元 黒龍江大学日本語教師   

元黒龍江大学日本語教師としての思い出などを写真を交え、日記風に綴っていくもの。(No.812からは、故郷新潟から発信中)

No.828  「北京・ハルビンの旅」(その2)のお話。

2012年08月12日 | 日記

「北京・ハルビンの旅」(その2)のお話。   ≪習慣≫とは、恐ろしいものだ。北京でも黒龍江大学で生活していた時と同じ、午前5時に目が覚め、5時30分にはホテルの周辺を散歩していた。違いは、学生と一緒に散歩していないことだ。今日の日程は、≪世界文化遺産≫に認定されている「頤和園」を見学すること。

私達が「頤和園」へ到着したころ、既に入り口周辺道路には、100m以上にわたって大型「観光バス」が駐車していた。私の想像を遥かに超える、川の流れのような≪人の波≫がそこにあった。ガイドさんの説明によると、現在、中国では≪夏休み≫に入り、特に多くの小・中学生が修学旅行で北京を訪れているという。よく見ると、多くの学生たちは、揃いのユニフォームやT-シャツを着て、先生に引率されていた。

今日の最高気温は「34度」。それにこの≪人の波≫と、急な階段の「昇り、降り」が加わり、私には気温が「40度」近い暑さを感じた。広い≪昆明湖≫に浮かぶ船を「仏香閣」という一番高い場所から見る「頤和園」の景色は、いつ見ても素晴らしい。さすがに≪世界文化遺産≫だ。この日も、私は日頃から足腰を鍛えておく必要を、強く感じた一日でもあった。

当初、≪今回の旅≫の目的は「“ユッタリ”と、そして、“のんびり”とした≪旅≫を楽しむこと」であった。しかし、この目的に反し、この日は≪猛暑≫と≪人の波≫に飲み込まれた、汗だくの≪頤和園の旅≫となってしまった。


「北京・ハルビンの旅」                    私達が北京で宿泊したホテル 「建国飯店」。

 「北京・ハルビンの旅」           早朝散歩した「建国飯店」周辺のビル。

 「北京・ハルビンの旅」           早朝散歩した「建国飯店」周辺のビル。

 「北京・ハルビンの旅」           早朝散歩した「建国飯店」周辺の近代的なビル。

 「北京・ハルビンの旅」           早朝散歩した「建国飯店」周辺の裏道。 「鶏」が歩いていた。

 「北京・ハルビンの旅」         五か国語で書かれていた世界文化遺産「頤和園」の案内看板。

 「北京・ハルビンの旅」           世界文化遺産としての認定マーク。

 「北京・ハルビンの旅」       「頤和園」の入口は、人の波。

 「北京・ハルビンの旅」      「頤和園」の入口は、人の波。

 「北京・ハルビンの旅」      「頤和園」の入口は、人の波。  「鳳凰」と「龍」の像。

 「北京・ハルビンの旅」           蓮の花が咲いていた、風光明媚な「昆明湖」。

 「北京・ハルビンの旅」

 「北京・ハルビンの旅」

 「北京・ハルビンの旅」       ≪世界一長い≫といわれている「廊下」。

 「北京・ハルビンの旅」           この廊下にも、人の波が押し寄せていた。

 「北京・ハルビンの旅」         廊下の天井。

「北京・ハルビンの旅」        廊下の天井。

 「北京・ハルビンの旅」            この周辺の廊下は、「直線」ではなく、「曲線」を描いている。

 「北京・ハルビンの旅」            正面に見える「仏香閣」の最上部まで登ることになる。

 「北京・ハルビンの旅」          「仏香閣」の最上部まで登る、狭くて急な階段。


 「北京・ハルビンの旅」               

 「北京・ハルビンの旅」

 「北京・ハルビンの旅」             「仏香閣」から見える、素晴らしい景色。

 「北京・ハルビンの旅」             「仏香閣」から見える、「昆明湖」の素晴らしい景色。

 「北京・ハルビンの旅」             「仏香閣」から見える、素晴らしい景色。

 「北京・ハルビンの旅」            「仏香閣」から降りる≪階段≫も、かなり急だ。

「北京・ハルビンの旅」           ≪昆明湖≫に浮かぶ「石の船」。



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