「けいせい倭荘子(けいせい やまとぞうし)」という古い作品があり、
その中に入っていた所作(しょさ、踊りね)なのですが、
お芝居じたいがまず出ません。
お芝居の一部なので「長唄」ではなく、「浄瑠璃」の語りに乗って踊ります。
正確に言うと、所作台を敷いて、長唄で踊るものを「所作」と呼びます。
こういう、もともとお芝居の一部であったものは「所作」とは言わないらしいのですが、
最近ではざっくりひっくくって、「踊り」のことを「所作」と呼ぶことが多いです。
お芝居の一部のこういう踊りは「道行(みちゆき)」と呼ばれました。
男女が、主に心中、場合によっては逃避行などのためにふたりで道を歩いていく様子を踊りで表現したものです。
昔のお芝居にはかならず「道行」が見せ場として入っています。変則的に男女でないこともあります。
この踊りのばあい、主人公のふたり、祐国(すけくに、または助国)と小槙(こまき)は
もう死んでいるというのが特徴です。
前半はふつうに「道行」風で踊りますが、これもじつは死後の旅です。
途中から背景が変わって地獄の場面になり、
衣装もぶっかえって乱れたかんじになり、地獄の責め苦の様子を踊ります。
お芝居は古いのですが、今出ているのは昭和に入ってからの復刻番です。
なので、踊りの演出も、どことなく近代風です。
一応お芝居のだいたいのストーリーを書くと、
北畠家と桃井(もものい)家の両家は、悪臣の陰謀で仲たがい。さらに当主が死んで両家とも断絶になります。
それぞれの跡取りになる弥生姫(やよいひめ)と靱負之助(ゆきえのすけ)も命を狙われるのですが、
もと家来の越野勘左衛門(こしの かんざえもん)の働きで、
勘左衛門の妹の小槙ちゃんと、その恋人の助国が身がわりになったので、ふたりは助かります。
この身がわりになって死んだふたりの、死後の踊りが、この作品です。
助国の父親は悪人だったのですが、弟の死で心を入れ替えます。
いろいろあって、悪人の親玉がつかまって、めでたしめでたしです。
というようにお芝居の本来の主人公はふたりではないのですが、
悲恋の末に死んだふたりの道行だけが所作として残って、たまに上演されています。
=50音索引に戻る=
その中に入っていた所作(しょさ、踊りね)なのですが、
お芝居じたいがまず出ません。
お芝居の一部なので「長唄」ではなく、「浄瑠璃」の語りに乗って踊ります。
正確に言うと、所作台を敷いて、長唄で踊るものを「所作」と呼びます。
こういう、もともとお芝居の一部であったものは「所作」とは言わないらしいのですが、
最近ではざっくりひっくくって、「踊り」のことを「所作」と呼ぶことが多いです。
お芝居の一部のこういう踊りは「道行(みちゆき)」と呼ばれました。
男女が、主に心中、場合によっては逃避行などのためにふたりで道を歩いていく様子を踊りで表現したものです。
昔のお芝居にはかならず「道行」が見せ場として入っています。変則的に男女でないこともあります。
この踊りのばあい、主人公のふたり、祐国(すけくに、または助国)と小槙(こまき)は
もう死んでいるというのが特徴です。
前半はふつうに「道行」風で踊りますが、これもじつは死後の旅です。
途中から背景が変わって地獄の場面になり、
衣装もぶっかえって乱れたかんじになり、地獄の責め苦の様子を踊ります。
お芝居は古いのですが、今出ているのは昭和に入ってからの復刻番です。
なので、踊りの演出も、どことなく近代風です。
一応お芝居のだいたいのストーリーを書くと、
北畠家と桃井(もものい)家の両家は、悪臣の陰謀で仲たがい。さらに当主が死んで両家とも断絶になります。
それぞれの跡取りになる弥生姫(やよいひめ)と靱負之助(ゆきえのすけ)も命を狙われるのですが、
もと家来の越野勘左衛門(こしの かんざえもん)の働きで、
勘左衛門の妹の小槙ちゃんと、その恋人の助国が身がわりになったので、ふたりは助かります。
この身がわりになって死んだふたりの、死後の踊りが、この作品です。
助国の父親は悪人だったのですが、弟の死で心を入れ替えます。
いろいろあって、悪人の親玉がつかまって、めでたしめでたしです。
というようにお芝居の本来の主人公はふたりではないのですが、
悲恋の末に死んだふたりの道行だけが所作として残って、たまに上演されています。
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