先日に引き続き、今日も京都をぶらぶら。
前回のテーマが「幕末」だったので、
今回はさらに遡り「江戸初~中期」。
この時代の京都にゆかりある人物といえば、
徳川家康、秀忠、家光でしょうか。
それでは、万歩計をセットして、いざ出発!
(先日の様子はこちら)
梅田駅から阪急京都線に乗り大宮駅で下車。
大宮駅から南へ向かい、江戸時代には吉原
(江戸)、丸山(長崎)と並ぶ日本三大花街
といわれた島原へ。
島原は1641年(寛永18年)に六条三筋町から
移されたわが国最初の公許の花街。
当時は四周を堀と塀で囲まれていたそうです。
この貴重な遺構である高麗門形式の大門は
幕末の慶応3年(1867年)再建。
門の右脇に植えられた柳が風情を醸します。
左:現役の置屋兼茶屋である輪違屋
右:元 揚屋(芸妓さんなどを呼んで宴会
をするところ)である角屋(重文)
ここから、一気に2km以上北上し、本日の
主目的地の二条城へ。
さっそく、東大手門から入城です。
左:堀川通りに面する東大手門(重文)
右:内側から見た東大手門、番所も付属
残念ながら、唐門(重文)は改修中。
いよいよ国宝の二の丸御殿を見学。
二条城は初代将軍、家康が築き、三代家光が
本丸部分を拡張。
さすがに将軍の城、車寄(入口)も華やか。
なお、内部は豪華な狩野派による障壁画で
飾られていますが、当然ながら撮影は禁止。
もちろん、庭園も広々と立派ですな~。
続いて、本丸へ…と言いたいところですが、
その前に本丸の周りを一周し、じっくり見て
回ります。
順に桃山門、南中仕切門、西南土蔵、
北中仕切門、鳴子門、すべて重文。
ようやく元の位置に戻り、改めて本丸へ。
小振りでちょっと変わった形の本丸東櫓門。
今は普通の橋が架かるだけですが、昔は二重
廊下橋(上が多聞廊下、下が橋)が架かって
いたそうです。
天守台に登り、本丸以下を眺めます。
この天守台に聳えていた白亜の五層天守は
寛延3年(1750年)に落雷で焼失。
天守の最上階からの眺めは、きっと京の都が
一望だったんでしょうね。
ちなみに、ここから見える本丸御殿は明治
中期に旧桂宮邸を移築したもの。
さて、最後は二の丸御殿の北裏にある米蔵。
これすらも立派な重文です。
米蔵も忘れず見たし、後は帰るだけ…と言い
たいところですが、またしても遠回りをもの
ともせず、外濠の周りを一周。
順に東南隅櫓、西南隅櫓、西門、北大手門、
すべて重文。
二条城から東へ、私が向かったのは高瀬川に
残る一之舟入。
ここは慶長16年(1611年)頃に角倉了以が
開いた運河「高瀬川」の舟荷の揚げ下しの
ために作られた船溜まり。
往時は数か所あった船溜まりですが、残って
いるのはここだけ。
江戸時代の名残りを感じる貴重な史跡です。
さぁ、これで本日の予定は終了。
結局、本日の歩行数は、前回(28,523歩)
よりはちょっと少ない26,067歩でした。
足が痛い…。
~今回の甘いもん~
※姉妹ブログ「和菓子の国の人だから」へGo!
062(京都)出町柳 豆餅
063(京都)三條 祇園ちご餅
064(京都)二条 そば餅
前回のテーマが「幕末」だったので、
今回はさらに遡り「江戸初~中期」。
この時代の京都にゆかりある人物といえば、
徳川家康、秀忠、家光でしょうか。
それでは、万歩計をセットして、いざ出発!
(先日の様子はこちら)
梅田駅から阪急京都線に乗り大宮駅で下車。
大宮駅から南へ向かい、江戸時代には吉原
(江戸)、丸山(長崎)と並ぶ日本三大花街
といわれた島原へ。
島原は1641年(寛永18年)に六条三筋町から
移されたわが国最初の公許の花街。
当時は四周を堀と塀で囲まれていたそうです。
この貴重な遺構である高麗門形式の大門は
幕末の慶応3年(1867年)再建。
門の右脇に植えられた柳が風情を醸します。
左:現役の置屋兼茶屋である輪違屋
右:元 揚屋(芸妓さんなどを呼んで宴会
をするところ)である角屋(重文)
ここから、一気に2km以上北上し、本日の
主目的地の二条城へ。
さっそく、東大手門から入城です。
左:堀川通りに面する東大手門(重文)
右:内側から見た東大手門、番所も付属
残念ながら、唐門(重文)は改修中。
いよいよ国宝の二の丸御殿を見学。
二条城は初代将軍、家康が築き、三代家光が
本丸部分を拡張。
さすがに将軍の城、車寄(入口)も華やか。
なお、内部は豪華な狩野派による障壁画で
飾られていますが、当然ながら撮影は禁止。
もちろん、庭園も広々と立派ですな~。
続いて、本丸へ…と言いたいところですが、
その前に本丸の周りを一周し、じっくり見て
回ります。
順に桃山門、南中仕切門、西南土蔵、
北中仕切門、鳴子門、すべて重文。
ようやく元の位置に戻り、改めて本丸へ。
小振りでちょっと変わった形の本丸東櫓門。
今は普通の橋が架かるだけですが、昔は二重
廊下橋(上が多聞廊下、下が橋)が架かって
いたそうです。
天守台に登り、本丸以下を眺めます。
この天守台に聳えていた白亜の五層天守は
寛延3年(1750年)に落雷で焼失。
天守の最上階からの眺めは、きっと京の都が
一望だったんでしょうね。
ちなみに、ここから見える本丸御殿は明治
中期に旧桂宮邸を移築したもの。
さて、最後は二の丸御殿の北裏にある米蔵。
これすらも立派な重文です。
米蔵も忘れず見たし、後は帰るだけ…と言い
たいところですが、またしても遠回りをもの
ともせず、外濠の周りを一周。
順に東南隅櫓、西南隅櫓、西門、北大手門、
すべて重文。
二条城から東へ、私が向かったのは高瀬川に
残る一之舟入。
ここは慶長16年(1611年)頃に角倉了以が
開いた運河「高瀬川」の舟荷の揚げ下しの
ために作られた船溜まり。
往時は数か所あった船溜まりですが、残って
いるのはここだけ。
江戸時代の名残りを感じる貴重な史跡です。
さぁ、これで本日の予定は終了。
結局、本日の歩行数は、前回(28,523歩)
よりはちょっと少ない26,067歩でした。
足が痛い…。
~今回の甘いもん~
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062(京都)出町柳 豆餅
063(京都)三條 祇園ちご餅
064(京都)二条 そば餅
意外とあっという間でしたよ。
でも、暑かった~。
そう、そう。出町柳の〇○○はブログ記事アップしておきました。
○○○の○○○はClarkも好きです。
高島屋なんばでも数量限定ですが買うことが出来るそうです。
「SHOGUN」という言葉が飛び交っていましたよ。
入城料も\600と安いので、日本人なら5回は行ったほうがいいんじゃないでしょうか?
ところで、出町柳はもちろんアレですよ、アレ。
小学生の遠足のときに行きましたが、「鴬張り」しか記憶がありません。狩野派を見てみたいものです!
出町柳は〇〇〇かしら?・・・むふふ、その記事も楽しみ♪