脳もいい天気

小中高生の勉強基地Y's 廿日市市佐方2丁目。
文系女性・理系男性のベテランが各1名。
がんばるぞっ!!

仕事に就くとは

2018年04月02日 | 塾のこと
昨日の日曜日、廿日市の桜祭りの花火が上がって、近所の桜も満開で、お天気も良かったけど、例年のようにあちこちお花見に行くことも、お花見ライドに突撃することもなく、
新しい教室のカーテンを取り付けたり、障子をはめたり、ガラスを磨いたり・・・・、結局身体が動かなくなり、手の指が腫れてくるまで作業をしていたので、今日は塾の話はナシです。
昨日、甥が帰省していたのです。今まで帰省のたびに「離れ」で寝泊りしていたので、まだ机が運び込まれていないのをよいことに「教室」で寝ます。(それに間に合うようにカーテンの取り付けに必死になっていたのです)居心地がよさげだったらしく、「民泊」じゃ~と喜んでいました(民泊には致しません!)。
その甥、1回目の就職先を年末にあっさりやめて、このたび新たに営業職に転職し、2日が入社式だとかでスーツを持ち帰っていました。結婚式を来週に控えて3ヶ月プータローだったようです。卒業生も言ってたように今の20代は転職を当たり前と思って、怖れも心配もしないのですね。

私は昭和世代で、バブルの崩壊とともに1回目の就職先の金融機関を辞め、2,3回転職をしましたが、そのつど選択肢が狭まる気がして心配で、胃が痛くなっていたものです。医学部教授の秘書やら通信添削やらしながら家庭教師だけは途絶えることなく、最終的に学習塾に就職できて、色んな下積みを経験させていただいたので今日(こんにち)の私が、そしてY'sがあります。当時のボスは威圧的な人で、今でいうパワハラを存分に受けた気がしますが、いろんなムチャ振りに応え、講師の仕事以外に私だけ成績入力のプログラミングや何百人もの生徒の成績入力作業をさせられたり、3学年3科目の生徒の同時補習をさせられたりするうちに、だんだんそんなことがサクサクできるようになりました。今のY'sの独特のシステムも当時の苦労の中から生まれたと言えないこともありません。上司には逆らわないのが当たり前と思っていたので、男ばかりの先輩方としょっちゅう飲みに行って「素」をさらけ出して親しくしていただいて気晴らしをさせていただき、職場でも対等に接していただけるようになり、ずいぶん気が楽になりました。明け方まで呑んでいたので、父親にはこっぴどく叱られたものですが私にはそれ以外、その塾で生きていくてだてはなかったのです。
うわ~久々に過去を語ってしまいました。
何が言いたいかと申しますと、2,3年で会社を辞めて何か成長があるのかということです。そういう人は会社にとって迷惑だから最初から起業すればよろしい。自分だけ企業から利益を得て、ステップアップして美味しい思いをしようと思っている人が本当にステップアップできるほど世の中甘くないと思うのです。
保護者様はいかがお考えでしょうか。