歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

「三番叟」  さんばそう 

2013年09月06日 | 歌舞伎
「さんばそう」 と読みます。 所作(しょさ、踊りですね)です。
モトは能の「式三番」 (しきさんばん、「翁」ともいう)という演目から派生した踊りです。


「式三番」というのは、「五番だて」、つまり、フルオプションで能をやるときに、
いちばんはじめにやる演目です。

能の「式三番(翁)」は、3人の人物が出て舞います。

千歳(せんざい:若い人)
翁(おきな:老人)
三番叟(さんばそう)

の3人です。
能では「翁」の舞がメインになり、
「三番叟」は最後に出てきて黒色尉(こくしきじょう)とも呼ばれる黒い、少し奇怪な面を付けて舞います。


歌舞伎では、この「三番叟」が踊りのメインとなります。
「千歳」と「翁」は序盤に少し踊り、鶴と亀に例えて千秋万歳を祝います。
そしてすっと引っ込む段取りになっています。

そのあと三番叟が出てきて、五穀豊穣を祈っておめでたく舞います。

というかんじで、
能の伝統を受け継いでいることもあり、この歌舞伎の「三番叟」も、とても儀式的な性格をもちます。
歌舞伎でこれをやるのは、いろいろおめでたい節目のときです。顔見世興行とか、だれかの襲名披露とかです。
初春興行でも出します。

戦前までは「三番叟」の儀式性は今以上に強く、
開演前、かなり早朝から、演者や座頭(ざがしら)、鳴り物のヒトまでが劇場に集まり、
そろっていろいろ複雑な神事っぽいお作法をしてたらしいですが、詳しいことは割愛します。
今はそこまでではないようです。
でも、この「三番叟」が「祀り」や「コトホギ」の意味合いを強く持っているということは、今も変わらないと思っていいでしょう。

で、そこはそれ、歌舞伎のことですから、いつも同じことやってたんじゃつまんない 、というわけで、
いろいろバリエーションができました。
イラストに載せた(切り絵ですが)のは
「舌出三番叟」(しただし さんばそう)という演目です。
振りの中にペロリと舌を出す動作があるのです。
ほかに「操三番叟」 (あやつり さんばそう)、これはあやつり人形のような動きで「三番叟」の振りをするもの。
変わったところでは「廓三番叟」(くるわ さんばそう)というのがあります。
これは舞台面も遊郭のお座敷です。そこで花魁(おいらん)が余興で「三番叟」を踊る、という設定です。
もうこのへんいくと能の「式三番」の原型はほとんどないのですが、
おめでたきゃいいんだってノリで押し切るのが歌舞伎です。

歌舞伎の「三番叟」は、もちろん衣装も演出も、能の「式三番」とはずいぶん違ってきています。
とはいえ、一緒に出る「翁」や「千歳」の衣装もふくめて、やはりなんとも言えず古式ゆかしい印象です。
「翁」なんて烏帽子に狩衣、扇持ってゆるゆると歩くように舞って、すっと引っ込むむだけですが、
雰囲気のある役者さんが演ると、本当にかの時代の貴族を見てるようです。
「お芝居」では逆に表現できないような、「所作(踊りね)」ならではの不思議な存在感です。

さて、能のルーツというのが宮廷舞芸が大衆化した「散楽(猿楽)」であることはまちがいがないと思うのですが、
この、能からさらに派生したはずの「三番叟」を見てワタクシ思うのが、
この踊りの根っこは能よりもっともっと古い、そして別なところにあるのではないかということです。
能が今の形式になるのは鎌倉以降ですが、そのもっと前から、「田楽」という芸能ジャンルがありました。
田楽。
農作業(とくに田植え)のお囃子から発達した芸能です。
我々の祖先の精神性に、能よりもはるかに深くかかわっているジャンルだと思います。

例えば、「宇治拾遺物語」 に、田植えのときに華やかな衣装の「お囃子」の芸人たちがやってきて歌い踊るというような記述あります。

そのときの踊る少年の衣装が、きんきらきんのカブトに鳥の羽のモヨウの服。
イラストの衣装に似てませんか?
というように、田植えや収穫のおまつりのときに、作業の景気付けに歌ったり踊ったりした田楽や散楽の芸人たちですが、
それはまた豊作を祈る呪術的な意味あいもありました。
上の「宇治拾遺」の出てくる踊る少年も「呪んじ童」と呼ばれています。
「のろい」と、祝詞(のりと)の「のり」、そして「いのり」は、全てもともと同じ意味です。人外の力のあるものに、強く願うことです。

この「三番叟」の歌詞も五穀豊穣や子孫繁栄を祈るものです。

農村部の嫁入り(これも子孫繁栄を意味するおめでたい内容)の風景がえがかれてたりして、ほのぼの。

そう考えて「三番叟」を見ていると、踊りのうしろに、ふと、千年以上前の我々の営み、農作業への思い、
そんなのがかいまみえると思うんです。
豊作を祈り、作物や土を愛で、静かに、一生懸命働いて、謙虚に祈って、暮らしてきた我々の祖先の、気持ちの深さ、豊かさ、
華やかに踊ってる舞台や鳴り物がじつは一枚の布で、
そのうしろに、積み重なったそんな時間の重みみたいなものが一瞬、透けて見えるような、
見たこともない、田植えのときの田楽のお囃子が聞こえるような 、そんな感じがちょっとするのです。

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1 コメント

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こころとかたち (ユキト)
2011-01-24 17:18:41
やはり、形は心の上に生まれるモノですね。
楽しいだけでなく、とても勉強になります。
有難う御座います。
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