大慈寺跡を眺めている。
大慈寺跡の石碑が道端にあるも、大慈寺跡はその一角だけでなく、イエズス会日本殉教者修道院のある高台を含めて、かなり広い範囲であったと思われる。
かなり規模の大きな寺院であったそうだが、今はその面影はない。
ただ、山の一部が開削されて幾段かの平場が構成されているのが判る。
数年前にイエズス会日本殉教者修道院の敷地内を撮影させてもらった。
大きく平坦地が形成されており、大きな谷戸の奥に竹林が綺麗な緑に光っていた。
竹林の谷戸の上部に二段のヤグラ群があり、細い平場が続いている。
平場はとても狭く、地盤が緩そうでヤグラの前までは行けそうにない。
修道院の建物の裏手を上った辺りにヤグラがあり、マリア像が飾られていたのは意外であった。
ヤグラとマリア像の採り合わせが不思議な空気感を生み出していた。
この写真は、イエズス会日本殉教者修道院への入口辺り。
金沢や六浦から峠を越えてきた旅人は、ここで巨大な大慈寺を目の当たりにして驚いたのであろう。
滑川沿いの山に挟まれた街道はカーブしており、曲がった街道を歩むにつれて寺院の建物が山陰にゆっくりと見えてくる。
ここに巨大な大慈寺を建立したのは、鎌倉幕府の演出であったのかもしれない。
イエズス会日本殉教者修道院奥の谷戸の写真は控えておこうと思う。
イエズス会日本殉教者修道院への入口辺り
明王院の東側の細道が奥の谷戸へと続いている
この辺りまで大慈寺の寺域であったのだろう
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