先日、
稚内→網走
をオホーツク海沿いでバスを乗り継ぎしてきましたのでその時の様子をレポートします。
第1ランナー 宗谷バス 稚内駅前バスターミナル9:02→浜頓別バスターミナル11:36
№465(旭川22か1055 三菱ふそうKC-MS829P)
スタートは稚内からです。稚内駅前バスターミナルは稚内駅前の再開発に伴い、バスターミナルが仮のものになっていました。そんな中で9時前に音威子府行きのエアロバスがやってきて、私含む2人が乗車しました。その後、稚内市街を通り、ほどなくして街が途切れます。
街が途切れると、この様な風景が続きます。あたりには何もなく、道路が単に続くだけという状態が見られます。しかし、時折牧場や草原などがあり北海道らしい風景が続きます。このバスは天北線代替バスである事から天北線のルートを辿っていきます。写真は曲淵~小石間の風景ですが、見事に何もありません。鬼志別を過ぎると、オホーツク沿いを走るようになります。
曲淵~小石間の運賃表示です。1区間だけでも
570円
もします。鉄道時代も途中に駅が無かったのでそのままですな・・・。
稚内駅前バスターミナルから2時間半走り続けて
浜頓別バスターミナル
に到着しました。バスターミナルは浜頓別市街の外れにあり、4つのバス乗り場を擁する大きなバスターミナルでした。とはいえ、来るバスは少数です。尚、建物には天北線に関する展示があったほか、乗車当日は長崎原爆の日であった事から長崎原爆に関する展示もありました。
第2ランナー 宗谷バス 浜頓別バスターミナル11:55→枝幸ターミナル12:40
№450(旭川22か 928 日野U-HU2MMAA)
浜頓別で興浜北線代替バスである浜頓別線に乗り換えます。車両は日野HUでしたが、元は天北線代替バス用だったもので、今年の新車投入により枝幸へ転属したものです。ここで数人を乗せて出発しました。
浜頓別線はオホーツク海沿いを走る事もあり、オホーツク海を眺めるシーンが多くなりました。でも、随時に集落内に立ち寄ってケースが目立っていましたが、枝幸に近づくにつれてどんどん乗客が乗ってきました。子供から老人まで幅広かったのですが、それほど活気のある様子を見るのは初めてでした。何せ、天北線の時はずーっと閑散してたのですから・・・。
枝幸の市街地の中に入ると、
枝幸ターミナル
に到着しました。ターミナルには宗谷バスの枝幸営業所が併設されており、枝幸近辺の路線を担当する車両が数台いました。その中に新車のレインボーⅡがいたとは驚きでした。
第3ランナー 宗谷バス 枝幸ターミナル13:00→道の駅雄武14:07
№448(旭川22か 929 日野U-HU2MMAA)
枝幸から雄武へ向かう音標・雄武線に乗ります。この路線は鉄道代替バスではなく、純粋たるバス路線ですが、かってはこの区間にも鉄道を敷く予定でした。
枝幸から地元客が多数乗り込んで、定員からほぼ半分の状態で出発します。枝幸市街を出ると、オホーツク海の側をひたすら走りますが、時々大雨になったりと不安定な状態が続いていました。しかし、乗客は枝幸から離れて行くたびにどんどん下車していき、最終的には数人しか残っていないという状態になりました。
音標・雄武線の特徴は何とも言っても、バス停の名称が
アイヌ語
になっている事です。しかも、漢字の当て字ではなくカタカナのままでした。写真はオッチャラベですが、アイヌ語で何と言うのか知る由もありませんが、ともかく地名として残っているようですね。片仮名の停留所は少なくとも2ヶ所はありました。
オホーツク海に沿ったまま
道の駅雄武
に到着しました。雄武はバスターミナルが無く、代わりに道の駅に発着しています。尚、音標・雄武線の終点は雄武国保病院で、折り返し待機もそちらで行います。
第4ランナー 北紋バス 雄武15:20(雄武高校入口15:15)→紋別バスターミナル16:30
北見200か 218 三菱ふそうPJ-MP35JM
雄武から興浜南線代替バスである雄武線に乗車します。ここにきて初めて事業者が北紋バスに変わります。雄武線は雄武からではなく、少し離れた雄武高校入口からになります(雄武市街地の利便性を考慮しているのでしょうか・・・)。雄武高校入口から雄武国保病院を経て道の駅雄武に入り、ここからオホーツク海に沿って南下していきます。
雄武の市街地を抜けると、オホーツク海に沿った草原の中を走るようになります。しかし、辺りには何もないのでバスはただ走るだけという状態でしたが、高地の中を走っていた事もあり、オホーツク海の眺めは素晴らしかったものです。途中の興部からかっての名寄本線の区間に入り、渚滑などを経て紋別の市街地に入ります。
紋別の中心部にある
紋別バスターミナル
です。紋別はオホーツク海沿いの中でも一番大きな街で、市内循環線が運行されるほど公共交通が充実しています。バスターミナルには4つの乗り場がありますが、バスは近隣の紋別高校は行ったり、回送で出入りしたりしているので、待機のバスはありませんでした。
紋別は近くに漁港がある事もあり、海の幸の匂いがしてきました。更に市街地としての設備が一通り揃っていたのも驚きでした。
第5ランナー 北紋バス 紋別バスターミナル17:20→中湧別文化センタートム18:15(遠軽駅18:45)
北見22う 356 (三菱ふそうKC-MP717M)
紋別から遠軽線に乗ります。遠軽線は名寄本線代替バスで北海道北見バスと共同運行していますが、今回は北紋バスが担当していました。
紋別を出ると、市街地の中をしばらく走ってほどなくして市街地が途絶えます。途中に元紋別バス停があり、そこには北紋バスの本社が隣接していたのですが、その場所は市街地の外れにあった事に驚きました・・・(中心部へわざわざ回送してたのか・・・)。途中で紋別空港入口バス停があったのですが、周辺は草原のみで何もない所でした(その場所は旧紋別空港の近くとか・・・)。
紋別を出ると、バスはそのまま何もない所を走るのですが、今回はオホーツク海から離れて行った事もあり、林と草原の中が多かったのでした。中には牧場の中を走る時もありました。写真は
中湧別付近
です。中湧別付近は国道242号線を走るのですが、2車線道路ながらかなり幅広く、開拓地の北海道らしい風景でした。今回の乗り継ぎは中湧別文化センタートムで降りるところですが、中湧別からの先の路線がもう運行を終了している事もあり、遠軽まで乗り通し、遠軽で宿泊して次の日の朝に中湧別まで戻りました。
というか、オホーツク海沿いの路線はいずれも本数が少ないかつ接続が悪いケースが多いので、一日中に稚内から網走まで行く事は不可能になっています。その点が悩みどころやけどね・・・。
写真は
中湧別文化センタートム
です。名寄本線の中湧別駅のあったところで文化センターの側にバスターミナルが設けられていました。バスターミナルの奥には中湧別駅跡を利用した資料館もあります。
第6ランナー 網走バス 中湧別7:15→網走バスターミナル9:31
北見200か 86 (三菱ふそうKK-MK25HJ)
中湧別から網走バスの湧網線に乗ります。こちらは湧網線代替バスとなっています。中湧別を出ると、すぐに市街地を抜け出し、何もない所をひたすら通って行くだけになります。しかし、この路線はこれまでの路線とは違い、草原の中を走ることは少なく、常に山と隣り合わせでした。なので地平線もなかなか見えません・・・。それに○号線のバス停が続いていました。
湧網線の大きな特徴は
サロマ湖
です。サロマ湖の側を走る事が多く、途中に観光施設も立ち寄っています。尚、途中に計呂地バス停があるのですが、そこには旧湧網線の駅舎が残っていて、蒸気機関車と客車が保存されていました。
こちらは
佐呂間バス停
です。建物は小ぢんまりとしていますが、網走バスの佐呂間営業所を併設しており、湧網線の一部はここを起終点としています。他に遠軽や留辺蘂駅から北海道北見バスのバスが乗り入れています。
中湧別から2時間16分かけてようやく終点の
網走バスターミナル
に到着しました。稚内から丸一日バスを乗り継いでここまで来たわけですが、オホーツク海沿いの鉄道の無い街をいくつか通ってきました。鉄道が無いにもかかわらず、街は機能していて、バスが唯一の公共交通として機能している事がわかりました。
実は稚内~網走間のバス乗り継ぎは今年の9月末で
不可能
となるのです。というのは網走バスの湧網線が9月末限りで廃止され、網走~常呂間の常呂線に生まれ変わる予定なのです。オホーツク海を沿いながらバスを乗り継ぐのもあと少しです・・・。しかし、それぞれの街に表情があり、なかなかいいものでした。
稚内→網走
をオホーツク海沿いでバスを乗り継ぎしてきましたのでその時の様子をレポートします。
第1ランナー 宗谷バス 稚内駅前バスターミナル9:02→浜頓別バスターミナル11:36
№465(旭川22か1055 三菱ふそうKC-MS829P)
スタートは稚内からです。稚内駅前バスターミナルは稚内駅前の再開発に伴い、バスターミナルが仮のものになっていました。そんな中で9時前に音威子府行きのエアロバスがやってきて、私含む2人が乗車しました。その後、稚内市街を通り、ほどなくして街が途切れます。
街が途切れると、この様な風景が続きます。あたりには何もなく、道路が単に続くだけという状態が見られます。しかし、時折牧場や草原などがあり北海道らしい風景が続きます。このバスは天北線代替バスである事から天北線のルートを辿っていきます。写真は曲淵~小石間の風景ですが、見事に何もありません。鬼志別を過ぎると、オホーツク沿いを走るようになります。
曲淵~小石間の運賃表示です。1区間だけでも
570円
もします。鉄道時代も途中に駅が無かったのでそのままですな・・・。
稚内駅前バスターミナルから2時間半走り続けて
浜頓別バスターミナル
に到着しました。バスターミナルは浜頓別市街の外れにあり、4つのバス乗り場を擁する大きなバスターミナルでした。とはいえ、来るバスは少数です。尚、建物には天北線に関する展示があったほか、乗車当日は長崎原爆の日であった事から長崎原爆に関する展示もありました。
第2ランナー 宗谷バス 浜頓別バスターミナル11:55→枝幸ターミナル12:40
№450(旭川22か 928 日野U-HU2MMAA)
浜頓別で興浜北線代替バスである浜頓別線に乗り換えます。車両は日野HUでしたが、元は天北線代替バス用だったもので、今年の新車投入により枝幸へ転属したものです。ここで数人を乗せて出発しました。
浜頓別線はオホーツク海沿いを走る事もあり、オホーツク海を眺めるシーンが多くなりました。でも、随時に集落内に立ち寄ってケースが目立っていましたが、枝幸に近づくにつれてどんどん乗客が乗ってきました。子供から老人まで幅広かったのですが、それほど活気のある様子を見るのは初めてでした。何せ、天北線の時はずーっと閑散してたのですから・・・。
枝幸の市街地の中に入ると、
枝幸ターミナル
に到着しました。ターミナルには宗谷バスの枝幸営業所が併設されており、枝幸近辺の路線を担当する車両が数台いました。その中に新車のレインボーⅡがいたとは驚きでした。
第3ランナー 宗谷バス 枝幸ターミナル13:00→道の駅雄武14:07
№448(旭川22か 929 日野U-HU2MMAA)
枝幸から雄武へ向かう音標・雄武線に乗ります。この路線は鉄道代替バスではなく、純粋たるバス路線ですが、かってはこの区間にも鉄道を敷く予定でした。
枝幸から地元客が多数乗り込んで、定員からほぼ半分の状態で出発します。枝幸市街を出ると、オホーツク海の側をひたすら走りますが、時々大雨になったりと不安定な状態が続いていました。しかし、乗客は枝幸から離れて行くたびにどんどん下車していき、最終的には数人しか残っていないという状態になりました。
音標・雄武線の特徴は何とも言っても、バス停の名称が
アイヌ語
になっている事です。しかも、漢字の当て字ではなくカタカナのままでした。写真はオッチャラベですが、アイヌ語で何と言うのか知る由もありませんが、ともかく地名として残っているようですね。片仮名の停留所は少なくとも2ヶ所はありました。
オホーツク海に沿ったまま
道の駅雄武
に到着しました。雄武はバスターミナルが無く、代わりに道の駅に発着しています。尚、音標・雄武線の終点は雄武国保病院で、折り返し待機もそちらで行います。
第4ランナー 北紋バス 雄武15:20(雄武高校入口15:15)→紋別バスターミナル16:30
北見200か 218 三菱ふそうPJ-MP35JM
雄武から興浜南線代替バスである雄武線に乗車します。ここにきて初めて事業者が北紋バスに変わります。雄武線は雄武からではなく、少し離れた雄武高校入口からになります(雄武市街地の利便性を考慮しているのでしょうか・・・)。雄武高校入口から雄武国保病院を経て道の駅雄武に入り、ここからオホーツク海に沿って南下していきます。
雄武の市街地を抜けると、オホーツク海に沿った草原の中を走るようになります。しかし、辺りには何もないのでバスはただ走るだけという状態でしたが、高地の中を走っていた事もあり、オホーツク海の眺めは素晴らしかったものです。途中の興部からかっての名寄本線の区間に入り、渚滑などを経て紋別の市街地に入ります。
紋別の中心部にある
紋別バスターミナル
です。紋別はオホーツク海沿いの中でも一番大きな街で、市内循環線が運行されるほど公共交通が充実しています。バスターミナルには4つの乗り場がありますが、バスは近隣の紋別高校は行ったり、回送で出入りしたりしているので、待機のバスはありませんでした。
紋別は近くに漁港がある事もあり、海の幸の匂いがしてきました。更に市街地としての設備が一通り揃っていたのも驚きでした。
第5ランナー 北紋バス 紋別バスターミナル17:20→中湧別文化センタートム18:15(遠軽駅18:45)
北見22う 356 (三菱ふそうKC-MP717M)
紋別から遠軽線に乗ります。遠軽線は名寄本線代替バスで北海道北見バスと共同運行していますが、今回は北紋バスが担当していました。
紋別を出ると、市街地の中をしばらく走ってほどなくして市街地が途絶えます。途中に元紋別バス停があり、そこには北紋バスの本社が隣接していたのですが、その場所は市街地の外れにあった事に驚きました・・・(中心部へわざわざ回送してたのか・・・)。途中で紋別空港入口バス停があったのですが、周辺は草原のみで何もない所でした(その場所は旧紋別空港の近くとか・・・)。
紋別を出ると、バスはそのまま何もない所を走るのですが、今回はオホーツク海から離れて行った事もあり、林と草原の中が多かったのでした。中には牧場の中を走る時もありました。写真は
中湧別付近
です。中湧別付近は国道242号線を走るのですが、2車線道路ながらかなり幅広く、開拓地の北海道らしい風景でした。今回の乗り継ぎは中湧別文化センタートムで降りるところですが、中湧別からの先の路線がもう運行を終了している事もあり、遠軽まで乗り通し、遠軽で宿泊して次の日の朝に中湧別まで戻りました。
というか、オホーツク海沿いの路線はいずれも本数が少ないかつ接続が悪いケースが多いので、一日中に稚内から網走まで行く事は不可能になっています。その点が悩みどころやけどね・・・。
写真は
中湧別文化センタートム
です。名寄本線の中湧別駅のあったところで文化センターの側にバスターミナルが設けられていました。バスターミナルの奥には中湧別駅跡を利用した資料館もあります。
第6ランナー 網走バス 中湧別7:15→網走バスターミナル9:31
北見200か 86 (三菱ふそうKK-MK25HJ)
中湧別から網走バスの湧網線に乗ります。こちらは湧網線代替バスとなっています。中湧別を出ると、すぐに市街地を抜け出し、何もない所をひたすら通って行くだけになります。しかし、この路線はこれまでの路線とは違い、草原の中を走ることは少なく、常に山と隣り合わせでした。なので地平線もなかなか見えません・・・。それに○号線のバス停が続いていました。
湧網線の大きな特徴は
サロマ湖
です。サロマ湖の側を走る事が多く、途中に観光施設も立ち寄っています。尚、途中に計呂地バス停があるのですが、そこには旧湧網線の駅舎が残っていて、蒸気機関車と客車が保存されていました。
こちらは
佐呂間バス停
です。建物は小ぢんまりとしていますが、網走バスの佐呂間営業所を併設しており、湧網線の一部はここを起終点としています。他に遠軽や留辺蘂駅から北海道北見バスのバスが乗り入れています。
中湧別から2時間16分かけてようやく終点の
網走バスターミナル
に到着しました。稚内から丸一日バスを乗り継いでここまで来たわけですが、オホーツク海沿いの鉄道の無い街をいくつか通ってきました。鉄道が無いにもかかわらず、街は機能していて、バスが唯一の公共交通として機能している事がわかりました。
実は稚内~網走間のバス乗り継ぎは今年の9月末で
不可能
となるのです。というのは網走バスの湧網線が9月末限りで廃止され、網走~常呂間の常呂線に生まれ変わる予定なのです。オホーツク海を沿いながらバスを乗り継ぐのもあと少しです・・・。しかし、それぞれの街に表情があり、なかなかいいものでした。
コメントありがとうございます。
稚内→網走のバス乗り継ぎは現在不可能となっています。湧別~網走の路線バスが2010年9月末に廃止され、後を引き継いだ代替バス(町営バス)も途中止まりになっています。遠軽経由やと遠軽~留辺蘂間のバスが無いので、鉄道を利用ざるを得ないです。時刻表は宗谷バス、北紋バス、北海道北見バス、網走バスのHPをご参考いただければ幸いです。
ご参考になりましたでしょうか?