全部出すと十四段ある長いお芝居です。
もとは文楽の作品です。
歌舞伎では十段目の「尼崎閑居(あまがさき かんきょ)の場」しか出ません。
「太功記の十段目」を略して「太十(たいじゅう)」 という略称で親しまれています。
とはいえ、全体の流れをざくっと書いたほうがわかりやすいと思うので、先に書きます。
この段だけ見ると武智光秀(明智光秀)が主人公のように見えますが、
全体としては真柴久吉(羽柴秀吉)を中心とした戦国オムニバスストーリーというかんじです。
・いつもの調子で春長(信長)が、光秀をいじめます。
・久吉(秀吉)が高松城を攻めるために西国(さいごく)に出発。
・光秀がいつものかんじで春長(信長)を殺します。
・光秀の母親の皐月(さつき)は怒って尼崎の別荘に家出します。
・水攻めにあった高松城内での物語。いろいろな裏交渉もあって、高松勢は投降、和睦が成立します。
・久吉は春長(信長)の仇を討つために都に向かいます。
・春長(信長)と対立していた鱸(鈴木)重成。春長の死を知った重成の息子の孫市が壮絶な自害を遂げて
自分の首と引換えに久吉と和睦します。
そしてこの段の前のところで、
・都に向かう久吉のところに久吉の古い知り合いのお百姓と僧があらわれ、武智を討つ手引きをすると言い出します。
これがワナで、この僧は光秀の家臣の四王天田島(しおうてん たじま=四方田但馬)でした。見破る久吉。
しかし但馬と隠れていた光秀の軍勢に切りたてられて、久吉軍は体勢を崩します。
久吉は旅の巡礼僧に変装してその場を逃れます。
このあとが十段目で、
・光秀の母親、皐月(さつき)が暮らしている尼崎の別荘に旅の僧がやってきます。
これが前の段から逃げている久吉です。
母に会いに来た光秀が久吉に気付き、殺そうとするのですが、母の皐月が身代わりになって死にます。
皐月は光秀を諫めますが光秀の決意は固く、久吉と戦場で戦う約束をして別れます。
・ここに息子の十次郎といいなづけの初菊の恋模様がからみます。
・さらにこのあとに、光秀の死後、まだ幼児である光秀の子供、音寿丸(おんじゅまる)を守るために、
家来の松田政道(まつだ まさみち)とその父親や嫁が身代わり首とか出していろいろ苦心する部分があります。
政道の父親の利休(としやす)は最期に出家して「利休」と名を変えます。「千利休」です。
・光秀は小栗栖村で壮絶な最期をとげ、秀吉がその首を討ちます。
という内容です
さて十段目を詳しく書きます。
光秀の母親、皐月(さつき)が暮らしている尼崎の別荘です。
なのでこの幕は
「尼崎閑居(あまがさき かんきょ)の場」
とも呼ばれます。「閑居」というのは別荘とか隠居所とかいう意味です。
息子の光秀が、当時の倫理感ではありえない大罪、主君殺しをしでかしたので、皐月は深く絶望し、
このままここで隠居して仏様に仕えてすごすつもりでいます。
ていねいに出すと冒頭に「夕顔棚(ゆうがおだな)」という場面があります。
昨今の上演構成ではおそらくもう出ないと思うのですが、
国立劇場あたりが出すかもしれないのと、秋川市の子供歌舞伎さんがレパートリーになさっていた記憶があるので書いときます。
夕顔というのは、ヘチマのことです。庭に今の藤棚のような形状の「夕顔棚」を作って夕涼みするのが、
庶民の夏の楽しみだったのです。
楽しみは 夕顔棚の 下涼み 男はててら 女は二布(ふたの)して
という古い歌があります。
「ててら」は未詳らしいですが「二布」と共に下着の意味に取っておきます。
ふんどしや腰巻きでくつろぐ、あまり身分の高くない男女の幸せそうな様子が浮かんでくる歌です。
そういうのんびりした雰囲気の副題と実際の内容の重さとの対比は、計算されたものだと思います。
皐月さんが近在のお百姓さんたちに仏事の振る舞いをして、ゆったりと会話をする場面から始まります。
ここでの会話がここまでのストーリーの説明シーンにもなっています。
近所の人が帰ったところに光秀の妻の操(みさお)さんと、息子の十次郎くんのいいなずけの初菊(はつぎく)ちゃんがやってきます。
皐月さんを心配してお見舞いに来たふたりに対して
「武士の妻なら隠居した自分はどうでもいいから夫のそばにいろ」とか冷たく追い返す皐月さんですが、
操さんはダテに長く嫁をやっておらず、口では「仰せの通りでございます」とか言いながら
勝手に上がり込んでお茶とか沸かしはじめます。
おずおずと手伝う初菊ちゃん。
初菊ちゃんのいいなずけ、皐月さんの孫の十次郎くんの話題になります。
十次郎くんは初陣の年齢なのもあり、そろそろ手柄を立てたいので今回の戦に出たがっているのです。
まったく光秀みたいな罪深い男にあんなりっぱな息子がいて、もったいないことだと皐月さんが泣くシーンがあり、
ここに、旅の僧が一夜の宿を貸してくれと言ってやってきます。
これがつまり、久吉(秀吉)なのですが、なぜ都合よく旅の僧の姿かというと、上のほうで説明したような理由です。
文楽の原作だとないのですが、歌舞伎だと皐月さんが旅の僧に都周辺での戦の様子、どっちが勝っているかと聞いたり、
餅をふるまったりするシーンがあります。
逆に文楽ですと、ここで門口から光秀が覗き込みます。
旅の僧が久吉だと気付く光秀ですが、直後に母親の皐月さんと目が合ったので、とりあえず隠れます。
光秀の様子に気付いた皐月さんが、ちょっと考えたあと急に旅の僧に風呂をすすめるのです。
これがあると、皐月さんの行動が最初からすべてを計算した上で覚悟の上だったというのがよく伝わるのですが、
どっちみち全部カットなのでまあ、気にしなくていいです。
自分が炊きつけましょうと言って気軽に家の一角にある風呂場に向かう旅の僧(久吉)です。
さて、旅の僧(久吉)と光秀の話は一度横に置いておいて、
ここに、光秀の息子の十次郎くんがやってきます。数えで18歳、今だと17歳の初々しい若武者です。
大きな箱を家来が担ぎ込みますが、これは「鎧櫃(よろいびつ)」です。あとで着ます。
ところで十次郎のフルネームは「武智十次郎光慶(たけち じゅうじろう みつよし)」ですので、(文楽だと重次郎)
初菊ちゃんは「光慶さま」と呼んでいます。
父親に出陣したいと願い出たのですが、年長者である皐月さんの許しがないとダメ、と言われて
尼崎までやってきたのです。
嫁や孫嫁には口では厳しいことを言う皐月さんですが、孫息子には優しいです。
出陣は許すが、条件がある。
いいなずけのこの初菊さんと祝言を上げて正式に結婚して行きなさい。と言います。
喜ぶ初菊ちゃん。
三三九度をやることになり、女性たちは準備のために引っ込みます。
現行上演だとここまで全部カットだと思います。
ここまでが出ないと、かなり展開としてはわかりにくくなると思うのですが、
出しても台詞聞き取れないとけっきょくわからないので切っちゃうのだろうと思います。
本来なら部屋に一人残った十次郎くんの独白になるのですが、
いまは十次郎くんが部屋に入ってきて独り言を言うかんじで始まります。
浄瑠璃の文句が
♪残る蕾の花ひとつ 水上げかねし風情にて
と、部屋にひとり残された美青年が首をうなだれて悩む様子を完璧に表現した名文なだけに、
文句通りの動きじゃないのはもったいないところではあります。
「見事手柄を立てたいので出陣したい」と威勢のいい事を言った十次郎くんなのですが、
戦況は最悪です。
しかし子として父親と共に闘って死のうと十次郎は決意しています。
そうとも知らず、自分が手柄を立てて戻って来るのだと信じて喜んでいる初菊ちゃんがかわいそうです。
このまま祝言を上げすに今出発してしまおうか考える十次郎くん。
その独り言を初菊ちゃんが聞いていて、部屋に飛び込んできます。まって討ち死に必至だなんて聞いてない!!
泣いて出陣をとめる初菊ちゃんですが、そなたも武士の娘だろう。しっかりしろと言い聞かせる十次郎くん。
初菊ちゃんは十次郎くんに言われて泣く泣く鎧を付けるのを手伝います。
ここで重い鎧櫃を一生懸命引っ張るところが娘らしくてかわいいので有名です。
いちおう舞台上で鎧を付ける型もあるはずですが、今は裏で着てまた出てきます。
祝言の場面になります。鎧を着た凛々しい十次郎くんを見てまた悲しむ初菊ちゃん。
「こんな殿御を持ちながら」このまま死なせてしまうなんて。
せめて今夜だけは生きて帰って来てほしいという願いは非常に切実ですが、
振りきって十次郎くんは退場します。
じつは皐月さんも、十次郎くんは討ち死にの覚悟であったことを知っていました。
別れの盃のつもりで三三九度の祝言をさせたのでした。
3人で泣く場面があって、
事情を知らないさきほどの旅の僧(久吉)が「お湯がわいた」と部屋に入ってきます。
あわてて取り繕い、「お先に湯にどうぞ」と勧める皐月さん。
お互い譲りあう場面があり、旅の僧が一番湯に入ることになって退場します。
ほかの3人も退場します。
無人の舞台です。すっかり夜です。風呂に明かりがついています。
舞台の袖に再び光秀が登場します。歌舞伎だとここで初めて登場です。
久吉を殺すつもりです。
明智光秀というと、頭脳派のどちらかというと線の細いイメージのキャラクターですが、
このお芝居では骨太の荒々しい役柄です。
蓑(みの)を付けて傘をかぶって出てくるのもワイルドなかんじで怖いです。
竹やぶの竹を切って槍(やり)をこしらえて、ここで浄瑠璃に合わせていろいろ準備をします。
緊張感を楽しむところです。
離れた場所から風呂場にいる久吉を突きますが、叫び声は女性のものです。
血まみれで出てきたのは母親の皐月さんです。
驚く光秀、飛び出してくる操さんと初菊ちゃん。
苦しい息の下で皐月さんは必死で光秀をいさめます。
大体の内容書くと
主を殺すなんていう罪を犯すから報いが来て親を殺すようなはめになるのだ。
おかげで系図正しい我が家も恥辱にまみれた。
親である自分も主殺しの一族ということでこういう報いをうけるのだ。
しかも武士にあるまじき行いをしたから、見ろ、刀ではなく竹槍などという獣を殺すような武器で殺される。
ああ情けない。
今からでも心を入れ替えてくれと諭しますが、光秀は聞きません。
光秀は、
そもそも神社仏閣を焼いた春長(信長)は惡人だった。殺すのは当然だ。
主君と言っても親代々ではないからそこまでの責任はない。
執政者が惡人な場合、これを葬り去るのは我が国でも中国でも実例がある。天意は自分にある。
と言うのです。
ここで十次郎くんが戻ってきます。
ドンジャン鐘の音がしますが、歌舞伎だとこれが遠くで戦をしている合図です。
血まみれで体に矢が何本も刺さった痛々しい姿です。
ここで十次郎くんと浄瑠璃での「かけあい」で戦の様子をものがたります。
がんばって戦ったのですが、久吉の計略ではさみ打ちにあって全滅した。
ここにいては父親が危ないと思って必死で敵陣を切り抜けて知らせにきた。早く逃げてください。
と言います。
祖母も手負いで死にそうだと知ってひと目会いたいと望みますが、もう目が見えません。
武家の家に生まれて18歳まで武芸の練習ばかりで何の楽しみもなく、
それでも手柄を立てて父上やばば様に褒められたいと笑う、けなげな青年を殺してしまう悲しさよ。
嘆く母親の操さんと初菊ちゃん。
初菊ちゃんと手を取り合って、十次郎は絶え入ります。
十次郎くんは今の演出ですとどちらかというと線の細い美青年の印象になっていますが、
台詞や浄瑠璃を聞くと、なかなか骨太の勇ましい青年です。
歌舞伎では出ませんがこの場面の直前に、久吉の家来の兵隊たちを蹴散らす場面があったりしますので、
ああ見えてケンカ強いのです。
ふつうの戦ならば確実に大手柄をたてたであろうような有能な若武者なのです。もったいないです。
というのをちょっと意識してご覧にあると、悲劇性がより強く伝わると思います。
十次郎のけなげな死に、光秀も耐え切れずに涙をこぼしますが、
ここでまた戦の鐘の音がします。
我に返った光秀。
ここで舞台がぐるっと回って裏庭になります。
この家は高台にありますので、光秀は庭の松の木に登って戦の様子を確認します。浜の方からこちらに来る秀吉の旗印。
迎撃してくれる!! と飛び降りる光秀に、久吉の家来の加藤正清(清正)が斬りかかります。
立ち回りながら、もとの庭先に戻ってきて、家の中から久吉が登場します。
りっぱな陣羽織に着替えてすっかり大将然としています。
2対1ですからその気になればこの場で光秀を仕留められますが、久吉は手を出しません。
ここで相手を討つことは、「義はあるが勇はない」状態だからです。
あらためて合戦の場で決着をつけよう、とお互いに言います。
光秀は一度京に帰り、母への追善のために都の市民の地子(じし、土地に課した税金)を許す。と言います。
これは史実です。
あとは、浄瑠璃で光秀の最期を予感させる語りが入ったりして、
「引っ張りの見栄」で幕です。
おわりです。
・タイトル「絵本太功記」について
もちろんもとネタは「太閤記」です。当時は「真柴久吉」や「織田信長」や「徳川家康」は実名でお芝居にしてはいけなかったので、
「太閤記」もそのままタイトルに使ってはいけないということで、
ちょっと変えて「大功記」となっています。
登場人物の武将たちの名前も、すぐわかる程度にちょっとだけ変えてあります。
チナミに「武田信玄」や「上杉謙信」はオッケーです。家康と直接絡んでいない人は大丈夫なようです。
さて、もともとの「太閤記」は講釈(今で言う講談)の題材になっており、漢字熟語の多い文体で聞かせるものでした。
かっこいいのですがちょっとわかりにくいです。出版されているものも漢字が多いです。
これが「絵本」であれば読みやすいし楽しいです。「絵本」というのは今の子供向けのではなく、
挿絵があり、文章には総ルビがふってある読みやすい本をいいます。
「絵本」風にわかりやすく楽しく書き起こした「太閤記」ですよ。というようなタイトルです。
=50音索引に戻る=
もとは文楽の作品です。
歌舞伎では十段目の「尼崎閑居(あまがさき かんきょ)の場」しか出ません。
「太功記の十段目」を略して「太十(たいじゅう)」 という略称で親しまれています。
とはいえ、全体の流れをざくっと書いたほうがわかりやすいと思うので、先に書きます。
この段だけ見ると武智光秀(明智光秀)が主人公のように見えますが、
全体としては真柴久吉(羽柴秀吉)を中心とした戦国オムニバスストーリーというかんじです。
・いつもの調子で春長(信長)が、光秀をいじめます。
・久吉(秀吉)が高松城を攻めるために西国(さいごく)に出発。
・光秀がいつものかんじで春長(信長)を殺します。
・光秀の母親の皐月(さつき)は怒って尼崎の別荘に家出します。
・水攻めにあった高松城内での物語。いろいろな裏交渉もあって、高松勢は投降、和睦が成立します。
・久吉は春長(信長)の仇を討つために都に向かいます。
・春長(信長)と対立していた鱸(鈴木)重成。春長の死を知った重成の息子の孫市が壮絶な自害を遂げて
自分の首と引換えに久吉と和睦します。
そしてこの段の前のところで、
・都に向かう久吉のところに久吉の古い知り合いのお百姓と僧があらわれ、武智を討つ手引きをすると言い出します。
これがワナで、この僧は光秀の家臣の四王天田島(しおうてん たじま=四方田但馬)でした。見破る久吉。
しかし但馬と隠れていた光秀の軍勢に切りたてられて、久吉軍は体勢を崩します。
久吉は旅の巡礼僧に変装してその場を逃れます。
このあとが十段目で、
・光秀の母親、皐月(さつき)が暮らしている尼崎の別荘に旅の僧がやってきます。
これが前の段から逃げている久吉です。
母に会いに来た光秀が久吉に気付き、殺そうとするのですが、母の皐月が身代わりになって死にます。
皐月は光秀を諫めますが光秀の決意は固く、久吉と戦場で戦う約束をして別れます。
・ここに息子の十次郎といいなづけの初菊の恋模様がからみます。
・さらにこのあとに、光秀の死後、まだ幼児である光秀の子供、音寿丸(おんじゅまる)を守るために、
家来の松田政道(まつだ まさみち)とその父親や嫁が身代わり首とか出していろいろ苦心する部分があります。
政道の父親の利休(としやす)は最期に出家して「利休」と名を変えます。「千利休」です。
・光秀は小栗栖村で壮絶な最期をとげ、秀吉がその首を討ちます。
という内容です
さて十段目を詳しく書きます。
光秀の母親、皐月(さつき)が暮らしている尼崎の別荘です。
なのでこの幕は
「尼崎閑居(あまがさき かんきょ)の場」
とも呼ばれます。「閑居」というのは別荘とか隠居所とかいう意味です。
息子の光秀が、当時の倫理感ではありえない大罪、主君殺しをしでかしたので、皐月は深く絶望し、
このままここで隠居して仏様に仕えてすごすつもりでいます。
ていねいに出すと冒頭に「夕顔棚(ゆうがおだな)」という場面があります。
昨今の上演構成ではおそらくもう出ないと思うのですが、
国立劇場あたりが出すかもしれないのと、秋川市の子供歌舞伎さんがレパートリーになさっていた記憶があるので書いときます。
夕顔というのは、ヘチマのことです。庭に今の藤棚のような形状の「夕顔棚」を作って夕涼みするのが、
庶民の夏の楽しみだったのです。
楽しみは 夕顔棚の 下涼み 男はててら 女は二布(ふたの)して
という古い歌があります。
「ててら」は未詳らしいですが「二布」と共に下着の意味に取っておきます。
ふんどしや腰巻きでくつろぐ、あまり身分の高くない男女の幸せそうな様子が浮かんでくる歌です。
そういうのんびりした雰囲気の副題と実際の内容の重さとの対比は、計算されたものだと思います。
皐月さんが近在のお百姓さんたちに仏事の振る舞いをして、ゆったりと会話をする場面から始まります。
ここでの会話がここまでのストーリーの説明シーンにもなっています。
近所の人が帰ったところに光秀の妻の操(みさお)さんと、息子の十次郎くんのいいなずけの初菊(はつぎく)ちゃんがやってきます。
皐月さんを心配してお見舞いに来たふたりに対して
「武士の妻なら隠居した自分はどうでもいいから夫のそばにいろ」とか冷たく追い返す皐月さんですが、
操さんはダテに長く嫁をやっておらず、口では「仰せの通りでございます」とか言いながら
勝手に上がり込んでお茶とか沸かしはじめます。
おずおずと手伝う初菊ちゃん。
初菊ちゃんのいいなずけ、皐月さんの孫の十次郎くんの話題になります。
十次郎くんは初陣の年齢なのもあり、そろそろ手柄を立てたいので今回の戦に出たがっているのです。
まったく光秀みたいな罪深い男にあんなりっぱな息子がいて、もったいないことだと皐月さんが泣くシーンがあり、
ここに、旅の僧が一夜の宿を貸してくれと言ってやってきます。
これがつまり、久吉(秀吉)なのですが、なぜ都合よく旅の僧の姿かというと、上のほうで説明したような理由です。
文楽の原作だとないのですが、歌舞伎だと皐月さんが旅の僧に都周辺での戦の様子、どっちが勝っているかと聞いたり、
餅をふるまったりするシーンがあります。
逆に文楽ですと、ここで門口から光秀が覗き込みます。
旅の僧が久吉だと気付く光秀ですが、直後に母親の皐月さんと目が合ったので、とりあえず隠れます。
光秀の様子に気付いた皐月さんが、ちょっと考えたあと急に旅の僧に風呂をすすめるのです。
これがあると、皐月さんの行動が最初からすべてを計算した上で覚悟の上だったというのがよく伝わるのですが、
どっちみち全部カットなのでまあ、気にしなくていいです。
自分が炊きつけましょうと言って気軽に家の一角にある風呂場に向かう旅の僧(久吉)です。
さて、旅の僧(久吉)と光秀の話は一度横に置いておいて、
ここに、光秀の息子の十次郎くんがやってきます。数えで18歳、今だと17歳の初々しい若武者です。
大きな箱を家来が担ぎ込みますが、これは「鎧櫃(よろいびつ)」です。あとで着ます。
ところで十次郎のフルネームは「武智十次郎光慶(たけち じゅうじろう みつよし)」ですので、(文楽だと重次郎)
初菊ちゃんは「光慶さま」と呼んでいます。
父親に出陣したいと願い出たのですが、年長者である皐月さんの許しがないとダメ、と言われて
尼崎までやってきたのです。
嫁や孫嫁には口では厳しいことを言う皐月さんですが、孫息子には優しいです。
出陣は許すが、条件がある。
いいなずけのこの初菊さんと祝言を上げて正式に結婚して行きなさい。と言います。
喜ぶ初菊ちゃん。
三三九度をやることになり、女性たちは準備のために引っ込みます。
現行上演だとここまで全部カットだと思います。
ここまでが出ないと、かなり展開としてはわかりにくくなると思うのですが、
出しても台詞聞き取れないとけっきょくわからないので切っちゃうのだろうと思います。
本来なら部屋に一人残った十次郎くんの独白になるのですが、
いまは十次郎くんが部屋に入ってきて独り言を言うかんじで始まります。
浄瑠璃の文句が
♪残る蕾の花ひとつ 水上げかねし風情にて
と、部屋にひとり残された美青年が首をうなだれて悩む様子を完璧に表現した名文なだけに、
文句通りの動きじゃないのはもったいないところではあります。
「見事手柄を立てたいので出陣したい」と威勢のいい事を言った十次郎くんなのですが、
戦況は最悪です。
しかし子として父親と共に闘って死のうと十次郎は決意しています。
そうとも知らず、自分が手柄を立てて戻って来るのだと信じて喜んでいる初菊ちゃんがかわいそうです。
このまま祝言を上げすに今出発してしまおうか考える十次郎くん。
その独り言を初菊ちゃんが聞いていて、部屋に飛び込んできます。まって討ち死に必至だなんて聞いてない!!
泣いて出陣をとめる初菊ちゃんですが、そなたも武士の娘だろう。しっかりしろと言い聞かせる十次郎くん。
初菊ちゃんは十次郎くんに言われて泣く泣く鎧を付けるのを手伝います。
ここで重い鎧櫃を一生懸命引っ張るところが娘らしくてかわいいので有名です。
いちおう舞台上で鎧を付ける型もあるはずですが、今は裏で着てまた出てきます。
祝言の場面になります。鎧を着た凛々しい十次郎くんを見てまた悲しむ初菊ちゃん。
「こんな殿御を持ちながら」このまま死なせてしまうなんて。
せめて今夜だけは生きて帰って来てほしいという願いは非常に切実ですが、
振りきって十次郎くんは退場します。
じつは皐月さんも、十次郎くんは討ち死にの覚悟であったことを知っていました。
別れの盃のつもりで三三九度の祝言をさせたのでした。
3人で泣く場面があって、
事情を知らないさきほどの旅の僧(久吉)が「お湯がわいた」と部屋に入ってきます。
あわてて取り繕い、「お先に湯にどうぞ」と勧める皐月さん。
お互い譲りあう場面があり、旅の僧が一番湯に入ることになって退場します。
ほかの3人も退場します。
無人の舞台です。すっかり夜です。風呂に明かりがついています。
舞台の袖に再び光秀が登場します。歌舞伎だとここで初めて登場です。
久吉を殺すつもりです。
明智光秀というと、頭脳派のどちらかというと線の細いイメージのキャラクターですが、
このお芝居では骨太の荒々しい役柄です。
蓑(みの)を付けて傘をかぶって出てくるのもワイルドなかんじで怖いです。
竹やぶの竹を切って槍(やり)をこしらえて、ここで浄瑠璃に合わせていろいろ準備をします。
緊張感を楽しむところです。
離れた場所から風呂場にいる久吉を突きますが、叫び声は女性のものです。
血まみれで出てきたのは母親の皐月さんです。
驚く光秀、飛び出してくる操さんと初菊ちゃん。
苦しい息の下で皐月さんは必死で光秀をいさめます。
大体の内容書くと
主を殺すなんていう罪を犯すから報いが来て親を殺すようなはめになるのだ。
おかげで系図正しい我が家も恥辱にまみれた。
親である自分も主殺しの一族ということでこういう報いをうけるのだ。
しかも武士にあるまじき行いをしたから、見ろ、刀ではなく竹槍などという獣を殺すような武器で殺される。
ああ情けない。
今からでも心を入れ替えてくれと諭しますが、光秀は聞きません。
光秀は、
そもそも神社仏閣を焼いた春長(信長)は惡人だった。殺すのは当然だ。
主君と言っても親代々ではないからそこまでの責任はない。
執政者が惡人な場合、これを葬り去るのは我が国でも中国でも実例がある。天意は自分にある。
と言うのです。
ここで十次郎くんが戻ってきます。
ドンジャン鐘の音がしますが、歌舞伎だとこれが遠くで戦をしている合図です。
血まみれで体に矢が何本も刺さった痛々しい姿です。
ここで十次郎くんと浄瑠璃での「かけあい」で戦の様子をものがたります。
がんばって戦ったのですが、久吉の計略ではさみ打ちにあって全滅した。
ここにいては父親が危ないと思って必死で敵陣を切り抜けて知らせにきた。早く逃げてください。
と言います。
祖母も手負いで死にそうだと知ってひと目会いたいと望みますが、もう目が見えません。
武家の家に生まれて18歳まで武芸の練習ばかりで何の楽しみもなく、
それでも手柄を立てて父上やばば様に褒められたいと笑う、けなげな青年を殺してしまう悲しさよ。
嘆く母親の操さんと初菊ちゃん。
初菊ちゃんと手を取り合って、十次郎は絶え入ります。
十次郎くんは今の演出ですとどちらかというと線の細い美青年の印象になっていますが、
台詞や浄瑠璃を聞くと、なかなか骨太の勇ましい青年です。
歌舞伎では出ませんがこの場面の直前に、久吉の家来の兵隊たちを蹴散らす場面があったりしますので、
ああ見えてケンカ強いのです。
ふつうの戦ならば確実に大手柄をたてたであろうような有能な若武者なのです。もったいないです。
というのをちょっと意識してご覧にあると、悲劇性がより強く伝わると思います。
十次郎のけなげな死に、光秀も耐え切れずに涙をこぼしますが、
ここでまた戦の鐘の音がします。
我に返った光秀。
ここで舞台がぐるっと回って裏庭になります。
この家は高台にありますので、光秀は庭の松の木に登って戦の様子を確認します。浜の方からこちらに来る秀吉の旗印。
迎撃してくれる!! と飛び降りる光秀に、久吉の家来の加藤正清(清正)が斬りかかります。
立ち回りながら、もとの庭先に戻ってきて、家の中から久吉が登場します。
りっぱな陣羽織に着替えてすっかり大将然としています。
2対1ですからその気になればこの場で光秀を仕留められますが、久吉は手を出しません。
ここで相手を討つことは、「義はあるが勇はない」状態だからです。
あらためて合戦の場で決着をつけよう、とお互いに言います。
光秀は一度京に帰り、母への追善のために都の市民の地子(じし、土地に課した税金)を許す。と言います。
これは史実です。
あとは、浄瑠璃で光秀の最期を予感させる語りが入ったりして、
「引っ張りの見栄」で幕です。
おわりです。
・タイトル「絵本太功記」について
もちろんもとネタは「太閤記」です。当時は「真柴久吉」や「織田信長」や「徳川家康」は実名でお芝居にしてはいけなかったので、
「太閤記」もそのままタイトルに使ってはいけないということで、
ちょっと変えて「大功記」となっています。
登場人物の武将たちの名前も、すぐわかる程度にちょっとだけ変えてあります。
チナミに「武田信玄」や「上杉謙信」はオッケーです。家康と直接絡んでいない人は大丈夫なようです。
さて、もともとの「太閤記」は講釈(今で言う講談)の題材になっており、漢字熟語の多い文体で聞かせるものでした。
かっこいいのですがちょっとわかりにくいです。出版されているものも漢字が多いです。
これが「絵本」であれば読みやすいし楽しいです。「絵本」というのは今の子供向けのではなく、
挿絵があり、文章には総ルビがふってある読みやすい本をいいます。
「絵本」風にわかりやすく楽しく書き起こした「太閤記」ですよ。というようなタイトルです。
=50音索引に戻る=
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