歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

「鈴ヶ森」 すずがもり

2013年06月18日 | 歌舞伎
急ぐとき用の3分あらすじは=こちら=になります。

「御存鈴ヶ森」(ごぞんじ すずがもり)というように、キャッチフレーズ部分と一体になったタイトルで呼ばれます。

ひと幕の短いお芝居で、とくにストーリーもありません。
登場人物のふたりが実在の人物で、当時は非常に有名だったキャラクターなので、
彼らのやりとりを見て楽しむだけのお芝居です。
逆言うと、このふたりや、当時の雰囲気についての知識がないと、何が面白いのかよくわからない一幕です。

主人公は「白井権八(しらい ごんぱち)」という若者です。
因幡(いなば、鳥取県のへん)の国のお侍の家に生まれましたが、
藩のなかでモメごとがあって、遺恨で相手を斬り殺してしまい、
江戸に逃げてきたところです。

場所は「鈴ヶ森(すずがもり)です」。いまの大井のへんにあった場所です。
JRの路線図をご覧になるとわかりますが、京浜東北線の、品川の手前が大井です。
品川は、日本橋の手前の最後の宿場です。
江戸のはずれのさびしい場所で、無頼なひとびとがたむろっています。
お芝居でも「おいはぎが出る」と言っています。
さらに、「鈴ヶ森」は、南町奉行所の管轄の処刑場のひとつでもありました。つまりヒトがたくさん死んでいる場所です。怖い!!
江戸のひとは「鈴ヶ森」と聞けば、すぐに「死刑場!! 」と思ったのです。
禍々しいタイトルなのです。

「雲助(くもすけ)」たちが会話をしています。
「雲助」というのは街道ぞいをウロウロしている、住所不定のお兄さんたちです。
江戸の街にはいません。「街道で暮らしている住所不定のひとびと」です。
小金があるときはバクチをし、お金がないときは駕篭かきや荷物運びで日銭を稼ぎますが、
駕籠に乗せたお客さんを脅してぼったくったりもする、
道中の治安を悪くしているひとたちです。
駕籠に乗るときは、「雲助」かどうか注意して乗らないといけません。

その「雲助」たちが真っ暗な夜の鈴ヶ森でたむろって、悪い相談をしています。
いかにも不吉でおそろしげな出だしです。

雲助の仲間がやってきて「御用金三百両を持った飛脚が来るらしい」みたいな話をします。
儲け話です!!

そこに運悪くやってきた飛脚。
こいつが御用金を持っているのか!?
身ぐるみはがれる飛脚。しかしお金は持っていません。
最初に飛脚に難癖つけるところで、飛脚に「駕籠に乗れ」と言うところが無理無体すぎておもしろいです。

しかも悪者たちは取った着物を飛脚に返してやりません。当時は着物はいいお値段で売れたので、少しでも金にしようと思っているのです。
飛脚は裸のままではもう仕事もできないので、このまま飛脚をやめて、雲助の仲間に入りたいと言います。

こうやって、治安の悪い地域では悪い仲間が悪い仲間を増やして、どんどんすさんでいくんだなという展開がリアルです。
仲間に入るしるしに、飛脚は持っていた状箱(じょうばこ)を渡します。
「状箱」というのは、お芝居を見ていれば「ああ、あれだな」とわかると思いますが、
宅配便の飛脚のマークさんがかついでいる、あれです。

飛脚の身ぐるみをはぐときに、持っている状箱もチェックしろよと思うのですが、
白井権八のこの時代はまだ現金でお金を運んでいたはずなので、
飛脚がお金を持っているとしたらフトコロにあって、「状箱」にはお金は入っていない、という設定なのだと思います。
江戸も後期になると、大都市間だと「為替取引」が主流になり、現金の運搬は減りますよ。というのは余談です。

ところでこの作品は、今はこの部分しか出ませんが、
もとは、「鶴屋南北(つるや なんぼく)」という人が書いた長いお芝居の一部です。
「鶴屋南北」は江戸後期の有名な作者です。「東海道四谷怪談(とうかいどう よつやかいだん)」を書いたひとです。
こういう社会の暗黒部分をリアルに書くのが非常に上手かったのです。

というわけで、この「御用金三百両」は、いま出る部分にはべつに関係ありません。
「三百両持った飛脚はいつ出てくるんだ」と気にしなくても大丈夫です。

飛脚の持っていた手紙は、因幡藩から江戸のお役人に送るものでした。
「因幡藩の白井権八(しらい ごんぱち)という男が人を斬って逃げた。江戸に行ったらしい。捕まえて引き渡してほしい」
みたいな内容です。
つまり、「白井権八」という若者を捕まえると賞金が出るのです。儲け話だ!!
気合を入れる雲助たち。
ああやっとお芝居の本筋に到達しました。長かった。
お芝居で見るとそんなに長くはないのですが、雰囲気を伝えるべくヨケイな事も書いてみました。

さあ、白井権八が登場します。
駕籠に乗っています。
この駕籠をかついでいるのもまじめな駕篭かきではなく、雲助です。
そもそも日が暮れたら、まともな旅人は宿場に泊まります。まともな駕篭かきも、仕事をしまって眠っています。
夜の街道を駕籠に乗って江戸まで行こうなどと考えるのは、よほどの「わけアリ」です。
それを乗せて夜道を走る駕篭かきも雲助に決まっているのです。

どーうーしても、深夜に駕籠で旅をしたい場合は、宿屋を通じて呼ぶといいですよ(無意味旅情報)。

権八は、江戸まで二朱(にしゅ)で乗せてもらう約束をしたのですが、
二朱では足りないと言われて駕籠から放り出されそうになります。

「朱」というのはお金の単位です。二朱は、750文から800文くらいの感覚です。
今の感覚だと8000円くらいです。
詳しくは=江戸時代の貨幣価値=をご参照ください。

ちなみに1740年ごろに書かれた「夏祭難波鑑(なつまつり なにわかがみ)」に
和泉から大阪まで駕籠で250文という値段がものすごく「ぼったくり」だというセリフがありますので、
当時の駕籠はかなり安かったのだと思います。
江戸後期、「東海道中膝栗毛」のころですと、1区画で200文くらいだったようです。
いずれにしても「二朱」という駕籠代は、ちょっとありえない値段だったのです。
市井の事情を知らない若いお侍がこういう形でだまされるのは、お芝居の定番の展開です。

さて、だまされて駕籠から放り出されそうになった権八は、
元服前の、キレイな顔をした10代の若者です。
若いお侍しか身に着けない、紅葉色(もみ)の股引が色っぽいのですが、
じつは強いのです。
あっさりとならずものの雲助ふたりを投げ飛ばします。

最初から舞台にいて悪い相談をしていた雲助たちは、モメているのをみてとりあえず止めに入るのです、
が、
権八の着物についている、家紋に気付きます。
さっき見た手紙に書いてあった家紋です。こいつが白井権八か!!

というわけで、雲助たちと、権八との立ち回りになります。

「立ち回り」と言っても、時代劇の殺陣のような激しいものではなく、わりとゆったりした動きです。
殺陣のリアリティーを楽しむというよりは、
権八の動きの美しさを楽しむ部分です。

ここで、舞台正面の大きな石碑の前でポーズを取る場面があります。
史実で白井(平井)権八は、最後にこの鈴ヶ森の刑場で磔獄門(はりつけごくもん)になって死にます。
そのときの様子を暗示している動きなのです。

色々あって、権八は雲助たちをみんな斬り捨てます。
全員斬ってしまうとかかなり乱暴な話ですが、当時の「鈴ヶ森」はそうやって身を守る必要があるほど危険な場所だったのです。

さて、
立ち回りの間に、舞台に駕籠がもうひとつやってきます。
駕籠の中から権八を見ている男がいます。貫禄のあるおじさんです。
「播随院長兵衛(ばんずいいん ちょうべえ)」といいます。もうひとりの主役です。

播随(院)長兵衛については「極附播随長兵衛(きわめつき ばんずいちょうべえ)」にわりと詳しく書いてありますが、
権八とほぼ同時代に実在した、江戸の侠客です。
「侠客(きょうかく)」にカテゴライズされていますが、いわゆるヤクザさん的な人ではなく、
無頼なお兄さんたちをまとめて、人材派遣業をやっていた人です。
詳しくは下に少し書きます。
さらに詳しくは、「極附播随長兵衛(きわめつき ばんずい ちょうべえ)」をご覧ください。

お芝居に戻ります。

長兵衛は駕籠の中から白井権八の見事な戦いぶりを見ています。
夜の鈴ヶ森で人が切りあっているのを見ても逃げず、ゆったりとその腕前を見物しているというのは、
そうとう胆のすわった大物です。
夜のマンハッタンの裏通りでギャングが撃ち合いしているのを、道端に停めた車の中からゆったり眺めているような雰囲気です。
ここの「怖い場所なのに逃げない大物っぷり」という雰囲気が、今は伝わりにくくなっているように思います。

戦い終わった権八は駕籠に気付きます。
というか真っ暗な夜の鈴ヶ森に提灯のついた駕籠があれば、いやでも気付きます。

ただ、斬り合いを見て駕籠かきが逃げてしまい、人がいないので、駕籠の中も無人だと思ってしまいます。
人を何人も斬ったので、刀の刃こぼれが気になる権八、提灯の火で刃の様子を確認します。
血のりがちゃんと拭き取れているかもチェックしなければなりません。

そこで、
駕籠の中に人がいるのに気付きます。
あわてて逃げようとするのを、長兵衛が呼び止めます。
ここの「お若けえの、待たっせえやし」というセリフは昔は有名でした。名台詞のひとつです。

権八の腕前を褒めた長兵衛は名を名乗って、江戸に着いたら自分を訪ねてくるように言います。
ここで「陰膳(かげぜん)すえて待っておりやす」と言います。
「陰膳」は、旅に出た近親者の無事を祈るために、毎日その食事を家で用意する風習ですが、
もう、あなたのことを家のもののつもりで、来るのを待っていますよ、と言っているのです。

権八は実際に江戸で長兵衛のところに寄宿して過ごしたらしく、
昔は「居候(いそうろう)」のことを「権八」と呼ぶ隠語もあったようですが、今は通じません。

ふたりのやりとりが続き、
権八が「あなたがあの有名な長兵衛さんですか」とほめ、長兵衛が謙遜するくだりなどがあります。

ここの「自分はそんなりっぱな長兵衛ではない」という台詞は、
初演の五代目幸四郎やその後の七代目団十郎などの名優たちに比べると、自分はたいしたことない、という意味の台詞です。
そのあとも、「お得意様を後ろ盾にているので強気でいける(後半意訳)」などと、
長兵衛としての立場と役者さんとしての立場をないまぜにして台詞を言います。
タイトルの前に「御存知」とつけるように、客がみんな知っている場面を人気役者が演じる舞台です。
多分にサービスシーン的な色合いがあったのです。

権八は、自分の身の上について、仕官したくて田舎から江戸に出てきた、と説明し、追われていることを隠します。

と、
長兵衛が、紙切れを拾います。
さっき飛脚が持っていた手紙の切れ端です。
半分だけなのですが、読んだ長兵衛は、権八の素性に気付きます。
しかし、この若者が気に入った長兵衛は、気付かないフリをしてその手紙を燃やします。

生き残っていた雲助が切りかかってくるのを権八が切り殺して、
お芝居はおわりです。


前半の恐ろしげな鈴ヶ森の様子、
そこに現れた美少年危機一髪→見事な立ち回り。ここが最大の見せ場です。
最後に長兵衛が出てきて人気役者揃い踏みでかっこいいやりとり。

という単純な内容です。
場面や人物のイメージがわからないと楽しみにくいかもしれませんが、
江戸中期のお芝居の鷹揚な、しかし重厚なかんじが伝わるといいなと思います。


長兵衛と平井権八について一応もう少し書きます。

長兵衛のやっていた「人材派遣」ですが、
江戸にいるお大名は、参勤交代で1年おきにしか江戸にいません。
お殿様が江戸にいない間は、家来もあまり雇っておきたくないのが人情です。
移動の際のいわゆる「大名行列」も、品川をすぎて見る人がいなくなれば数を減らしたいのです。
江戸にいる間も、月に何度か江戸城に登城する際にりっぱな行列が必要なのですが、
普段はそんなに大勢の家来は必要ありません。

というわけで、期間限定でしか必要ない下働きや行列のみに必要な「奴さん」たちを、短期派遣で雇ったのです。
この派遣の取りまとめをしていたのが、「播随院長兵衛(ばんずいいん ちょうべえ)」です。
フリーターなお兄さんたちを取りまとめて最低限の教育をし、トラブルなくお大名の屋敷で仕事をさせ、
閑散期には全員にごはんを食べさせるという腕っ節も必要なコワモテな業界人でもありながら、
一方でいくつものお大名家の顔が立つように陰でささえ、一目おかれるような存在でもある、そういう存在です。

武士階級を軸に発展しつつあった新興都市江戸を支えた、大物です。
旗本の「水野十郎左衛門(みずの じゅうろうざえもん)」とのもめごとの結果死んだのですが、
当時の江戸社会のヒーローでした。

水野とのもめごとを軸に書かれたお芝居が、「極附播随長兵衛(きわめつき ばんずい ちょうべえ)」です。


「白井権八」は、史実ですと本名は「平井権八(ひらい ごんぱち)」といいます。
生国である因幡藩(いなばはん)でモメごとの末に同輩を斬って江戸に逃げたのは事実です。
そこで、吉原の遊女の「小紫(こむらさき)」と恋人になり、遊郭の楽しさを覚えます。
しかし江戸に逃げてきて定職もない10代の若者に、遊郭で遊ぶ金があるはずはなく、
江戸の町で辻斬りを繰り返し、最後は捕まって、鈴ヶ森で処刑されます。
という、かなり破滅型の人生です。

権八は、1655年から1680年ごろの人とされるのですが、
江戸初期から1700年くらいまでは、お侍たちは、戦国時代の価値観を見失ってかなり迷走しており、
遺恨の末の「果し合い」や「敵討ち」などがひんぱんjに起きていました。
赤穂浪士の討ち入りも、それらの事件の中のひとつです。

井原西鶴がこれらの事件のいくつかをまとめて「武道伝来記(ぶとう でんらいき)」という作品を書いています。
史実にあった因幡藩での権八の事件も、これらに似た事件のひとつだったのでしょう。
ただ、「伝来記」に出てくる主人公たちは、遺恨をはらし終わると潔く切腹するか、出家するかしているのですが、
権八は江戸に逃げて、さらに遊郭に入り浸り、遊ぶ金ほしさに辻斬りをするという、
かなり、出来の悪い部類だと思います。

ですが、当時はセンセーショナルな事件があるとなんでもお芝居になったので、
これもお芝居になりました。
お芝居の中で白井権八は美化され、美しい遊女との恋ものがたりが人気を集めて
波乱の生涯を送った美青年として人気が定着してしまったのだと思います。

白井権八をモチーフにした作品は、これ以外ですと
其小唄夢廓(そのこうた ゆめもよしわら)」というのが残っています。
これも上下2巻になっているうちの、今は前半の「上」しか出ません。
権八が、まさに鈴ヶ森で死刑になる場面で始まり、処刑場での陰惨で悲しい場面が暗転して、
「今のは夢であったか」となり、
今は、恋人の小紫(こむらさき)とラブラブなまだ幸せな時期の場面になります。
でももはや辻斬りに手は染めているので、
なんとなく将来に不安を残しつつ、今の楽しい時間をすごしている、みたいな内容です。


昔は、因幡藩での事件をお家騒動に仕立て、権八は悪者を斬ってやむなく江戸に逃げて長兵衛と出会い、遊女の小紫とも出会う、
というような長いお芝居がたくさん作られたのですが、
今はどれも残っていません。
播随長兵衛とその子分たち、それに権八がそろいの衣装で傘を持ってずらりと並ぶ、
白浪五人男」の「勢揃い」のような場面があるお芝居までありました。人気演目だったのです。

そのなかの定番中の定番の人気シーン、「長兵衛との出会いの場面」だけを切り取って出しているのがこの作品です。

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