斬剣次郎の鉄道・バス斬り

 拙者、斬剣次郎である。たった今から、鉄道・バスを斬る

尼崎市交通局 最後の時

2016年03月27日 19時25分45秒 | バス
 3月19日を持って
 尼崎市交通局
 が事業終了し、尼崎交通事業振興が担当する路線以外全て阪神バスへ移譲され、68年間の歴史を閉じました。その最後の様子を見てみましょう。


 22時過ぎに阪急塚口へ行くと、丁度14番の阪急塚口発阪神出屋敷行きの最終便が出発するところでした。阪急塚口発の最終便は日デJPの17-770が充当されていました。


 14番が出た後、しばらくすると14番阪急塚口行きが到着してきました。このまま回送入庫となるのですが、待機場でしばし待機した後、尼崎市営の表示を出して阪急塚口を出て行きました。車両は最古参のエルガの12-555でした。


 22時25分ごろ、阪神尼崎から13番が到着しました。この便は阪神尼崎を出る最終便にあたります。車両は復刻塗色の20-122でした。



 20-122はそのまま阪急塚口発22時32分の13番阪神尼崎行きとして折り返します。この便こそ阪急塚口を出るバスかつ13番の最終便にあたります。塚口営業所にとっての最終便にあたり、この車両が終点に到着すると、塚口営業所のバスは全て尼崎市交通局としての営業を終了するという事になります。実際に20-122が阪神尼崎に到着し、回送で塚口営業所に到着した時、出迎えの式典が行われたとか・・・。



 13番が出発した後、阪急電車で阪急武庫之荘へ向かうと、丁度宮ノ北団地行きの41番と武庫営業所行きの46番が出発するところでした。この便が41番と46番にとっての最終便にあたります。特に宮ノ北団地行きはこれが最後となります。車両は41番が20-124、46番が14-185が充当されていました。
 これによって阪急武庫之荘を出るバスは後1本のみとなりました。・


 20時50分ごろ、1台のバスが回送でやってきました。このバスが阪急武庫之荘発の最終便に充当されるバスとなります。



 そうそう、阪急武庫之荘を出る最終便は22時58分発の45番武庫営業所行きです。尼崎市交通局全体での
 最終便
 にあたります。車両は18-104が充当されていましたが、その車両は表記類が既に阪神バスとなっており、あとわずかな作業を行うだけで阪神バス仕様になるという状態でした。他の車両は尼崎市交通局の表記で走っていたというのにこの車両だけ阪神バス表記で営業に就くなんてビックリしました。
 この便が尼崎市交通局にとって最終便にあたるのですが、ファンの数はそんなに多くなく、ひっそりとした感じでした。


 45番は約10分走って23時10分ごろ終点の武庫営業所に到着しました。もちろんファン数名が乗車していましたが、明らかに住民の数の方が多く、ごく普通な武庫営業所行きの最終便という感じでした。



 到着後そのまま入庫となるのですが、降り場から入庫までの短距離ながら尼崎市営表示で走行しました。表記類そのものは阪神バス表記となっており、阪神バス表記の尼崎市営表示というのはまさに移り変わりを感じさせました。入庫してすぐに職員がバスの中に乗り込み、車内の掲示物を阪神バス仕様へ切り替える作業が行われていました。



 41番最終便に充当された20-124と46番最終便に充当された14-185は既に入庫していて、表記類が阪神バスのものに変えた後でした。元々切り替えがすぐにできるように準備していた事もあり、本当に作業が早いんだなと感じさせました。でも、他の留置車両もみんな既に阪神バス表記になっていました。


 武庫営業所の建物の看板も既に阪神バス武庫営業所になっていました。



 最終便が入庫してすぐに武庫営業所バス停の表記の
 交換作業
 が行われていました。バス停ポールでは尼崎市交通局表記の上に阪神バスと記載されたものをシールで貼りつけることが中心でしたが、中には尼崎市交通局と記載されたシールをはがした上で阪神バスのシールを貼り付ける作業も行われていました。
 私はその作業を途中まで見学させていただき、そのまま宿泊場所へ向かいました。



 阪神バス尼崎市内線としての初日、武庫営業所発の
 初便
 にあたる6時35分発45番阪急武庫之荘行きは最古参の12-828でした。もちろん、阪神バス表記ですが、同時にICカードが使えるようになったため、ICカードのシールが貼られていました。外見は尼崎市交通局時代そのままですが、運転手の制服が阪神バスのものとなり、制帽も着用するようになりました。尼崎市交通局は制帽が無かっただけに凄く違和感がありました・・・。とはいえ、武庫営業所は元々阪神バスに委託していて、運転手も阪神バス籍なので、今日から阪神バスの制服を着用しての乗務という事になるのでしょうね・・・。


 武庫営業所の時刻表、既に阪神バス表記への変更が仕上がっていました・・・。



 武庫営業所行きの最終便に入った18-104、完全に阪神バス表記となって6時30分ごろに南の方へ出庫して行きました・・・。一方、宮ノ北団地行き最終便に充当された20-124は宮ノ北団地発の初便になるべく回送で宮ノ北団地へ向かっていきました・・・。因みに武庫営業所と宮ノ北団地は意外と近いんですよね・・・。


 11番に充当された尼崎交通事業振興の23-203です。尼崎市交通局の阪神バスへの移譲と同時に11番や阪急園田発着路線でも尼崎交通事業振興籍の車両が走るようになったようですね・・・。しかし、運転手の制服が阪神バスのものになっていました。よく考えてみると、尼崎交通事業振興って、尼崎市の外郭団体ですよね・・・。まさか、運転業務を阪神バスへ委託とでも・・・。




 最後に私にとっての尼崎市交通局を振り返ります。
 ます、2003年に撮影した幕時代のシーンです。尼崎市交通局では2004年春に全車一斉に行先表示器がLED化されました。そのため、幕は2004年春までとなってしまいました。幕の新車も2003年春に投入されたKL代のエアロスターノンステが最後となってしまいました。上の写真はP代のブルーリボンですが、当時は現役でしたが、確か一部がLED化されたものの、幕のままで廃車となった車両がいたような気がします・・・。




 こちらはツーステの7-147です。ツーステとして最後の投入となった1996年式のKC-MP+西工です。尼崎市交通局のツーステは西工が多かった事が特徴で、日野以外の全メーカーに対して載せていました。そして、尼崎市交通局は前乗り後降りであるにもかかわらず、前後扉が標準であったこともポイントです。前乗り後降りといえば前中扉がデフォルトであっただけに凄く違和感でした。伊丹市交通局も同様でしたが、ツーステの全廃と共に見られなくなってしまいましたね・・・。


 1998年に尼崎市交通局初の大型ノンステとしてエアロスターノンステが入りましたが、その時に
 全車ノンステ化
 を宣言しました。つまり、今後入る新車は全てノンステということです。当時はノンステが一般的でなく、ワンステやツーステを入れている事業者が多かっただけに画期的な取り組みでした。結局、宣言通りワンステを一切入れずノンステを投入し続けました。


 ノンステを投入し続けていくうちに2000年には日デUA+西工ノンステが入りました。これは全国的に希少なKC-UA+西工のノンステで、注目的な存在でした。それだけに尼崎市交通局は西工にこだわっていたんですね・・・。


 そして、2009年春、発売してばかりのPKG-MP35UK改のエアロスターノンステを22台投入し、
 全車ノンステ化
 を達成しました。1998年の宣言から11年かけて全車ノンステ化を達成しました。比較的大きな事業者では初めてのことだそうで、注目を集めました。全車ノンステ化を達成したとはいえ、KC代の淘汰のために引き続き新車が入り、尼崎市交通局の新車は2012年が最後の投入となりました。



 尼崎市交通局ではイベントに積極的に出ていましたが、スルッとKANNSAIバスまつりでは
 行先表示器の撮影会
 を毎年開催していた事がポイントです。他の事業者は展示や車内公開などがメインであった中で、大きな特徴でした。しかも、時刻まで告知していたので積極的なサービスだったとも言えましょう。しかし、バスまつりの参加も2015年が最後となってしまいましたが、この時は2台展示されていましたね・・・。



 2015年3月に開催された
 尼崎市バス徹底解剖!
 が開催され、そこに参加してきました。尼崎市交通局の車両を使用してバスを色々触れる事が出来、貴重な体験になりました。



 2015年、2016年に尼崎市制定100周年を迎える事から、
 復刻塗色
 の車両が登場し、塚口営業所管内で走り始めました。復刻だけでなく、尼崎市制100周年のラッピングもなされていました。


 2016年2月に阪神バスへの移譲を前に一日乗車券を使って尼崎市交通局を乗りまわし、尼崎市交通局の魅力を再発見してきました。尼崎市内の全エリアを運行しているのですが、見どころがたくさんあり、なるほどと感じさせました。

 以上です。


最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Y-H yagi)
2016-08-15 20:49:36
初めてコメントします。
私は尼崎市営バス最終便(阪急武庫之荘→武庫営業所)に乗車していた者です。
たしかに阪神バスの表記はびっくりしました。
「明らかに住民の数の方が多く、ごく普通な武庫営業所行きの最終便という感じでした。」と仰るとおり、阪急武庫之荘ではほとんどの方が一般客でした。ただ、終点に着く頃には車内のほとんどがバスファンだったと思います。
長文失礼いたしました。

コメントを投稿