歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

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「新口村」にのくちむら

2010年06月04日 | 歌舞伎
「恋飛脚大和往来」こいびきゃく やまとのおうらい の後半部分です。

こちらは前半部分の「封印切り」と違って殆ど近松の原作通りの展開、名セリフもほぼそのまま聞けます。
息子を思う父親孫右衛門の痛々しいまでの心情が伝わってきます。後半ちょっと原作とは変わっていますが、全体のテーマに影響はありません。
あと舞台を雪景色にしたのは歌舞伎のデザインです。キレイでいいです。

公金横領の大罪を犯した主人公の忠兵衛と共犯の梅川(うめがわ)、捕まったら首が飛びます。
横領したのは三百両ですが、梅川の身請けや茶屋のツケや祝儀なんかであらかた消え、さらに表を歩けないので相合駕籠、大きめの駕籠にふたり一緒に乗って行くのですが、当然割高です、それで移動、ふつうの旅籠は泊まれないので茶屋泊まり、あれやこれやでどんどんお金はなくなってもう路銀もありません。
逃げ切れないと覚悟したふたり、最後の別れを告げようと忠兵衛の実の父親のいる大和の新口村(にのくちむら)にやってきます。

もうすでにあちこちに、行商人や門付けに化けた役人らしいアヤシイ人影、ちょっと実家に行くのはムリそう。
なので、近くにある小作の忠三郎さんに頼もうとします。
おうちには奥さん、最近お嫁に来たので(といっても若くはない)忠兵衛を知らず、忠兵衛と梅川のウワサをします「困った傾城さまだ、大迷惑だ」。ふたりヒヤヒヤ。
でも頼まれて忠三郎さんを呼びに行ってくれます。

二人で外を窺っていると、お寺のお参り(「道場」と浄瑠璃で言うのが「お寺」のこと)の帰りの、お父さんの孫右衛門さんがとおりかかります。
お友達と何人かで歩いていて、忠兵衛がなつかしそうにあれは誰、あれは誰、と梅川に説明するくだりがあるのですが、今カットかも、
表だっては会えないので家の中からお父さんを拝むふたり、と、孫右衛門さんの雪駄の鼻緒が切れて雪の中に転びます。息子の事で心労で、ちょっとおぼつかないかんじの孫右衛門さん、
見かねた梅川が駆け寄って、懐紙で鼻緒をすげてあげます。って「すげて」って言葉通じるの? 懐紙でコヨリを付くって鼻緒を雪駄をつないでなおしてあげるのです。
はじめは親切なおねえさんにお礼を言っていた孫右衛門ですが、だんだんに事情を察します。そばの家の中に忠兵衛がいることも察します。
忠兵衛の犯罪のせいで、養子先の亀屋も罰を受けます。でも実の親である孫右衛門さんは、養子に出すとき「縁切り」をしているので連座責任はありません。
でも、お父さんは、
縁を切った息子が出世してりっぱになって、回りに「縁を切って失敗したな」と同情されても、それはどれほど嬉しいだろう、
息子が不始末をしでかして、回りに「縁を切っておいてよかったな」と褒められても、こんな悲しいことはない、
と言って泣きます。近松らしい名台詞ですよ。
たまりかねた梅川は、孫右衛門に目隠しをして(本当に顔を見てしまったら自分をごまかせなくなって役人に渡さなくてはならないので)、忠兵衛と会わせます。ここが山場です。

孫右衛門さんはお金をいくらか渡して、ふたりを逃がそうとします。
現行上演、このまま逃げるふたりを孫右衛門さんが見送るところで幕になる演出が多いです。

近松の原作だとふたりは逃げるけど捕まって引かれてきます。泣き悲しむ父親を見ていられない忠兵衛が、役人にたのんで目隠しをしてもらって、幕です。
現行上演の目隠しをしての親子の対面の演出は、この部分のアレンジですよ。

あと最近は忠兵衛と孫右衛門と2役替わる事が多いです。どちらもいい役者さんが必要なのに、出番がイマイチ少ないからですが、どうしても演出的に早変わりをしたりダミーの役者さんと吹き替えを使ったりしなくてはならず、見る側はちょっとめんどくさいです。
ひいきの役者さんがたくさん見られればいい、という向きにはいい演出かもしれません。

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