130918 満州事変から82年
婦人公民権運動。女性の政治的権利に反対。「女は生理的に男に劣り、我が国の家族制度の美風を破壊する欧州かぶれの悪案。」貴族院議員、井田某の「婦人公民権法案」反対演説。
132の新聞社が共同宣言
大手メディアの暴走の源流は、1931年9月の日本軍(関東軍)による中国侵略、いわゆる「満州事変」の報道にあります。大手紙は戦争賛成の立場になだれこみ、日本による「満蒙」(中国東北地方と内モンゴル)への領土拡大を「我が国の生命線」と書き、軍国主義を応援しました。 . . . 本文を読む
なぜだか、昨年10月から近所のプールに足が向くようになった。人に影響をされて行ったのではなく、理由不明のまま通い続けた。水泳は10ヶ月で65回通い、その都度、ゆっくりめに1-2キロ泳いできた。ついでに水中歩行も試み、往復の歩行と併せて、自分の運動量としてきた。泳いだ距離は100キロを超え、歩いた距離は50キロを超えた。どちらも軽い運動だが、気分転換の効果の方が大きい。 . . . 本文を読む
週2-3回にプールに行くつもりが、28日から今日まで7日間、どうしても時間が作れなかった。1日が自宅でのM研究会、2-3日が文化の森フォーラムの諸準備、4日は後始末、5日はプール休業、6日が土壌研究会、7日がプール休業だった。今日はやっと昼間に十分時間が取れて雪が谷へ。ぽかぽか陽気に誘われたところもあるが、もったいない天気だ。相変わらず閑散としたプールで、年寄りの私が目立ってしまうような気がした。久しぶりなので、ゆっくりと300メートルを歩き、身体を慣らす。昼食を抜きにしているためか、最初は力が出ないような気がした。というか、プールでは激しく泳ぐことをしないようにしているので、まるでぷかぷか浮きながら結果的に前に進むのらりくらりクロールで25メートルを88本こなした。 . . . 本文を読む
夜更かしを常とする中で、ここ数年、いかに疲れていても、前夜いかに遅く就寝しても目覚めは6時前と変わらない。実質3-4時間の就寝もしばしばであるが、何ともなく日々が過ごせている。6時半には目覚めのコー-ヒーを沸かす。ブラジルの友人から切れ目なく送られてくるコーヒーは私にとって欠かせぬものとなっている。 . . . 本文を読む
新大久保に事務所をかまえていた1990年~2003の間、私はヒマを見ては周辺のプールに行き小一時間ほど時間をつぶしていた。土曜日には、プールの後はサウナに浸かり、うつらうつらと寝そべっていた。こんな生活が思い出される昨今だが、本日、新大久保社会保険病院に検査を受けに行った帰途、10年ぶりに新宿区のコズミックセンターに行き、一泳ぎをしてきた。大田区の住民である私が新宿区のプールにのこのこ出かけるなんて言うことは考えられないことであるが . . . 本文を読む
不思議である。寒くて困るのに、プールに行くのは億劫ではない。何故かを分析するに、少しづつ記録が回復しているからではないかと思う。若い時と同じようにしてはならぬと思い、準備体操をしておそるおそる水に慣れてきたが、最近は30分も水中歩行すると身体がほてってくる。 . . . 本文を読む
わずか67年前までは我々日本人はとんでもない国に生きていた。昭和6年頃から軍国主義が支配し大暴走をはじめた。このとんでもない国は『国民主権』ではなく天皇主権、『言論・出版の自由』も『基本的人権』も無く『男女同権』などは論外といった状況だった。一人一人の声などは集団的暴力でことごとく圧殺、ほとんどの青年達は徴兵で、多くは「死ぬのは覚悟」というマインドコントロール下に置かれていた。
1931年(昭和6年)には満州事変(宣戦布告が無く“事変”といういい加減な名前で世界を欺瞞した日中戦争)が起こり、1937年(昭和12年)には支那事変(同じ)、1941年(昭和12年)には日米仏蘭を敵にした太平洋戦争の泥沼に。どの戦争にもそれなりの理由(大義名分という)はつけられるのが怖いところだが、戦争の結果は勝ち負けに関係なくことごとく悲惨であるのが共通である。 . . . 本文を読む
原発からいただく電気は、同時に発生する猛毒の放射性廃棄物をまき散らし、空間的にも時間的にもすべての生命はこの影響を受けて死に境遇し、生き残ったものも遺伝子が攪乱され、子孫の継続が脅かされる。放射性廃棄物が地球や自然の力ですべて解毒されるのは数万年もかかるといわれる。この問題を解決するためには、理屈の上では電力を生産しながら、一方で放射性廃棄物(放射能)を数万年閉じ込める管理作業が要る。電力の製造責任はその期間に及ぶというわけだ。コストは無限大だからそんなことをする私企業はおろか公営企業も国家もあり得ない。あらゆる面から見て人間の手には負えないのだ。
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