脳もいい天気

小中高生の勉強基地Y's 廿日市市佐方2丁目。
文系女性・理系男性のベテランが各1名。
がんばるぞっ!!

短期留学

2019年11月16日 | 塾のこと
3回目でやっと英検準2級合格したJ君、基準点をはるかにオーバー。
来月はニュージーランドに短期留学。
あちらはちょうど夏ですね。
今まであまり冒険したことのない箱入り息子だけど、
果たしてどうなることやら。
母上には「かわいい子には旅をさせよ、というから放り出しましょう」
と言ったものの、私の方が不安になってきました。

高校生の話を総合すると、今はテロとかでなく留学のシステムなどを考えると、
高校生の段階で北米に留学するメリットはないらしい。
イギリスは貴族の末裔が威張っているとかでこれまた行かないほうがよいとか。
欠点や障害はどこにでもあるので、ある程度しんどい思いをする覚悟でいないと得るものは少ないというのが
私個人の考えです。
英語が話せるようになりたいとか、大学生や社会人になったとき当たり前に英語が使える人になっていたいと強く思わないなら
お金の無駄なので行かないほうがいいでしょう。

おのぼりさん的修学旅行

2019年11月13日 | 塾のこと
来月東京に修学旅行に行く生徒から、
「東京に行ったらここに!」というお勧めスポットはないかと聞かれ、
「ん~、109かな」と不覚にも俗受けする返事をして、丸一日経った今も深く反省しております。
しかし、中学2年生に浅草や国会議事堂を勧めてもなんだかな~で良い案が浮かびません。

なぜ、空気の悪い、人がごった返している東京に修学旅行?
神社仏閣など見たくもない子供に忖度してテーマパークを目的地にする学校も多いですが、
学校の先生お疲れ様です。目的地検討段階から本当にお疲れ様です。

学校の先生にならなくてよかった。

そもそも

2019年11月09日 | サイクリング
共通テストの民間英語試験に待ったがかかりました。
私が学生の頃共通一次試験が始まり、共通に何かやることが当たり前になっていますが、
そもそもなぜ多くの大学が共通のテストを受けさせるのでしょうか。
「うちの大学に来てほしい生徒」ってよく聞くけど、テストは共通でいいんだ?!

おわかりかと思うが、大手予備校は共通テストのおかげで儲かっているのです。
儲かるようにするために共通テストをしようと政府に圧力をかけたと思うのが普通ではないでしょうか。
ニュースをぼーっと見て、新しいことを知っているだけではだめで、そのニュースが意味することを
考えてみたほうが、公立高校の校長会の何人のように、悪いことは悪いと言ったほうが世の中はよくなるでしょう。

共通テストがなくなったら、各大学の望む人材を合格させる個性に富んだ出題ができるのでは?
もちろん、そんな些末なことに関わりたくないお偉い教授さんたちの方が多いのでしょうが、大学はご自身の研究のためだけでなく、
後進の指導のためにもあるものですから、面倒がって準教授や大学院生に丸投げせず、少し入試に真剣に向き合ってみたらどうでしょうか。

私は小塾に入る子を入塾テストで振り落としません。なぜなら成績をあげるのが仕事だからです。
また、ふるい落としたいとすれば「行儀がなっていない子」、「人の話がすっと耳に入らない子」なので、振り落とすのにテストは要りません。

Aという大学でふるい落とされた生徒さんをBという大学が合格させて日本の大学は経営が成り立っているし、学生も満足感を得られているのですが、
そこに「共通な」テストが「そんなに」必要かというと全然そんなことはないのです。

塾が対策を立てにくいかどうかは別にして、そろそろ独自の入試問題を作りませんか。そして大手予備校と癒着する政策、やめませんか。

共通テスト民間英語試験活用断念

2019年11月02日 | 塾のこと
大学進学を目指す高2を悩ませてきた民間英語試験が、生徒側から見て準備開始直前でドタキャンとなりました。
この新制度に異議を唱えてきた全国の高校の校長先生、高校生たちお疲れさまでした。
なかには政府が決めたことだからと黙って従い、生徒のことは全然考えない校長らも多くいたのでしょう。
そういう人たちは昔の軍国主義の教育にも異議を唱えなかったことで検閲を受け真っ黒になった教科書で誤った教育をした戦前の教師と何ら変わりません。

そんな中で制度の欠点や生徒の不安、不満に寄り添った先生方あっぱれです。
天皇、上皇も国民に寄り添う立場を明らかにされたこのタイミングで、現政府がいかに国民に寄り添ってないかが明らかになりました。
誰かが最終的にまっとうな制度にするんじゃないの?といった人任せな公務員が文部科学省だけでなく政府や自治体に大勢いるのでしょうね。
納税者をばかにするのもたいがいにしてほしいものです。

広島県は、今度から推薦入試という曖昧模糊とした判定基準の制度をやめることになっています。このように今普通に行われていることでもおかしなことはどんどん正していくべきでしょう。本当はこんなことのために文章力を鍛え、発言のために手を挙げる勇気を育てるのであって、決して勉強のための勉強であったり内申のための勉強であってはいけないのです。
自分の声が小さいのが情けないばかりですが、目に見えない「悪いこと」にこれからも敏感でいたいと思います。

ただ、親の収入によって教育に格差があり、不公平な世の中なのは今に始まったことではありません。
たまたま検定試験を受ける際に交通費や検定料で分かりやすい数字が出せたから問題として取り上げやすかっただけで、もっと根本的に直さないといけないのは社会の仕組みだと思います。

なにはともあれ、万歳三唱に値する吉報でしょう。