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歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

「大物浦」 だいもつのうら (義経千本桜)

2011年11月12日 | 歌舞伎
急ぐとき用の3分あらすじは=こちら=になります。

義経千本桜(よしつね せんぼんざくら)」 という長いお芝居の二段目の後半部分です。
直前のシーン、=「渡海屋」(とかいや)=とセットで上演されます。

前半部分「渡海屋奥座敷(とかいや おくざしき)」は、場割りで言うと前の「渡海屋」の続きなのですが、
流れ的にこっちとつなげたほうがわかりやすいのでこっちに書きます。

奥座敷というか、本宅から渡り廊下があるのかなというかんじで浜辺にぽつんと離れ座敷みたいのがあります。
女房のみなさんも、まだ子供の(たしか9歳)安徳帝を抱いた典侍の局(すけの つぼね)も、
前の幕の江戸時代の普段着っぽい衣装から十二単(じゅうにひとえ)に着替えて、座敷にずらりとならんでいますよ。

前の幕の最後の方は、普段着っぽい着物のままで演技だけお局や女房のようにしなければならないので難しそうなのですが、
この幕では衣装が替わるので見る方もわかりやすいです。

ここまでの経過を語り、みんなで戦の様子を案じていると、御注進(ごちゅうしん)の侍がやってきます。
前の幕で悪役だった相模五郎(さがみ ごろう)ですよ。
じつは前の幕のモメごとは、義経一行を油断させるためのヤラセだったのです。

ここまで周到に計画しての不意打ちなのですが、
でも義経はいつの間にか気付いていました。
夜闇に紛れて義経の舟を襲ったはずが、じつは感づいていた義経、戦の準備も万端でした。
たいまつを照らして逆にどんどん平家の舟に乗り移って攻めてきたのです。劣勢です。
みたいなことをしゃべります。

三味線のリズムに乗って、「ノリ」といわれる独特のテンポと動きでしゃべりますので、
セリフが聞き取れなくてもなんとなく楽しんでください。

驚く女房たち。あわててうしろの障子を押し開けて海を見ます。たくさん船が並んでいます。たいまつも見えます。
ていうか3階の上の席からだとお座敷の屋根がジャマで船は見えないのですが、心の目で見て下さい。

知盛は、前の幕で出陣前に言いおきました。
万が一、作戦が失敗だったら、味方の舟のたいまつがいっせいに消えたら負けの合図。そのときは、お覚悟召され。

女房たちが見守るなか、たいまつが消えます。驚きさわぐ女房たち。

もうひとり御注進が来ます。入江の丹蔵(いりえの たんぞう)です。
もういけません。切り立てられて味方は壊滅。知盛さまは海に飛び込みました。

丹蔵、「みなさまもお覚悟を」といいながら源氏がたの雑兵たちと斬り結びながら、ひとりを道連れに海に飛び込みます。
お侍らしい、かっこいい最後です。。
ここでの立ち回りですが相手はひとり、ないし二人で、それが斬っても斬っても立ち上がってかかってくるのですが、
これは「何人もの兵隊が入れ替わり立ち替わりかかってきている」様子を様式的に表していると思えばいいと思います。

こうなったらもうしかたありません。頼りの知盛もいないし。
知盛がいればいつかは帝を盛り立てる日も来るかと思い、貧しいくらしで不憫でも、2年間なんとか帝を守ってきた一行。
もうしかたがありません。今となってはお覚悟を、と言い、帝を連れて浜辺に出ます。

わけがわかっていない安徳帝に、
この地上は源氏がはびこって恐ろしい場所だからここにはいられない。
海の底には極楽浄土があって、父上も母上も死んだ平家のみんなもいる。そこに行くのだと、
悲しい説明をします。

海の底に一人で行くのは怖いと言う安徳帝ですが、乳母の典侍の局(すけの つぼね)が一緒に行くと聞いて安心します。
乳母が一緒なら怖くないの。何処なりともいくわいのうと言います。
泣くところなので細かく書きました。

東は天照大神のいるところ、ごあいさつ。西は仏様のいるところ、ごあいさつ。
本地垂迹(ほんじすいじゃく)神仏習合(しゅうこう)の極みですが、我が国の宗教観はこんなかんじで昔からバランスがいいです。

帝のお歌です。

 今ぞ知る 御裳裾川(みもすそがわ)の流れには
 波の底にも 都あるとは

いい歌です。まだ子供なのにさすがです。 感心して喜ぶ典侍の局。 

でも、平家が滅びて2年。都落ちしてからだと4年。
全盛のころにはまだ本当に小さかった安徳帝(3歳で即位)。
こんな歌を宮中での歌の宴で詠んだら、どんなにみんな(清盛が)喜んだことだろう。と思って泣く典侍の局です。

遠くで戦の音がします。ドンジャン聞こえるのがそれです。

もうだめだ。「先に行って道案内いたします」と次々海に飛び込む女房たち。凄惨なシーンです。
華やかな十二単がひるがえる絵面の表面的なキレイさが、逆にいたいたしさを強めます。

いよいよです。安徳帝を抱いた典侍の局。

海の神様は竜王ですよ。仏法の守護神でもあります。八人いるので「八大竜王」と呼ばれます。彼らに呼びかけます。
一応セリフ書きます。

 いかに 八大竜王、 恒河(ごうが)の鱗屑(うろくず)、君の行幸(みゆき)なるぞ、守護し奉れ

「いかに」は呼びかけることばです。「いかにある(ごきげんいかがですか)」の略ですが、
全体に固い、男性的な印象の言い回しです。女性はまず使いませんし、まして神様に使うとしたらかなり強気モードです。

鱗屑(うろくず)はウロコのクズのことですが、これでお魚全てを指します。食べるときは言いません、あくまで海に泳いでいるやつ全般です。
恒河(ごうが)はガンジス川のことです。「恒河沙(ごうがしゃ)」でガンジス川の砂=無限に多いことを言うようなので、
ここは「恒河の鱗屑」で「たくさんいるお魚たち(八大竜王の家来)」というような意味にとればいいと思います。
行幸(みゆき)は天皇が内裏以外の場所に行くこと全てを指します。

おおい、海を支配する八大竜王と、そのお供のたくさんの魚たちよ。帝が、もったいなくも海に行幸なさるのだぞ、お守り申し上げろ。

そんなかんじです。強気です。帝を守るために一生懸命です。このセリフだけで泣けます。

いざ飛び込もうとしたところに武者が何人も登場です。
浄瑠璃で「義経の郎党(ろうどう、家来)」と行っていますが聞き取れないとわかりません。義経四天王のみなさんです。
四天王が典侍の局を抱き留めて、安徳帝と一緒に保護します。

この幕終わりです。


大物浦(だいもつのうら)

浜辺です。うしろに大岩です。
花道から白装束で血まみれの知盛が出てきて雑兵(ぞうひょう)相手に暴れます。
まさに修羅道に迷う亡者です、怖いです。

命に未練があるわけではなく、帝と典侍の局(すけのつぼね)が心配で、その身の安全を確保するために戻ってきたのです。
戦いながらふたりを探しますが、力尽きて倒れます。

義経が登場します。
典侍の局と安徳帝も一緒です。
義経を見た知盛は息を吹き返して、勝負勝負と詰め寄ります。

義経は
帝をずっと守ってきた心はりっぱだが、自分を討ち取る計画はバレていたから裏をかいたし、もうあきらめろ。
帝は自分が確実に守るから安心しろ。
みたいなことを言います。

しかし知盛は納得しません。
帝を守るのは平家も源氏も関係なくアタリマの事だ。恩に着せられるいわれはない。とにかく平家一門の恨みを晴らしてやる。
というかんじで斬りかかります。

押しとどめるお坊さんは弁慶ですよ。
この段の弁慶は一般的な弁慶の印象とはかなり違います。武器も持っていないし、ほんとうにお坊さんというかんじです。
通し上演するとけっこう違和感があります。
まあよくて、
腕ずくで止めるのは無理そうなので、数珠を首にかけて「もうやめろ」と諭すのですが、知盛は逆に怒り狂いますよ。
出家しろというのか、とんでもない。

源氏と平家の対立は今回の戦だけではありません。平氏と源氏というくくりだともっと古いですし(平忠常の乱(1028)とか)。
いわゆる平家=平忠盛の子孫の一族、と源氏、というだけでも、親も、その親も、子供も殺しあって来ました。
平家一族は義経に皆殺しにされたと言っても過言ではありません。
そんなに簡単に水に流して出家できるわけがないのです。
生き変わり、死に変わり、恨みを晴らさでおくべきか。

というような意味の事を言って知盛は怒り狂います。セリフ聞き取れないと感動が薄れるのでだいたい書いておきました。

帝の言葉
自分を守って、めんどうをみてくれたのは知盛の情け、今自分を助けるのは、義経の情け。
どちらも自分にとってはありがたい大切な存在だから、義経を恨みに思うな知盛。

ここいいセリフだと思います。 恨みは、許す事はできないけれど、相手の美点を見ることで、なかったことにできるかもしれない。

典侍の局も言葉を添え、平家方の自分がそばにいては帝まで疑われるから、と、義経に後を託して自害してしまいます。

これにはびっくり。典侍の局の帝を思う気持ちに、知盛は戦う気力もなくなります。

このあと知盛は、都落ちして船でさまよったり、義経相手の数々の負け戦なと、ここまでの苦難を
餓鬼道、修羅道、畜生道の死後の三道になぞらえて語ります。

って一応説明すると、仏教的死後の世界観は、
三途の川→六道の岐(りくどうのチマタ 分かれ道)→地獄道、極楽道、餓鬼道、修羅道、畜生道、人間界 のどれか→また死ぬ→無限ループ です。
輪廻転生です。
このループから抜け出すのが解脱であり、成仏ですよ(すげえおおざっぱ)。

そしてここまでのこの地獄のような苦難は、父である平清盛の悪行の報いだなあと悔やみます。

自分はもう傷も深いし死ぬけど、死んだと見せかけて2年も生きていたのは恥ずかしいので、
「義経を襲ったのは知盛の亡霊だ」と人には言ってくれと義経に頼みます。
今はもう恨みも消えた知盛。
帝を義経に託すと、自分は大岩に登って、そこにある大きい錨(いかり)の綱を体に巻き付け、
錨とともに海に沈みます。

平家物語では「我が身に鎧二領着て 壇ノ浦の 水底深く 沈みけり」とある、そのメタファーです。

「知盛入水(とももり じゅすい)」と呼ばれる、一度見たら忘れられない歌舞伎屈指の名場面ですよ。

とはいえここまでの、戦ったり怒ったり苦しんだり、最後許し合ったりする演技がきちんと伝わってこその入水シーンの感動です。
一時期は入水の際の形のきれいさのみを競う傾向があってイヤだったんですが、
最近そうでもなくなってきたのでありがたいことです。


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