「毛谷村」は、けやむら、と読みます。重箱読みですが、実在の地名なのでしかたありません。
「彦山権現誓助剣」ひこさんごんげん ちかいのすけだち というお芝居の九段目にあたります。
というわけでこれも、とても長いお芝居の一部です。
もとは文楽の作品です。お人形芝居です。
文楽作品なのですが、上演時に細かい事情があるので下に書きました。
ここ以外の部分はまず出ませんが、ストーリーそのものはかなりメリハリがあっておもしろいです。
たしか十数年前に、通し上演されています。
さて、この作品、「○○もの」というジャンル分けで言うと、なんと
「太閤記もの」に当たります。
といってもこの「毛谷村」だけ見るぶんには、太閤さまはまったく出ません。
太閤さまはともかく、大筋として、この作品は「敵討ち狂言」です。
全体の流れと登場人物を書くと、
殺されたひと→ 吉岡 一味斎(よしおか いちみさい)
剣の達人で毛利藩の剣術師範です。
その弟子→ 毛谷村 六助(けやむら ろくすけ)
強いです。豊前の国の毛谷村(田舎の山の中)に住んでいるので師匠が殺されたことすら知りません。
殺されたひとの娘→ お園(おその)
女子ですがかなり強いです。父の敵討ちための旅をしています。
六助とお園は親が決めたいいなずけ(婚約者)なのですが、会ったことがありません(昔はめずらしいハナシじゃありません)。
殺したひと→京極内匠(きょうごく たくみ)、悪人です。そこそこ強いです。
今は「微塵弾正(みじん だんじょう)」と名乗っています。流派が「微塵流」なのでそこから名前を取っています。
この場面では、ストーリーは二重構造になっています。
上演しない大きな流れの中で、悪人の「京極内匠(微塵弾正)」はお園の父を殺し、さらに敵を討とうとしたお園の妹のお菊ちゃんも殺しています。
このへんはお芝居の中でセリフで語られる(はしょってなければ)のですが、
聞き取れないと思うので一応覚えて行ったほうがいいと思います。
六助のおうちにいる子供、弥三松(やさまつ)くんは、殺されたお菊ちゃんの息子です。
この段の小さな流れの中で、「微塵弾正(京極内匠)」は、六助をだまして土地のお殿様(細川さま)の前での試合にわざと負けさせ、
まんまと仕官(就職)しています。
六助にヤラセ試合をさせるために微塵弾正はそのへんにいたおばあさんを背負ってつれて来て、「母親だ」といいます。
そして「母親を安心させたい」と親孝行を理由に「ズル」も片棒をかつがせるのです。
もちろん全部ウソです。
この、ニセ母親を連れて来て交渉する部分も本当は存在するのですが、いまはカットで、セリフだけで説明するかもしれません。
六助が、あずかっている子供の弥三松(やさまつ)くんと暮らしているところにお園ちゃんがやってくるあたりから始まるのが
今は定形かと思います。
弥三松くんの着物が干してあるのを見て、六助が妹の敵だと勘違いしたお園が六助に斬りかかったり、誤解がとけたり、
お互いいいなずけ(婚約者)だとわかってびっくりしたりして、
だんだんお互いの状況がわかってきます。
やがて、微塵壇上が「母だ」といっていたおばあさんが、殺されてそのへんに捨てられているのが見つかります。
いろいろあって、六助は自分が微塵壇上にだまされていた事を知ります。親孝行だと思って助けたのに!!
悔しがる六助、さらにそのだました男と、お園が狙う男が同一人物であるのがわかります。
共通の敵!!
さあ、敵討ちです。六助もいいなず(婚約者)けですから助太刀しますよ。
というところでこの段は終わりです。
というわけで、
お園ちゃんが追う「京極内匠」という男と、この幕に出てくる「微塵弾正」という悪人とが同一人物だということが
お芝居の後半でわかり、
そこから「六助が助太刀してお園ちゃんが敵討ちに乗り込むぞ」という方向にふたりの気持ちが高まっていくわけですが、
セリフを聞き取れないと付いて行きにくいのがこのお芝居の難点です。
がんばって付いて行ってください。
現行上演での見どころは、むしろ前半部分のお園ちゃんです。
男装して虚無僧姿で出てくるところから、六助が自分のいいなずけだとわかって、急にウキウキするへんまでのお園ちゃんは非常に魅力的でかわいいです。
つまり現行上演、この作品は「お園」ちゃんのお芝居です。
お園ちゃんは武道の達人であること、敵討ちの最中であること、はじめ男装して出てくることなどから
「女武道(おんなぶどう)」という役柄の典型のように言われがちな役です。
が、「女武道」というのはべつに刀を振り回す役である必要はないのです。
武士の妻(娘)であって、武道の心得があり、武士と同じ強い意志を持ち。お侍らしく筋の通った行動をする女性であれば、
基本的に「女武道」にカテゴライズしていいのです。
表面的な「武道」という言葉に惑わされて内面を見失ってはいけないと思います。
お園という役の魅力は、その意志の強さやその強さに裏打ちされた優しさです。
「男まさり」は「男と同じようだ」ではないのです。
六助は、力も強く、武芸に秀で、性格もよく親孝行、と非の打ち所のないいい男ですが、
そのせいでかえって特徴がなくて損な役かもしれません。
イナカモノなので垢抜けないところがあり、かっこよさが表現しにくいところも難しいと思います。
本当は、「強い男」らしい余裕のある優しさやおおらかさ、愛嬌で見せる役です。
そのへんの魅力がうまく伝わると、後半、事情を知って怒った六助が敵討ちに参加することを決めてから、実際に敵討ちに出発まで、
ストーリーはとしては終わっているのにけっこう長いのですが、そこを楽しめるだろうと思います。
六助は、上方の役者さんが鷹揚なかんじになさるのが本来のイメージだと思いますが、
東京の役者さんがなさる、すこしすっきりしたイメージの六助も魅力的です。
うららかな田舎の山の中、若い初々しい男女のほほえましい、明るい舞台です。
子役もかわいいです。楽しんでください。
せっかくだからこの後どうなるか書くと、
「毛谷村」の次の段は敵討ちの試合の場面になります。舞台は細川藩のお屋敷の庭です。
悪人の「京極内匠(微塵弾正)」がここに剣術師範として召し抱えられています。
ここに、六助が道場破りのように入っていって戦います。
六助はこの一帯では有名な剣の使い手なのです。細川のお殿様も何度も召抱えようとしては断られているという設定なので
わりと無理が通るのです。
さて
「京極内匠」は実は明智光秀の子供で、秀吉が探している「蛙丸(かわずまる)」という銘刀を持っています。
戦いながら六助が「蛙丸」を取り返します。
奥の間で見ていた細川のお殿様が現れて、お褒めの言葉をくれます。
そのあと六助は細川藩の家臣の力自慢たちと相撲を取って40人だか60人抜きだかをやってみせます。強いぞ。
そして、その場で見ていた加藤清正(お芝居では「正清」に武士に取り立てられて、朝鮮出兵に加わることになります。
おわりです(ざっくり)。
「毛谷村」の後にこういう場面が続くんだなあと思って見ていただくと、六助というキャラクターの立ち位置がわかりやすくなり、
後半のあまりお話に動きのない部分も楽しめるかもしれません。
少し「太閤記もの」を見た気分にもなれるかもしれません(笑)。
この「毛谷村六助(けやむら ろくすけ)」は、豊前の国の彦山に実在した大力無双の男だそうです。
朝鮮出兵に加わったのも史実のようです。
お芝居にも出てくる「六助が踏んでへこませた石」が当地に残ってるそうですよ。
↓以降、この幕にはあまり関係のない小ネタです。
さて、歌舞伎には文楽からの移入作品がかなり多いのです。「丸本もの」と呼びます。
ストーリーや設定がしっかりしていて重厚な作品が多いのが特徴です。
この「毛谷村」、というか「彦山権現誓助剣(ひこさんごんげん ちかいのすけだち)」という作品も「丸本もの」です。
が、ちょっと事情が特殊で、
浄瑠璃作者、つまり文楽の脚本を書くひとが、「浄瑠璃作品」として、「歌舞伎」に書き下ろした、というものです。
歌舞伎のために書いたんなら歌舞伎の脚本じゃん、と言われそうですが、
文楽は人形芝居ですからセリフも地の文も、すべて太夫さんが一人で「語り」ます。小説の朗読に近いです。
なのでそれを、歌舞伎で上演する際には、「セリフ」と「語り」とを分けたりして「脚本」としてアレンジする必要があります。
だから、この作品は今で言うと「映画化を前提にまるまる書き下ろされた小説」をイメージするといいかもしれません。
そういうちょっと変わった作品です。
というわけで、この場面には出ないのですが通しで出すと、「衣川 弥三郎(きぬがわ やさぶろう)」という美男子が出ます。
お園の妹のお菊ちゃんの恋人役です。「毛谷村」に出てくる男の子の父親でもあります。
さて、この役、「毛谷村」には出番はないのですが、通しで出すと非常に出番が多いです。
が、「出るだけ」なのです。
場面の初めに出てきてちらっとセリフを言って、あとはなにもしないで座っているのです。
でも、「何度も出る」し「かっこよくて目立つ」のです。
どう考えても、若いムスメに人気があって、でもお芝居は下手な、若手美男俳優のための役です(断言)。
というかあまりにこの役の出かたが不自然なので、
「下手だけど顔はいい役者をムリクリ出すためにやってるとしか思えない。
もしや歌舞伎上演を意識して書かれたのだろうか?」と思って調べてみたら、上記のような事情でした。
おそらく歌舞伎側のヒトが浄瑠璃作者に「芝居用に一本なんぞ書いておくんなはれ」と頼んだ際、
芝居:「ウチの若手の○○×之丞(仮名)が、最近えらい人気がおますよってに、
×之丞の出番をぎょうさんこさえたっておくんなはれ」
浄瑠璃:「へえへえ、どうにでもしまひょ」
芝:「そやけど、その×之丞は、キョウトい(ものすごい)「でえこ(大根)」でおまっさかい、大事な役はようさせへんのや、
芝居のじゃまにならへんようにあんばいしたっておくんなはれ」
浄:「難儀なこってすなあ、まあ、どうにでもしまひょ」
芝:「あんじょう頼んまっせ」
というようなやりとりがあったに違いないです(妄想)。
=50音索引に戻る=
「彦山権現誓助剣」ひこさんごんげん ちかいのすけだち というお芝居の九段目にあたります。
というわけでこれも、とても長いお芝居の一部です。
もとは文楽の作品です。お人形芝居です。
文楽作品なのですが、上演時に細かい事情があるので下に書きました。
ここ以外の部分はまず出ませんが、ストーリーそのものはかなりメリハリがあっておもしろいです。
たしか十数年前に、通し上演されています。
さて、この作品、「○○もの」というジャンル分けで言うと、なんと
「太閤記もの」に当たります。
といってもこの「毛谷村」だけ見るぶんには、太閤さまはまったく出ません。
太閤さまはともかく、大筋として、この作品は「敵討ち狂言」です。
全体の流れと登場人物を書くと、
殺されたひと→ 吉岡 一味斎(よしおか いちみさい)
剣の達人で毛利藩の剣術師範です。
その弟子→ 毛谷村 六助(けやむら ろくすけ)
強いです。豊前の国の毛谷村(田舎の山の中)に住んでいるので師匠が殺されたことすら知りません。
殺されたひとの娘→ お園(おその)
女子ですがかなり強いです。父の敵討ちための旅をしています。
六助とお園は親が決めたいいなずけ(婚約者)なのですが、会ったことがありません(昔はめずらしいハナシじゃありません)。
殺したひと→京極内匠(きょうごく たくみ)、悪人です。そこそこ強いです。
今は「微塵弾正(みじん だんじょう)」と名乗っています。流派が「微塵流」なのでそこから名前を取っています。
この場面では、ストーリーは二重構造になっています。
上演しない大きな流れの中で、悪人の「京極内匠(微塵弾正)」はお園の父を殺し、さらに敵を討とうとしたお園の妹のお菊ちゃんも殺しています。
このへんはお芝居の中でセリフで語られる(はしょってなければ)のですが、
聞き取れないと思うので一応覚えて行ったほうがいいと思います。
六助のおうちにいる子供、弥三松(やさまつ)くんは、殺されたお菊ちゃんの息子です。
この段の小さな流れの中で、「微塵弾正(京極内匠)」は、六助をだまして土地のお殿様(細川さま)の前での試合にわざと負けさせ、
まんまと仕官(就職)しています。
六助にヤラセ試合をさせるために微塵弾正はそのへんにいたおばあさんを背負ってつれて来て、「母親だ」といいます。
そして「母親を安心させたい」と親孝行を理由に「ズル」も片棒をかつがせるのです。
もちろん全部ウソです。
この、ニセ母親を連れて来て交渉する部分も本当は存在するのですが、いまはカットで、セリフだけで説明するかもしれません。
六助が、あずかっている子供の弥三松(やさまつ)くんと暮らしているところにお園ちゃんがやってくるあたりから始まるのが
今は定形かと思います。
弥三松くんの着物が干してあるのを見て、六助が妹の敵だと勘違いしたお園が六助に斬りかかったり、誤解がとけたり、
お互いいいなずけ(婚約者)だとわかってびっくりしたりして、
だんだんお互いの状況がわかってきます。
やがて、微塵壇上が「母だ」といっていたおばあさんが、殺されてそのへんに捨てられているのが見つかります。
いろいろあって、六助は自分が微塵壇上にだまされていた事を知ります。親孝行だと思って助けたのに!!
悔しがる六助、さらにそのだました男と、お園が狙う男が同一人物であるのがわかります。
共通の敵!!
さあ、敵討ちです。六助もいいなず(婚約者)けですから助太刀しますよ。
というところでこの段は終わりです。
というわけで、
お園ちゃんが追う「京極内匠」という男と、この幕に出てくる「微塵弾正」という悪人とが同一人物だということが
お芝居の後半でわかり、
そこから「六助が助太刀してお園ちゃんが敵討ちに乗り込むぞ」という方向にふたりの気持ちが高まっていくわけですが、
セリフを聞き取れないと付いて行きにくいのがこのお芝居の難点です。
がんばって付いて行ってください。
現行上演での見どころは、むしろ前半部分のお園ちゃんです。
男装して虚無僧姿で出てくるところから、六助が自分のいいなずけだとわかって、急にウキウキするへんまでのお園ちゃんは非常に魅力的でかわいいです。
つまり現行上演、この作品は「お園」ちゃんのお芝居です。
お園ちゃんは武道の達人であること、敵討ちの最中であること、はじめ男装して出てくることなどから
「女武道(おんなぶどう)」という役柄の典型のように言われがちな役です。
が、「女武道」というのはべつに刀を振り回す役である必要はないのです。
武士の妻(娘)であって、武道の心得があり、武士と同じ強い意志を持ち。お侍らしく筋の通った行動をする女性であれば、
基本的に「女武道」にカテゴライズしていいのです。
表面的な「武道」という言葉に惑わされて内面を見失ってはいけないと思います。
お園という役の魅力は、その意志の強さやその強さに裏打ちされた優しさです。
「男まさり」は「男と同じようだ」ではないのです。
六助は、力も強く、武芸に秀で、性格もよく親孝行、と非の打ち所のないいい男ですが、
そのせいでかえって特徴がなくて損な役かもしれません。
イナカモノなので垢抜けないところがあり、かっこよさが表現しにくいところも難しいと思います。
本当は、「強い男」らしい余裕のある優しさやおおらかさ、愛嬌で見せる役です。
そのへんの魅力がうまく伝わると、後半、事情を知って怒った六助が敵討ちに参加することを決めてから、実際に敵討ちに出発まで、
ストーリーはとしては終わっているのにけっこう長いのですが、そこを楽しめるだろうと思います。
六助は、上方の役者さんが鷹揚なかんじになさるのが本来のイメージだと思いますが、
東京の役者さんがなさる、すこしすっきりしたイメージの六助も魅力的です。
うららかな田舎の山の中、若い初々しい男女のほほえましい、明るい舞台です。
子役もかわいいです。楽しんでください。
せっかくだからこの後どうなるか書くと、
「毛谷村」の次の段は敵討ちの試合の場面になります。舞台は細川藩のお屋敷の庭です。
悪人の「京極内匠(微塵弾正)」がここに剣術師範として召し抱えられています。
ここに、六助が道場破りのように入っていって戦います。
六助はこの一帯では有名な剣の使い手なのです。細川のお殿様も何度も召抱えようとしては断られているという設定なので
わりと無理が通るのです。
さて
「京極内匠」は実は明智光秀の子供で、秀吉が探している「蛙丸(かわずまる)」という銘刀を持っています。
戦いながら六助が「蛙丸」を取り返します。
奥の間で見ていた細川のお殿様が現れて、お褒めの言葉をくれます。
そのあと六助は細川藩の家臣の力自慢たちと相撲を取って40人だか60人抜きだかをやってみせます。強いぞ。
そして、その場で見ていた加藤清正(お芝居では「正清」に武士に取り立てられて、朝鮮出兵に加わることになります。
おわりです(ざっくり)。
「毛谷村」の後にこういう場面が続くんだなあと思って見ていただくと、六助というキャラクターの立ち位置がわかりやすくなり、
後半のあまりお話に動きのない部分も楽しめるかもしれません。
少し「太閤記もの」を見た気分にもなれるかもしれません(笑)。
この「毛谷村六助(けやむら ろくすけ)」は、豊前の国の彦山に実在した大力無双の男だそうです。
朝鮮出兵に加わったのも史実のようです。
お芝居にも出てくる「六助が踏んでへこませた石」が当地に残ってるそうですよ。
↓以降、この幕にはあまり関係のない小ネタです。
さて、歌舞伎には文楽からの移入作品がかなり多いのです。「丸本もの」と呼びます。
ストーリーや設定がしっかりしていて重厚な作品が多いのが特徴です。
この「毛谷村」、というか「彦山権現誓助剣(ひこさんごんげん ちかいのすけだち)」という作品も「丸本もの」です。
が、ちょっと事情が特殊で、
浄瑠璃作者、つまり文楽の脚本を書くひとが、「浄瑠璃作品」として、「歌舞伎」に書き下ろした、というものです。
歌舞伎のために書いたんなら歌舞伎の脚本じゃん、と言われそうですが、
文楽は人形芝居ですからセリフも地の文も、すべて太夫さんが一人で「語り」ます。小説の朗読に近いです。
なのでそれを、歌舞伎で上演する際には、「セリフ」と「語り」とを分けたりして「脚本」としてアレンジする必要があります。
だから、この作品は今で言うと「映画化を前提にまるまる書き下ろされた小説」をイメージするといいかもしれません。
そういうちょっと変わった作品です。
というわけで、この場面には出ないのですが通しで出すと、「衣川 弥三郎(きぬがわ やさぶろう)」という美男子が出ます。
お園の妹のお菊ちゃんの恋人役です。「毛谷村」に出てくる男の子の父親でもあります。
さて、この役、「毛谷村」には出番はないのですが、通しで出すと非常に出番が多いです。
が、「出るだけ」なのです。
場面の初めに出てきてちらっとセリフを言って、あとはなにもしないで座っているのです。
でも、「何度も出る」し「かっこよくて目立つ」のです。
どう考えても、若いムスメに人気があって、でもお芝居は下手な、若手美男俳優のための役です(断言)。
というかあまりにこの役の出かたが不自然なので、
「下手だけど顔はいい役者をムリクリ出すためにやってるとしか思えない。
もしや歌舞伎上演を意識して書かれたのだろうか?」と思って調べてみたら、上記のような事情でした。
おそらく歌舞伎側のヒトが浄瑠璃作者に「芝居用に一本なんぞ書いておくんなはれ」と頼んだ際、
芝居:「ウチの若手の○○×之丞(仮名)が、最近えらい人気がおますよってに、
×之丞の出番をぎょうさんこさえたっておくんなはれ」
浄瑠璃:「へえへえ、どうにでもしまひょ」
芝:「そやけど、その×之丞は、キョウトい(ものすごい)「でえこ(大根)」でおまっさかい、大事な役はようさせへんのや、
芝居のじゃまにならへんようにあんばいしたっておくんなはれ」
浄:「難儀なこってすなあ、まあ、どうにでもしまひょ」
芝:「あんじょう頼んまっせ」
というようなやりとりがあったに違いないです(妄想)。
=50音索引に戻る=
毛谷村、演舞場で観て来ました。
六助は染五郎さん、お園が亀治郎さんだったのですが、二人がとってもかわいかったです。
六助は田舎者というのはなんとなーくわかりましたが、染五郎さんなのでかっこよかったです。
お園は、眉尻がすごく上がっててキツイ感じの顔でびっくりしちゃったのですが、六助さんが許婚と知って、照れながらご飯炊いたりし出すのがおもしろかったです。
虚無僧の尺八で空気をふーっと吹き込もうとしたり。
いろんな疑問でいっぱいになって、これからいろいろ調べようと思っていますが、
虚無僧はなぜ尺八を吹くのでしょうか?
その意味はなんなんでしょうか?
(自分で調べますので・・・)