つづら折りの山道を登ってゆく
山際を石段状に開削した状態の山道から次第に掘り込まれた尾根道に変わってゆく
つづら折りの山道を登ってゆく
山際を石段状に開削した状態の山道から次第に掘り込まれた尾根道に変わってゆく
明月院のある明月谷から山の尾根を伝って六国見山に通じている道があることは、観光目的で訪れている人々にはあまり知られていないようだ。
ずいぶん昔のことだが、明月谷の辺りで写真を撮っていたところ、幼稚園の一団が山陰にどんどん吸い込まれてゆくように入ってゆく場面に出会った。先生にうかがうと、六国見山までの遠足であった。その通路はかなり急峻で、園児には少しきついのではないだろうかと感じたが、彼らは平気な顔で登って行った。
この通路が、尾根筋に沿って設けられているのだが、まさに高野(大船)の切り通しと同様に、尾根の部分を深く掘り込んだ構造なのである。単に山道を設けるのであれば、掘り込む必要はないだろう。入り口辺りはあまり目立たないのも興味深い。その途中には、明月谷の道路を見下ろせるような位置に平場があり、何らかの施設があったことは間違いない。
以前に岩瀬の辺りで、山襞に隠されるようにして登り口があり、深く切り込まれて切り通しのようになった山道があり、その上が畑とされていることを紹介したことがある。同じような構造である。
六国見山はこの辺りでは最も標高が高い(147メートルで六カ国を見渡せるという)ため、玉縄城の施設の一つとして考えれば興味深い。もちろん古く鎌倉時代から遠望の要所とされていたであろう。
明月谷の車道から開削された尾根道へと入ったところ
切り通しに入る横道から
切り通しの途中
この下が熊野神社
写真の左側に古い石垣がある
この辺りでほとんど尾根筋になり
さらに進むと現在の大船高校
その背後に六国見山がそびえている
この周辺は宅地化され昔の景色は望めない
ただし大船高校の下にわずかに山襞に囲まれた畑地がある
高野(大船)の切り通しについては、さらに奇妙だ。熊野神社の背後にあるさほど高くもない尾根筋に、その尾根に沿って切り通しが設けられているのである。交通に不便な小山を切り崩すわけではない。現実にはこの小山の下に隧道が穿たれており、切り通しは隧道と直角に交差し、上り道で現大船高等学校に至っている。さらにその先には六国見山がある。本来の切り通しの目的の施設ではなさそうだ。
加えて、高野(大船)の切り通しの、熊野神社の背後には、古い石垣が遺されていて、何らかの建物があったことは間違いない。
長窪の切り通しが城郭の一部であれば、高野(大船)の切り通しも、防御と攻撃を目的とした施設ではなかろうか。特に高野(大船)の切り通しの入り口が複数設けられていることも面白い。
切り通しに入ってすぐの辺り
この切り通しは尾根の真上を尾根に沿っている
中央左寄りの欠けているような部分も切り通しへの入口
中央の塞がれたような暗い穴も通り抜けられる