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歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

「筍掘」 たけのこほり(「本朝廿四孝」)

2010年03月29日 | 歌舞伎

「本朝廿四孝(ほんちょう にじゅっしこう)」という長い作品の三段目にあたる部分です。
「本朝廿四孝」は、四段目の「十種香(じゅっしゅこう)」が人気演目ですので、そっちで有名です。

この「筍掘」は、最近は殆ど出ません。主人公の横蔵がかっこいいんですが、こういう文楽原作のキャラクターの男臭いかっこよさは
現代ではうまく通じないのかもしれません。セリフ聞き取れないし。。
十数年前の通し上演で藤十郎さん(まだ鴈次郎だった)と吉右衛門さんで上方で出した記憶しかないです。
ちなみにとのときの四段目の勝頼はたしか菊五郎さんでした、美しかったです(関係ないけど一応)。

何はともあれ、
まず今は絶対に出ない一段目の説明をざっと書きます。これがわかっていないと最後のほうの内容を理解できません。
できるだけ簡単に書くので、めんどうでも読んでください。

・ときの将軍「足利義晴(あしかがの よしはる)」が、種子島に渡来した鉄砲を持って来た謎の男に撃ち殺されます。これがお話の発端です。
これには政権掌握を狙う執権、北条氏時(悪役)の陰謀がからんでいるのですが、この段には関係ないので覚えておかなくていいです。

・死んだ足利義晴の側室、「賤の方(しずのかた)」は妊娠しているのですが、義晴が暗殺された直後、いきなり現れた謎の覆面男が「賤の方」をさらって消えます。

・足利幕府の重臣、「上杉(長尾)謙信(うえすぎ けんしん)」と「武田信玄(たけだ しんげん)」はご存知の通り仲が悪いです。
二人の不仲を解消しようと、「足利義晴」が二人を室町御所に呼んだ日に事件が起きたので、二人が疑われます。
二人は身の明かしをたてるためにそれぞれの息子、「上杉景勝(うえすぎ かげかつ)」と「武田勝頼(たけだ かつより)」の首を討って渡す約束をしますが、
死んだ義晴の裳が明けるまで、2年間の猶予がもらえる事になります。

・謙信の息子、上杉景勝(うえすぎ かげかつ)に仕える「直江山城之丞(なおえ やましろのじょう)」は腰元の八ツ橋と密通しており、八ツ橋は妊娠します。
ふたりは死罪になるところなのですが、普段から忠義で有能な直江山城之丞を惜しんだ景勝は、「阿呆払い」にして二人の命を助けます。

この段に関係あることのみざくっと書きました。

この後、諏訪明神の境内で関係者がいろいろ出会う場面があります。割愛。

では三段目です。

・桔梗ヶ原(ききょうがはら)の場

ところで、当時は信濃の国がなくて(作品中これに関する部分もあるのですが割愛)、越後の上杉が諏訪湖を越えて領土を拡張しており、甲斐の武田と隣り合わせでした。
国境のある野原、「桔梗ヶ原(ききょうがはら)」に捨て子がいます。国ざかいの杭が立っており、その捨て子を、甲斐と越後、それぞれの家臣とその奥方とが取り合う場面があります。
今はここから出すことが多いです。
ていねいに出すと、父親が赤ん坊を捨てに来る場面もあるのですが、今出るか出ないかちょっとわからないというか上演自体がないんでした。

さて、この場面は、両家の家老とその奥様たちが出るのですが、全然キャラクターの描き分けをしていないのでどっちがどっちかわからなくなります。
とはいえここは後の幕への前フリですので、流して見ていて大丈夫です。
赤ん坊は甲斐の武田側がゲットしたということだけ押さえておけばいいです。

・山本勘助住処(やまもと かんすけ すみか)(「筍掘(たけのこほり)」)

雪深い冬の山の中、みすぼらしい小さな田舎の家が舞台です。

有名な軍師だった先代の山本勘助は死んでしまっており、その年老いた妻が今は「山本勘助」の名前を名乗っています。
彼女には息子がふたりおり、そのどちらに名前を譲るかまだ決めていないので、多少不自然ですが妻がとりあえず名前を受け継いでいるのです。
いまてきぱきとお茶を入れてくれているのもお種さんです。

近所のお百姓さんたちが立ち寄って、お茶を飲みながら二人の息子の噂をするところから始まります。

弟の「慈悲蔵(じひぞう)」は性格もよく、非常に親孝行で、嫁のお種さんと一緒にかいがいしく体の弱った母親の世話をします。
兄の横蔵は、その名の通り人の道を横に行くような男です。
母親や弟夫婦をわがまま放題こき使い、また村でも悪評が高い乱暴者です。
しかも、女関係で問題を起こすことも多く、最近、どこかの女に産ませたらしい赤ん坊の次郎吉(じろきち)くんを連れてきました。
すでに自分の赤ん坊の峯松(みねまつ)くんを育てているお種さんにその子をムリに押し付けて一緒に育てさせています。

しかし、なぜか母親は兄の横蔵ばかりかわいがって甘やかし、優しい慈悲蔵につらくあたるのです。何考えているんだろう、困ったもんだ、
みたいな事をお百姓さんたちは言い、それぞれ帰って行きます。


今日も寒い中、慈悲蔵は沢で魚を獲って来ました。母親に食べさせるためです。しかし全然喜ばす、文句ばかり言う母親。
さらに兄の横蔵は弟の奥さんのお種さんに「俺の女になれ」と言って口説くありさまです。
ほんとに困っている慈悲蔵夫婦ですが、母親への孝行のために毎日我慢して頑張っています。

ところで慈悲蔵は、鳩は年老いた親を養う、親孝行な鳥だということで(真偽不詳)、鳩をたくさん飼っています。
放し飼いです。鳩は夜になると鳩小屋に帰って来ます(後半への前フリ)。

先日、横蔵は、なんと二人の息子の峯松くんをジャマだから捨てろと言って来ました。
抵抗する慈悲蔵夫婦ですが、母親が兄の横蔵の味方をするので慈悲蔵はやむなく赤ん坊のもらい手を探しに行きます。
帰って来た慈悲蔵が「峯松はいい家に養子にやったが、とにかくもう死んだものと思ってあきらめろ」とお種さんに言います。
実は慈悲蔵は子供を捨てて来たのです。

ここで急に場違いなお侍が出て来ます。越後の領主、長尾(上杉)謙信の息子、長尾三郎景勝(ながおさぶろう かげかつ)です。
兄の横蔵を、上杉家で召し抱えたいと言います。
横蔵は今いないのですが、母親が息子に代わって承知します。
親孝行で性格のいい慈悲蔵ではなく、兄の横蔵を所望する景勝を不思議に思う母親です。

景勝は横蔵に頼みがあると言い、その内容を書いた手紙と出仕のときの服を入れた箱を渡します。
母親は頼みの内容を確認もせずに承諾し、箱をそのまま受け取ります。
ここの部分も後半に向けての前フリになります。

どこかで遊んでいた横蔵が帰ってきますよ。
横蔵の傍若無人ぶりと、母親の盲愛ぶりが病んだ感じにリアルで、こういう機能不全な家庭はいつの時代もあったんだなと思わせます。

ワガママ放題な兄に代わって母親心配をする慈悲蔵ですが、母親は慈悲蔵を嫌って相手にしません。
さらに、親孝行すると言うならタケノコが食べたい、真冬の雪の中、裏の竹藪で採って来いと言います。
筍が採れるはずはないのですが、ないものを採って来てこそ、真の親孝行だというのです。

なぜ急に「タケノコ」とか言い出すかというと、中国から伝わった「廿四孝(にじゅっしこう)」という短編集を意識しているからです。
これは親孝行な子供の話を24通り集めたものですが、どちらかというと理不尽な内容が多いです。
その中に、病気の母親が真冬にタケノコを食べたいというので、雪の中タケノコを探しにいく息子の話があるのです。
天がその孝行心に免じて雪の中にタケノコを生やします。
作品のタイトルもこの場面からとられています。

ところで、なぜ母親がここまで慈悲蔵を信用しないかというと、じつは慈悲蔵はずっとヨソの土地に行っており、何をしていたかもわからないからなのです。
一年前に急に女房と赤ん坊を連れて帰ってきて一緒に暮らし始めたのです。
慈悲蔵もお種さんも働き者ですし、一緒に暮らせばいい事ずくめなのですが、母親はやはりずっとそばにいた横蔵がかわいいのです。

さて、そうこうしていたら、今度は甲斐の武田信玄がやってきます。名前を聞いてあわてて中に通す母親ですが、入って来たのは信玄ではなく、赤ん坊を抱いた身分の高そうな女性です。
赤ん坊は、上で説明した、慈悲蔵が捨てた「峯松(みねまつ)くんです。連れて来たのは信玄の家来、「高坂弾正(たかかさかだんじょう)」の妻、「唐織(からおり)」さんです。
甲斐の信玄が赤ん坊を拾ったので赤ん坊は信玄のものです。赤ん坊を武田信玄の名代(みょうだい)として連れて来たので、「信玄の来訪」と呼ばわったのです。

信玄(赤ん坊)は、弟の慈悲蔵を軍師として抱えたいと言います。
もう会えないと思っていた息子を目の前に、飛び立つ思いのお種さん。
しかし、母親が、赤ん坊をエサに無理を言うその根性がイヤだとつっばねますよ。
慈悲蔵も母親が断ったので、「自分は田舎の百姓で、兵法(ひょうほう)の勉強などしていない。戦のことはわからない」と断ります。

断られた唐織は、承知いただけるまで信玄公は表でお待ちします、と言って、赤ん坊を玄関先の雪の中に寝かせ、自分は近くに隠れます。
雪の中で泣き叫ぶ赤ん坊の峯松くん。峯松くんは唐織さまに拾われましたが、全くお乳を飲まず、非常に弱っているのです。
母親のお種さんが峯松くんのところに行ってお乳をあげようとしますが、慈悲蔵がとめます。
そしてお種さんが外に出られないように玄関の格子戸と柱を紐でしっかり結ぶと、自分は母親のために裏の竹やぶに、タケノコを探しに行ってしまいます。

半狂乱で外に出ようとするお種さん、紐は雪でぬれて滑らず、うまくほどくことができません。
しかも、お種さんは横蔵に押し付けられた赤ん坊、次郎吉くんを抱いているのですが、この子を下におろすと泣き出してしまうのです。動きが取れません。なげくお種さん。
このへんは浄瑠璃の聞かせどころになります。
これは「近松半二(ちかまつはんじ)」という人の作品なのですが、このひとは女のヒトを苛めるのがとてもうまいです。

ついに必死の力業、戸がまるごと外れます。峯松くんを抱き上げてお乳を飲ませるお種さん。
唐織さまが出てきて「慈悲蔵は武田信玄に仕えることに決まった」と言い、満足して帰っていきます。
と、家の中から手裏剣が飛んできます。
手裏剣といいますが、忍者が使うような四角いのではありません・あれは忍者用です。
当時の一般的な「手裏剣」というのは手の中に収まるような小さい刀をいいます。
手裏剣が刺さって、峯松くんは死んでしまいます。
ここは手裏剣が見えないのでお芝居を見ているだけだとわかりにくいのですが、そういう流れです。浄瑠璃だとちゃんと説明しています。

同時に、横蔵が出てきて座敷に寝かせてあった次郎吉くんを抱きあげて奥に行きます。
横蔵が殺したのか!! うちの子はジャマだから!?
母は強いです。横蔵に復讐すべく、家の奥に入って行きます。
この場面はこれで終わりです。

裏の竹藪の場面になります。

母親のために雪中のタケノコを探す慈悲蔵です。
すると、飼っている鳩が何羽も、庭の中のある場所に舞い降ります。
昔から兵器のある場所には鳥が群れるらしいのです。すみません出典わかりません。昔の中国の兵法書系の知識です。
慈悲蔵は「兵法のことなど何も知らない」と言っていましたが、実はちゃんと勉強していて軍師としての知識があることが、ここでさりげなく描かれます。

さて、兵法書にはいろいろあるのですが、歌舞伎作品内の共通した設定として、その奥義中の奥義とされているのが、「六韜三略(りくとうさんりゃく)」という書です。源義経が持っていたので有名です。
これを手に入れて読めばすごい軍師になれ、超人的な戦闘力も身に付くという、無敵アイテムとして描かれるのが普通です。」
鬼一法眼三略巻(きいちほうげん さんりゃくのまき)」というお芝居にに出てくるのが典型的です。
横蔵も慈悲蔵も、一般的な軍師としての素養は実は身に付けているのですが、
この「六韜三略」を手に入れることでグレードアップして「山本勘助」の名にふさわしい最高の軍師になりたいのです。

というわけで、鳩が不自然に群れ下りるあの場所には、何か武器が埋まっているらしいのです。
たぶん、母親が隠した最高の武器、兵法書の「六韜三略」があるのだ。日ごろの孝行に感じて、鳩が教えてくれたのだ、
そう気づいた慈悲蔵はその場所を掘り始めますが、
今度は、鳩がバっと飛び立ちます。
これも兵法の一般的な知識なのですが、野に伏勢があるときは、つまり兵隊さんが隠れているときは、並んで飛んでいる鳥が列を乱すのです。これはいかにもありそうです。
というわけで、その場所に横蔵が隠れていることに気付く慈悲蔵、

このあとは、所作(踊りですよ)立てのふたりの立ち回りになります。文楽の動きを取り入れた、ダイナミッックな動き方です。
鋤と鍬で戦ったり、雪を投げあったり、すもうを取ったりする、力強いかんじが楽しいです。

ひと区切り付いたところで、母親が出てきて二人をとめます。
「二人とも一人前の軍師として、主君に仕える時がきた」。
まず、雪の中のタケノコを見つけ出した慈悲蔵をほめて、大事な話をするからと家の周囲を見張りにやります。

横蔵には、とくにいい主(しゅう)を取らせる、と言って、母親はさっきもらった箱を持ってきます。
中には白い裃が入っていますよ。死に装束です。

長いので、最初に書いた一段目の内容を忘れてしまったかもしれませんが、発端はときの将軍「足利義晴」の暗殺事件です。
上杉(長尾)謙信と武田信玄が疑われています。ふたりは疑いを晴らすために、真犯人が見つからなかったら自分たちの息子の首を斬って差し出す約束をしています。

というわけで、歌舞伎の定番なのですが、身替り首が欲しいのです。
さっき横蔵を召し抱えたいと言ってきた長尾三郎景勝は、横蔵を身替り首に使おうとしているのです。
母親は全てわかった上で、横蔵を差し出す約束をしたのでした。
横蔵が景勝に似ていることを知っていた母親はそのために、今まで甘やかして、楽しく暮らさせてやったのだと言います。
ここで「お前は実は上杉(長尾)景勝に恩がある」と母親が言いますが、このへんは今は出ない部分の話なので長くなるので書きません。
しかし、死ぬのはまっぴらな横蔵は逃げ出そうとします。
その足に、手裏剣、というか小柄(小さい刀)が飛んできて刺さります。さっき赤ん坊を殺した手裏剣です。
ここも見ているとわかりにくい部分ですが、そういう展開です。つまりさっき赤ん坊を殺したのも母親なのです。
横蔵はヒザを怪我して逃げられまぜん。

せっぱつまった横蔵は、足に刺さった手裏剣を抜くと、自分の右目に突き刺します。
片目がなくなってしまえば顔が違いますから身替り首には出来ません。

さらに、舞台の真ん中にどっかと座って、横蔵は慈悲蔵を呼び出します。

慈悲蔵は実は、越後の上杉(長尾)の家来なのです。一段目で出て来た「直江山城之丞(なおえ やましろのじょう)」です。奥さんのお種さんは、腰元の八ツ橋なのです。
慈悲蔵は母親には正体を明かしており、兄の横蔵の首をもらい受ける約束をしていたのです。
直江山城之丞に戻ってりっぱな衣装で出て来た慈悲蔵。横蔵が自分の目をえぐってまで身代わりを拒否した根性に感心します。
このまま上杉に仕えるように言うのですが、横蔵は断ります。

横蔵が自分の主人を呼び出します。
出てきたのは、横蔵がお種さんに育てさせていた、息子の次郎吉くんです。
抱いているのはさっき帰っていったはずの信玄の家来、唐織さんです。
外にいたはずの唐織さんが家の中にいて、しかもイキナリ赤ん坊を抱いて出て来るのは少し不自然ですが、
この後の場面に関係者が全員そろう必要があるのです。あまり気にせず見てください。

じつは次郎吉くんは横蔵の子どもではなく、死んだ足利義晴の子ども、「松壽丸(しょうじゅまる)」君(ぎみ)なのです。
自分の子だとウソを言ってお種さんに育てさせていたのでした。

先に書いた一段目で、義晴が死んだあと覆面の男が賎の方をさらって逃げていますが、これがじつは横蔵だったのです。
賎の方は義晴の子どもを懐胎していたので、あのまま御所に置いておくと、命が危なかったのです。

ここで、一段目よりも前、お芝居に出ていなことをセリフで言います。聞き取れないと思うので書くと、
・以前、慈悲蔵がこの家に帰って来る前のこと、見知らぬ僧が横蔵に会いに来たことがありました。これがじつは、武田信玄だったのです。
・信玄は横蔵に、室町幕府が危機的状況にあることを話し、足利幕府を支えるために働くよう依頼しました。なので横蔵は室町御殿に忍んで有事に備えていたのでした。
・これは、一緒に暮らしていた母親も気付いておらず、信玄の家来たちも知らされていませんでした。

というわけで、横蔵は誰にも知られずに、既に武田信玄の家来として足利家を守っていたのです。
さらに横蔵は賎の方を助け出すとき、足利家の象徴である源氏の白旗も、持ち出していました。
実は、竹やぶに埋まっていたのは「六韜三略」ではなく、横蔵が隠したこの白旗だったのです。

横蔵のあまりの非道ぶりに、逆に「何か理由があるのだろう」と気付いた母親は、慈悲蔵に「裏の竹やぶを掘ってみろ」と謎をかけ、慈悲蔵は見事に白旗を探し当てました。
二人の息子と母親、一見病んだ家庭に見えて、実はお互い思慮をめぐらして信頼しあった家庭であり、3人ともりっぱな人たちであったことがわかります。

ところで、このお芝居の時代設定は戦国時代です。
この時代に「源氏の白旗」を正義の象徴のように持ち出すのは少々無理がありますが、歌舞伎なのでてきとうです。
源平の戰の時代の源氏の旗の感覚をなんとなく流用しているのだと思います。雰囲気で「おお、かっこいい」と見てください。

事情を聞いて満足する唐織と慈悲蔵(直江山城之丞)。

母親は、そういう事情なら峯松くんを殺すこともなかったのにと後悔し、お種さんに謝ります。

横蔵の働きに満足した母親は、横蔵に山本勘助の名を継がせ、兵法書の「六韜三略」(家の奥にしまってあった)も与えようとしますが、
横蔵は山本勘助の名前を継げば満足だと言って、「六韜三略」を弟の慈悲蔵にゆずり、りっぱな軍師として上杉家に仕えるように言います。
チナミに「直江」は、母方の姓という設定です。
お互いの思わくや立場もはっきりし、お互いを励まし合うふたり。

ここで兄弟別れて戦うことへの覚悟を言うやり取りがあります。セリフ的には聞かせどころですが、多分聞き取れないので勇壮な雰囲気だけ楽しんでください。
ここで「戦う事になったらこんな風だろう」という感じで、ずっと未来の出来事である川中島の合戦の様子を生き生きと語ります。
リクツに合いませんが 、
歌舞伎の時代ものの定番のサービス場面なので楽しんでください。
同じ手法で有名なのが、「実盛物語(さねもりものがたり)」というお芝居の最後のほうです。

さらに浄瑠璃(語り)で、元ネタの「廿四孝」の主なエピソードに引っかけて登場人物を誉めます。内容書くと長いので割愛します。
悲しむお種さん、勇む横蔵と慈悲蔵など、それぞれの様子を描きながら、浄瑠璃(語り)と共に幕です。

最後の方で、「(慈悲深いはずの)慈悲蔵の胴欲と、横蔵の孝心と」みたいに言っているのが非情に印象深いです。

以上です。


お芝居とは直接関係ないですが、昔のものがたりなどによく出てくる、とあるフレーズがあります。
子供がすくすく育つ様子を表現するものです。

 宵に生えた筍(たかんな)の、夜中の露にはごくまれ、尺を伸ぶるがごとくなり

「はごくまれ」は、「育まれ」の転訛です。
(その子供が大きくなっていくさまは)夕方に芽を出したタケノコが、夜中の夜露に栄養をもらって、一晩で一尺(30センチくらい)ほども伸びてしまう。まさにそのように目ざましい成長である。
みたいな意味です。
柳田國男先生のおばあさんが、似たようなフレーズを言いながら「早く大きくなあれ」というかんじに寝かしつけてくれたそうです。

早春に芽吹き、みずみずしい味わいの「タケノコ」には、そういう、まっすぐに伸びる生命力、子供をいつくしむ気持ち、そんなイメージが重なっているのでしょう。
そんなイメージが、前半の病んだ母子関係、後半で死んでしまう子供の悲劇を引き立てるのだと思います。
そして、成長したふたりの兄弟は、たくましい若竹に重ねられるのだと思います。

まあ、まず出ません(笑)。


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