い寺岡平右衛門が勘平の義兄なので、勘平の名代として自分より先に焼香させたりとか、
そのへんがいい場面なのですが、
現行上演思いっきりカットです。みんな寝るから。
いっそ討ち入りやめて焼香出してみればよかろうにとも思います。
浄瑠璃にはありませんが、今は「花水橋(暗に両国橋を指す)引き上げ」の場も付きます。
ここは、シルエットのきれいな太鼓橋をバックにそろいの討ち入り衣装のお侍さんが勢揃いするという、それだけの場面です。
ここの義太夫の文句は後で作ったもので、原作の浄瑠璃にはありませんよ。
ここで、文楽だと桃井若狭介(もものい わかさのすけ)がやってきます。
「吉良の一派が仕返しに攻めて来るぞ、後は引き受けたからみんなは塩治殿のお墓に急げ」と言うという、オイシイ役です。
この部分は、原作では桃井さんが吉良のお屋敷に助太刀に来る設定です。
なのでこの部分で元の浄瑠璃の文句に戻って、そのままシメのセリフまで語って、おしまいです。
歌舞伎だと、もうすでに堂々と「両国橋」と言っています。時代設定は鎌倉で、ここも鎌倉じゃなかったのかよ。
で、出てくるのは足利家の服部逸郎さんです。やっぱり鎌倉なのか!!
というわけで最後の浄瑠璃以外は、討ち入り場面は殆ど原型ありません。
まあ「今日のお江戸は日本晴れ」というかんじで(浪曲)、
めだたしめでたしです。
以下余談です。
「戦後歌舞伎の救世主」として有名な GHQの通訳、バワーズ氏の話です。
歌舞伎通としても知られていますが、いや、「通」じゃねえぞあのヒト。
「後見(黒子ですね)、あんな真っ黒な恰好で舞台に出るのは欧米では悪魔の役だけだから、あんなもの舞台で使うのはやめなさい」
と先代吉右衛門に言ったのは実話です。ざけんな。何にもわかっていないと思います。
で、戦後、「忠臣蔵」をアメリカで上演したことがあるのですが、
その際、「刃傷」と「切腹」と「討ち入り」が見たいと言ったそうです。
つまりハシゴで塀を越えたりチャンバラしたりや、あとハラキリショーなんかが、彼の好きな「歌舞伎」だったわけです。
せめて「祇園一力茶屋がみたい」と言うセンスがほしい。
ただ、彼のすばらしい点は、彼の好みはそういう残念さであってもそれを押し通さず、
「歌舞伎を知っている」日本人に意見を聞いて、それを尊重した点だと思います。
だからバワーズ氏は、歌舞伎については女形(歌右衛門)のキレイさに魅せられたふつうのミーハーなヲタガイジンだったと思いますが、
歌舞伎をぶっこわすことはなかったのだと思います。
実際アメリカに行ったのは「大序」「刃傷」「判官切腹」でした。
アメリカ人が面白がったかは知りませんが、歌舞伎がどういうもんかは正確に伝わったろうと思います。
=全段もくじ=
=50音索引に戻る=
「序段」ページにありますよ。
討ち入り
さあ討ち入るぞ、えいえいやあ。
ていうか
通し上演でも、ここは「出さない」のが本来のカタチなのです。十段目まで出して「さあ討ち入るぞ」でお芝居は終わりなのです。
歌舞伎(浄瑠璃も)の「敵討ちもの」全般において、見せ場は敵討ちの場面ではなく、そこまでの紆余曲折が見せ場なのです。
戦後、映画やテレビで忠臣蔵が作られ、それらの見せ場は当然派手なチャンチャンバラバラの討ち入りシーンです。
それはまあ、わかるのですが、
歌舞伎でやることねえだろと思います。
まあお客さんが見たがるんでしょうけどね。「え、討ち入りないの?」とか言われそうです。
こう、討ち入りは出さない奥ゆかしさこそが歌舞伎の本質なんだと思うんですが。色気ねえなあ。
というわけで討ち入り。
とくに解説もナシです。見たままです。そのままお楽しみください。
浄瑠璃的にも「いろは尽くし」や鎌倉の地名尽くしがあるくらいで大した名文句じゃありません。
「いろは尽くし」は、つまり浄瑠璃の文句のなかに「いろは」が取り込まれているのですが、
これは史実のほうの四十七士の名前がちょうど「いろは」四十七文字と対応しているという偶然から使われた趣向です。
この段を出すとしたら、むしろ討ち入りが終わってから、判官の位牌を出して順番にお焼香をするところがあり、
六段目で死んだ早野勘平の財布を出して、身分の低い寺岡平右衛門が勘平の義兄なので、勘平の名代として自分より先に焼香させたりとか、
そのへんがいい場面なのですが、
現行上演思いっきりカットです。みんな寝るから。
いっそ討ち入りやめて焼香出してみればよかろうにとも思います。
浄瑠璃にはありませんが、今は「花水橋(暗に両国橋を指す)引き上げ」の場も付きます。
ここは、シルエットのきれいな太鼓橋をバックにそろいの討ち入り衣装のお侍さんが勢揃いするという、それだけの場面です。
ここの義太夫の文句は後で作ったもので、原作の浄瑠璃にはありませんよ。
ここで、文楽だと桃井若狭介(もものい わかさのすけ)がやってきます。
「吉良の一派が仕返しに攻めて来るぞ、後は引き受けたからみんなは塩治殿のお墓に急げ」と言うという、オイシイ役です。
この部分は、原作では桃井さんが吉良のお屋敷に助太刀に来る設定です。
なのでこの部分で元の浄瑠璃の文句に戻って、そのままシメのセリフまで語って、おしまいです。
歌舞伎だと、もうすでに堂々と「両国橋」と言っています。時代設定は鎌倉で、ここも鎌倉じゃなかったのかよ。
で、出てくるのは足利家の服部逸郎さんです。やっぱり鎌倉なのか!!
というわけで最後の浄瑠璃以外は、討ち入り場面は殆ど原型ありません。
まあ「今日のお江戸は日本晴れ」というかんじで(浪曲)、
めだたしめでたしです。
以下余談です。
「戦後歌舞伎の救世主」として有名な GHQの通訳、バワーズ氏の話です。
歌舞伎通としても知られていますが、いや、「通」じゃねえぞあのヒト。
「後見(黒子ですね)、あんな真っ黒な恰好で舞台に出るのは欧米では悪魔の役だけだから、あんなもの舞台で使うのはやめなさい」
と先代吉右衛門に言ったのは実話です。ざけんな。何にもわかっていないと思います。
で、戦後、「忠臣蔵」をアメリカで上演したことがあるのですが、
その際、「刃傷」と「切腹」と「討ち入り」が見たいと言ったそうです。
つまりハシゴで塀を越えたりチャンバラしたりや、あとハラキリショーなんかが、彼の好きな「歌舞伎」だったわけです。
せめて「祇園一力茶屋がみたい」と言うセンスがほしい。
ただ、彼のすばらしい点は、彼の好みはそういう残念さであってもそれを押し通さず、
「歌舞伎を知っている」日本人に意見を聞いて、それを尊重した点だと思います。
だからバワーズ氏は、歌舞伎については女形(歌右衛門)のキレイさに魅せられたふつうのミーハーなヲタガイジンだったと思いますが、
歌舞伎をぶっこわすことはなかったのだと思います。
実際アメリカに行ったのは「大序」「刃傷」「判官切腹」でした。
アメリカ人が面白がったかは知りませんが、歌舞伎がどういうもんかは正確に伝わったろうと思います。
=全段もくじ=
=50音索引に戻る=
ためになったっす♪
国立劇場50周年の記念通し上演に備えて何度も読みました。
お陰さまで今月の四段目まで、とても楽しめました。ありがとうございました。
他の演目も観に行く前に必ずチェックしてます。読みやすいし、エッジが効いてて面白い。
今後もぜひ記事UPお願いします!
しかし、先月の歌舞伎座で「花競忠臣顔見勢」を拝見して、これは何?と戸惑ってしまいました!
そこで、こちらの解説を全段一気に読ませていただき、全ての疑問が解決され納得し、とても楽しませて頂きました。
今後は「忠臣蔵」を観る上でどんなにか理解が深まりより楽しめる事と期待しております。
いつもこちらの解説に大変助けられています。これからも歌舞伎を楽しむ為に、末永くお世話になります。