歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

「二人夕霧」 ににん ゆうぎり

2008年11月10日 | 歌舞伎
初代「夕霧(ゆうぎり)」は元禄のころの遊女です。
はじめ京にいて後に大阪に移りました。上方遊郭文化を代表する名伎ですが、若くして死にました。
大金持ちのボンボンの「伊左衛門(いざえもん)」との悲恋でも有名です。

なので「夕霧」をモデルにした「夕霧狂言」は何本も作られました。
これはそのうちの一本です。かなり後期の作品になります。

ていうか、このへんになるともうあまり真面目に作っていなくて、これはパロディー的な「お遊び狂言」です。
主人公の夕霧や伊左衛門にも笑わせるような場面が多いのですが、
それだけに本来の彼ららしい美しさや優雅さをきちんと表現するのが逆にたいへんな、難しいお芝居だと思います。
ただのドタバタパロディーなら簡単だと思いますが、「夕霧もの」の品格は守らなければならないのです。

まず設定を書きます。

とにかく「夕霧狂言」に共通の基本設定というのがあります。
これは、もう、いちいち説明がないので頭に入れて見に行かなくてはなりません。

・主人公
藤屋伊左衛門(ふじや いざえもん)
藤屋という大阪の大商人の息子さんです。お金持ちです。

・夕霧(ゆうぎり)
京都にいた、後に引き抜かれて大阪に移籍した、伝説の遊女です。
美しく、性格がよく、教養も豊かで楽器その他の芸事にも堪能でした。

遊女という存在についてちょっと書くと、
もちろん「売春」という商売ははるか昔からわが国でも行われてきたと思われますが、
こういう「売春婦」たちと、いわゆる「高級遊女」とは少し違うのです。
もともと、鎌倉、室町のころにいた。初期の「高級遊女」は、とくに京阪にいたかたがたは、
没落した貴族の娘や、そのお付きの女房たちです(ていうか女房たちだってどこかのお嬢様なわけで)。
なのでたいへん優雅で教養があり、そして社会的ステイタスのあるひとしか客になれませんでした。

実は当時は本物の貴族のムスメのほうが、どんなに身分の低い素っ町人でも金やコネにものを言わせて自由にできたのです。へんな話です。

まあもちろん、江戸時代の遊女も、出身はそのへんのおねえちゃんですが、
そういう「お嬢様」的なクォリティーを体現すべく、金と手間をかけて一定の教育を受けていました。
というわけで、当時の「高級遊女」を今のソープ嬢なんかと同列に考えるのはムリです。
芸能人のアイドルや女優さんみたいなかんじだと思うと少し近いかもしれません(女優さんより教養レベルが高い点が違う)。

夕霧については井原西鶴もベタ褒めしており、本当にりっぱな人だったようです。

これが「初代夕霧」。このあと何代目かまでの「夕霧」がいます。名前を継いだのです。
チナミに「夕霧」は関西限定の名前です。
江戸には「高尾太夫」という美しい遊女がおり、やはり代々襲名しました。
これはもちろん子供が襲名するのではなく、その名前にふさわしいりっぱな遊女がその名前をもらって名乗ったということです。

さて、
伊左衛門と(初代)夕霧、恋仲になります。
伊左衛門は財力にものを言わせて高級揚屋(あげや)に毎日夕霧を「揚げ詰め」にして楽しく過ごしますが、
当然それには膨大なお金がかかります。
ついに親がキレて伊左衛門は勘当されます(あたりまえです)。

このへんは、「好色一代男」もそうであるように、お金持ちのボンボンが勘当されて零落する、というドラマが
当時定番だったののもあると思います。

伊左衛門はお金がないので夕霧に会えません。
夕霧はさびしさのあまり病気になってしまいます。
じっさい夕霧は病気で若くして死んだのです。
その死を惜しんで、こんなにたくさん「夕霧狂言」が作られたのです。

伊左衛門はお金がないので服もなく、昔夕霧にもらった恋文をつないで着物の形につくり、「紙衣(かみこ)」にして着ています。
そういうみずぼらしいなりで夕霧見たさに廓にやってきます。

実際に一般的な「夕霧もの」の舞台で伊左衛門が着ているのは紫色に金泊で文字が書かれた美しい着物ですが、
これは「みすぼらしい紙衣」という設定なので、そのつもりで見なくてはなりません。
さらに言うと「紙衣」は本当は作るのに手間がかかるので、普通の着物より高価です。が、それは言わない約束よ。

というわけで

「伊左衛門は金持ちのボンボンで遊び人で今は勘当中(貧乏)」
でも心は昔に変わらず、全然懲りていない。
夕霧とラブラブ
夕霧は病気で死にそう、またはもう死んでいる。

以上3点は押さえておかなくてはなりません。


で、やっと「二人夕霧」の説明に入ります。
パロディー狂言ですからもとネタの説明が長いですよ。

ストーリーは単純ですが、そういうわけで細かい設定がわかっていないと部分的に混乱すると思いますので一応詳しく書きます。

「先の夕霧(初代夕霧)」はお約束通り死んでいます。
で、悲しんでいた伊左衛門ですが、今は「後の夕霧(二代目夕霧)」と仲良くなって、身請けして一緒に暮らしています。
まだ勘当されたままなので身請けのお金は借金しました(貸すなよ)。

「二代目夕霧」がナチュラルに出てくるあたりが、もう「○代目夕霧」がアタリマエになっていた後世の作品っぽくて楽しいです。
さて、ふたり、京の貸座敷(ウイークリーマンションみたいなもん、上方には多かった。当座の仮住まいには便利)に住んで、
で、生活費を稼ぐべく、スキルを生かして「傾城(けいせい)買い指南」というのをやっています。
「傾城(けいせい)」というのは遊女のことです。

上方の、「夕霧もの」も含めた、遊女(傾城)と色男の廓での様子を描いたお芝居を総称して「傾城買い狂言」と言います。
今「古いお芝居」とされて出るようなのよりずっと古い、今見たら素人芝居のような創生期の舞台のころから、
この伝統は続いているのです。

「傾城買い指南」は、だからお芝居のようにうまいこと遊女(傾城)を口説いて惚れさせる方法を教えます、
というかんじの教室です。
チナミに当時の遊女は客が気に入らないと「お座敷」だけで帰ってしまい、「させて」くれませんでした。
おふとんに入っても「させてもらえない」事もあったのです(払うお金は同じ)。
「させて」もらっても遊女に嫌われているとサービスが悪かったりしますよ。客もいろいろ努力しないと楽しめなかった時代です。
とはいえ、大真面目に「傾城買い」の教室を開くというのは、もう笑うしかないぶっとんだ発想で楽しいです。

出だし。
「後の夕霧」ちゃんは貸座敷の水場でお米をといでます。傾城のキレイな衣装のままで。
人生ナメてるかんじで楽しいです。
このミスマッチ感はこのお芝居の発明ではなく、
伽羅先代萩(めいぼく せんだいはぎ)」の今は出ない序段でも、高尾太夫が伊達の殿様と似たようなことをやっています。
他にも「鎌倉三代記」の「絹川村閑居(きぬがわむら かんきょ)」をていねいにはじめから出すと、
「時姫」が真っ赤な振袖に花かんざしでお米をとぐシーンがあります。ていうかあそこは出すべき。
というかんじに、お姫様や傾城が慣れない水仕事をトンチンカンな様子でやる、という場面は歌舞伎(文楽)にはけっこうあります。楽しいですよね。

伊左衛門が「うちまきは洗えたか」といいます。
「うち撒き」はお米のことです。
平安期だと貴族の家で、魔よけのためにお米を撒きました。お米は神聖なものですから魔よけになったのです。
江戸時代も遊郭やお金持ちの家ではその風習が残っていました。なので「お米」を「うちまき」と言うのです。
このへんもふたりの生活感のなさをを表現しています。
うまくお米がすすげなくて、水を切ろうとしたら手からどんどんこぼれてしまいます。「なるほど、だから「うちまき」なのか」
と夕霧が天然ぶりバクハツで面白いのですが、
「うちまき」の意味がわからないと笑えません。


座敷に上がってふたりのやりとりがあります。
古歌や古い狂言の文句がわかっていないと意味わからないシャレたやりとりですが、
まあ意味分からなくてもストーリーには関係ありません。仲良くお話しているなというかんじでご覧ください。

お弟子さんがやってきます。てか、いるのかい弟子。
お酒を持っています。
お酒の名前は「滝の水」です。お弟子さんが「鳴るは~」と言います。
能の「翁(おきな)」の有名な文句である「鳴るは滝の水」というおめでたい文句にひっかけているのですが、
まあ、ふつう意味分かりません。気にせず進みます。
「貼るはサロン○ス」というCMのフレーズを見るたびに「♪鳴るは滝の水」と歌いたくなるワタクシのほうが変です。

ひとりめのお弟子さんが紫づくめの衣装を着るのが、つまり↑の古い傾城買い狂言がもとネタです。
ああいうのを見たことがあれば笑えるのです。

お弟子さんの名前が「いや風」「小れん」「てんれつ」といいます。
「いや風」は、夕霧の時代に「野風」という遊女がいて、西鶴が「いやのならぬ風情」と描写しているのが有名なので、
「野風がいやがる男」の意味だと思います。
「てんれつ」は、お座敷のお囃子の擬音が「てれんつてれんつ」ですから、それの下手で調子っぱずれな音、という意味かなと思います。
そんなかんじで廓らしい単語をもじっているのです。
「小れん」は何だろう、わかんないですすみません。

で、お稽古をします。
いろいろ笑えるかんじで。お弟子さんは笑えますがお手本の伊左衛門はちゃんと動いていてキレイです。

夕霧はごはんが炊けた(こげただけ)と言って、肴のタコを買いに行きます。
傾城の衣装で、ぽっくり履いて。すげえ。

借金取りが登場します。
お弟子は逃げていき、伊左衛門は身ぐるみはがされてお約束の紙衣(かみこ)になります。
ここで伊左衛門が借金取りに編み笠を渡すのは、「千両のかたに編み笠一枚」という例えが当時あったからです。
あと、「編み笠」は初期の遊郭において、通う客が人目をはばかって顔を隠すのにかぶったものなので、
借りた金は全部遊興に使って、編み笠が残った、という意味にもなります。

借金取りが編み笠を突っ返して「これかぶって小唄唄って鼻の下養え」というのは、あ、鼻の下は口ね、
実際、夕霧狂言のいくつかで伊左衛門がそうやってその日暮らしをした場面があったのを受けているのです。
勘当された放蕩息子や浪人が、知り合いに合わないように顔を隠して、小唄や謡を歌って門付け芸をして日銭を稼いだ話は、
西鶴もあちこちに書いていますよ。

というようにストーリーとは関係ないところでいろいろ面白くできているのですが、
わかりにくくてもったいないです。しかたありません。

紙衣の伊左衛門が寒そうにしていると
揚屋「吉田屋」のおかみさん、「おきさ」さんが登場します。
現存するもっとも有名な夕霧狂言「廓文章(くるわぶんしょう)」にも出てくるかたです。
「廓文章」で、吉田屋の主人夫婦は一文無しになった伊左衛門を追い払ったりせず、ちゃんと「若だんな」と立ててもてなします。
ここでも「おきさ」さんは「若旦那」と一緒に死んだ夕霧を偲びます。

この場面で「紙衣を着ているのか」という話になり、着物をひっぱられた伊左衛門が「紙衣ざわりが、荒い荒い」と言います。
これもお約束です。
伊左衛門の変わらないおぼっちゃん気分をうまく表現しているとても有名なセリフなのです。

先の夕霧を思い出して悲しむ伊左衛門。
おきさは一度退場します。

と、
キレイなお姉さんが花道から出てきますよ。
見てびっくりする伊左衛門。
なんと死んだはずの先の夕霧なのです。
「そうそう出られても困る」と伊左衛門が言うのは、幽霊だと思ったからです。

夕霧は伊左衛門に手紙を見せます。
誰からの手紙かわからないじゃんとお思いでしょうが、手紙の上がピンク色に染めてあります。
これは遊女が客にあてる恋文であることを示します。
だからこれは夕霧本人から伊左衛門へのお手紙ですよ。
本人いるんだから口で言え。とお思いかもですが、
伊左衛門が夕霧からのお手紙を読むシーンというのも「夕霧もの」の定番なので、ここはお約束で入れなければなりません。
まあ手紙読んでかいつまんだほうが展開早いですが。

夕霧は「安房の大尽」に身請けされるのがイヤで死んだことにしていたのです。いきなり急展開ですよ。

イキナリそんなこと言われても困る伊左衛門。今は「後の夕霧」と夫婦だし。
夕霧(初代)と伊左衛門で、言い争いになります。

ていうか、「伊左衛門が久しぶりに会った夕霧に冷たく当たる、夕霧悲しみながら伊左衛門を色っぽく口説く」
というこれ自体が「廓文章」のフォーマットです。お約束なのです。
ケンカのセリフもいろいろ「廓文章」から取っています。

痴話ゲンカしていると、今カノであるところの後の夕霧がお買い物から帰ってきます(タコぶらさげて、なんかかわいい)。
元カノ、先の夕霧を見て喧嘩になります。

ケンカしていると、さっき奥に引っ込んだおきさが出てきてなだめます。
そこは揚屋のおかみさん、ケンカを納めるのは上手いです。3人さっさと仲直り。
3人で伊勢詣りでも行こうと相談はじめます。
べつに真面目に神信心したいわけじゃなく、むしろ「そうだ、京都行こう」系の気晴らし観光旅行です。
伊勢は定番の行き先だったのです。

そうこうしていると花道から水奴が(みずやっこ)がたくさん出てきます。
「水奴」というのは、婚礼のときに「嫁をもらったら水をぶっかけろ」と叫んで出てきて実行するお兄さんたちです。
当時そういう風習があったのです。「新薄雪物語」の立ち回りに出るのが有名です。
一緒に伊左衛門の妹だの使用人だのがぞろぞろやってきます。

何の脈絡もありませんが、勘当が許されたのです。

一応、先に出ていたお弟子さんたちがじつはお店の使用人で、伊左衛門の様子を見ていた、ということになっていますが、
ふつうの親ならあんなバカっぽい商売していて借金まである息子が心を入れ替えたとは、絶対思わないと思います。いいのか本当に!!

まあそういうわけで、勘当は許されてめでたしめでたし。
水の代わりに桶に入っていた小判を撒きますよ。
お米を「うち撒き」と呼ぶ人たちですから、小判が撒いてあっても拾おうともしませんよ。鷹揚ですばらしいです。

江戸時代なので先の夕霧と後の夕霧、両方がおかみさんになり(たぶん先が本妻、後が妾)、丸くおさまってめでたしめでたしです。

おわり。

まあ、他愛もないお話ですので筋を追うのに混乱がなければ気楽に楽しめると思います。
あと、舞台は廓じゃありませんが、のんきで優雅で浮世離れした、いわゆる「廓気分」というのを楽しむお芝居でもあります。
そういうかんじでどうぞ。

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