民事裁判の記録(国賠)・自衛隊車とバイクの交通事故の民事裁判

1・訟務検事の証拠資料のねつ造など不法な弁論。
2・玖珠署の違法な交通犯罪の捜査,虚偽の実況見分調書の作成

31:控訴理由 第5点 1-9

2007-01-05 10:23:25 | 第3訴訟 第2審 被告国(訟務検事)
第5点 本件事故処理の経緯
   原判決の,第3争点に対する判断の1,(2)本件事故の実況見分の状況及び
  同調書の作成の経緯ア(判決書16頁)の下記の部分の不服。「平成11年1
  0月7日午後0時34分から午後1時20分までの間,玖珠警察署の間ノ瀬巡
  査部長を見分官とし,堀部金丸警部補及び早水満堯司法巡査を補助者,小野寺
  を立会人とした本件事故の実況見分が行われた。控訴人は,本件事故直後に小
  国公立病院に搬送されていたため,実況見分が実施された際は事故現場にいな
  かった(そのため,同実況見分終了後に,小野寺が控訴人車に積まれていた控
  訴人の荷物を,同病院まで届けた。)。」及び,第3争点に対する判断の1,
   (3)自衛隊員による本件事故現場写真の撮影ア(判決書16~17頁)の下記
  の部分の不服。「上記実況見分が実施された際,これに並行して,陸上自衛隊
  第8師団第42普通科連隊第4中隊陸曹長赤埴源蔵(所属,階級は本件事故当
  時のものである。以下「赤埴」という。)が,本件事故現場の写真を撮影し
  た。」
 1 間ノ瀬巡査部長は下記のとおり述べている(甲5の5頁)。
   (事故は10時55分、現場に行かれたのは?)えーとですね、まずですね、
  これがね、ちょうどあそこは熊本県境に近いんで先に熊本に入るんですよ、そ
                 14/70頁
  れで熊本経由でぐるぐるぐるぐるまわって、こちらに通報が有ったのはですね、
  午前11時25分です。(行かれたのは?)えー、現場にですね、まず駐在所
  が到着して、それから私なんかが着くようになりますので、一応見分時間は
  1時50分になっていますね。11時50分から開始と駐在所の方が書いてい
  ます
ね。)
 2 小野寺は下記のとおり証言している(甲22の24頁)
   「乙第1号証(甲67)を示す。」(2枚目の上の写真,事故当時の道路状
  況(熊本方面から別府方面)という写真を見てください。この中に証人は写っ
  ていますか。)写っていると思います。左のグループの右から。(白い制服を
  着た警官が1人写っていますけれども,これはだれですか。)この方は長者原
  の警官だと思います。(空色の制服を着た2人が写っていますが、これはだれ
  ですか。)小国警察署か玖珠警察署の署員だと思います。(どちらですか。)
  はっきり分かりません。これは撮った時間がわかりませんので。(右側に写っ
  ている自衛官はどういう人たちですか。)これは私の車両の後ろに乗っていた
  隊員が何名かおります。(その下の別府方面から熊本方面の写真を見てくださ
  い。自衛官と警官が話していますね。はい。(この警官はだれですか。どこの
  警官ですか。)長者原の方だと思います。(それから長者原のさっき言ったジ
  ープ型というパトカーはそのことですね。)はい。(玖珠からきた自動車はい
  ない
わけですね。)この時点ではいないと思います。(この写真の上と下では
  同じ場所を写していますね。)はい。(上の写真にはパトカーが写っていない
  んですけれども,当然どこかに写っているはずですが,何で写っていないんで
  すか。)時間がずれているので移動した
んだと思います。(事故後,自衛隊車
  両はどうしましたか。)私の車両はほかの隊員が私の中隊長に許可をもらって
  演習場のほうに持っていってもらいました。私は近松さんのジープで病院のほ
  うに行きました。(検証が終わる前にもう自衛隊車両は行ったわけですね。)
  いや,検証が終わってからです。(検証が終わるまではどこにおいてありまし
                 15/70頁
  たか。)この写真でいいますと,別府よりにあります。(要するにバイクさえ
  移動すれば,自衛隊車両がいても片側は通行が確保されているわけだから,別
  府よりのところにとめていたということですね。)はい。(道路上に。)そう
  ですね。ちゃんと誘導員を付けておりました。(誘導員を付けて道路上に置い
  たまま片側通行でやったということですね。)はい。

 3 上記,別件訴訟における小野寺の証言(甲22),間ノ瀬巡査部長の録音内
  容反訳書(甲5),自衛隊写真(甲67),消防長の回答(甲第85号証)等
  の証拠および別件訴訟・別件行政訴訟の関係者の陳述によれば,本件事故当日
  の経緯はおおむね次のとおりである。
   ① 午前10時55分ころ,本件事故が発生し,午前11時05分119番
  通報(甲85)および110番通報がなされた。②午前11時05分ころ,警
  務隊による本件道路の交通統制,事故現場保存,片側通行が開始された。②午
  前11時33分,救急車が現場に到着した(甲85)。③本件事故が110番
  通報で熊本県警察本部に入ったが,熊本県小国警察署に転送され,同署員2名
  が現場に向かい午前11時35分ころ現場に到着した。ところが,途中事故現
  場が大分県警察本部管内であることが判明したため,大分県竹田警察署を経由
  して午前11時25分ころ(甲5の5頁)に玖珠警察署に電話連絡がされた。
  ④ 玖珠警察署は長者原駐在所の早水巡査長に対し,事故現場に急行して事実
  調査と現場保存を行うよう指示し,同巡査長は午前11時50分ころ現場に到
  着した。(早水巡査長が午前11時50分ころ本件現場に到着したことは各当
  事者間に争いはない。)⑤早水巡査長は現場に到着後,小国署員2名,小野寺,
  近松3佐及び警務隊員とともに引継ぎ・見分を開始し,赤埴陸曹長はひきつづ
  き写真撮影をした。⑥引継ぎ時間を30分間とすると,午後0時20分ころ
  見分及び引き継ぎが終了し,小国署員は現場を離れた。この引継ぎの終了時,
  赤埴陸曹長が自衛隊写真①(67①)を撮影した。
⑦小国署員が現場を離れた
  後,早水巡査長は,小野寺,近松3佐及び警務隊員とともにさらに必要な見分
                 16/70頁
  を行なった。⑧自衛隊写真②(67②)は,上記⑦の早水巡査長の見分が終了
  し,自衛隊車が演習場に向け現場を離れた後で撮影されている。近松3佐が何
  らかの資料を早水巡査長に手渡している状況を写している。上記自衛隊写真①
  と②撮影された時間のずれは,少なくとも20分はあるとすると,午後0時4
  0分以降
となる。⑨その後,小野寺は近松3佐の車で,控訴人車に積載されて
  いた控訴人の荷物を持って小国公立病院に向かった。
 4 原判決は,「平成11年10月7日午後0時34分から午後1時20分まで
  の間,玖珠警察署の間ノ瀬巡査部長を見分官とし,堀部金丸警部補及び早水満
  堯司法巡査を補助者,小野寺を立会人とした本件事故の実況見分が行わ
  れた。」と判示するが,上記1ないし3の経緯と時間的に整合しない。
 5 玖珠警察署の実況見分調書添付の写真(甲32⑪)に,間ノ瀬巡査部長と,
  同部長に随行している,早水巡査長,作業帽着用の幹部自衛官及び鉄帽着用の
  自衛官の計4名が写っている。堀部警部補と小野寺の映像はない。
 6 控訴人は,平成18年4月10日付け準備書面(4)第6本件事故処理の事実経
  過で,下記(7~10)のとおり主張した。
 7 玖珠警察署の主張(別件行政訴訟の被控訴人準備書面(1)(甲第86号証)で
  の玖珠警察署の主張)
  (1) 平成11年10月7日11時25分頃,事故発生の電話連絡を受けた堀部
   警部補は早水巡査長に出動を命じ,早水巡査長は同日午前11時50分頃,
   事故現場に到着した。(甲86の11~12頁)
  (2) 同日午後0時25分頃,堀部警部補と間ノ瀬巡査部長が本件事故現場に到
   着し,同日午後0時34分から同日午後1時20分まで,小野寺立会いのも
   とに,実況見分を行なった。(甲86の12,16頁)
   控訴人の主張(1)・堀部警部補らは事故当日は実況見分を行なっていない。
  (3) 平成11年10月8日 ,間ノ瀬巡査部長は,交通切符様式の実況見分調
   書を作成し,小野寺に同月12日に任意出頭するようを求め,小野寺は同日
                 17/70頁
   に玖珠警察署に出頭し供述調書に署名押印した。(甲86の17~18頁)
   控訴人の主張(2)・小野寺は人身事故の加害者である。切符処理は出来ない。
   控訴人の主張(3)・間ノ瀬巡査部長は事故当日は実況見分を行なっていない。
   控訴人の主張(4)・小野寺は,同月14日まで演習に参加していたという。
  (4) 平成11年10月29日,控訴人は玖珠警察署に間ノ瀬巡査部長を訪ね,
   控訴人が被害者である旨申立て,平成11年10月14日付け熊本赤十字病
   院医師磯貝正久作成の診断書を提出した。(甲86の18頁)
  (5) 平成11年11月11日から数回,間ノ瀬巡査部長は供述調書作成のため
   控訴人に出頭を求めたが控訴人は出頭に応じなかった。(甲86の19頁)
  (6) 平成12年2月10日,堀部警部補は玖珠警察署長まで報告の上,本件事
   故の処理を一時保留扱いとした。(甲86の20~21頁)
 8 小野寺の証言及び陳述
   (平成14年3月25日付け別件訴訟での速記録(甲22)及び平成13年
  10月12日付け小野寺の陳述書(甲25))
  (1) 平成11年10月7日,本件事故発生の約40分後小国警察署員が事故現
   場に到着し,少し遅れて早水巡査長が到着した(甲25)。
  (2) 〔救急車は現場に5分くらいいた〕(甲22の20頁)。救急車が去った
   後で玖珠警察署員2名が到着し現場検証を始めた
ので立会った(甲25)。
   玖珠警察署署員が現場に到着したのは午後0時30分である。現場検証の時
   間は約40分であった。(甲22の20頁)
   控訴人の主張(1)・玖珠警察署員2名は,堀部警部補及び間ノ瀬巡査部長を
   さすが,両名は本件事故当日事故現場に臨場せず現場検証は行なっていない。
  (3) 現場検証後吉田1尉に同行してもらい,小国公立病院に行った。病院でバ
   イクの運転者(控訴人)の兄に会い事故の状況及び現場検証の概要を説明し
   た。するとバイクの運転者の兄から「弟が悪かった」と頭を下げられ,握手
   を求められた。またこの時「国民健康保険で治療する」ともいわれた。(甲
                 18/70頁   
   25)
   控訴人の主張(2)・小野寺は証人尋問時,現場検証後同行してもらった人物
   を吉田1尉から近松3佐に訂正した。吉田1尉は第8師団司令部付隊の管理
   小隊の班長で,事故当時本件自衛隊車を含む10両編成の指揮をしていた
   (甲22の13頁)。近松3佐は第8師団司令部付隊の隊長である(甲2
   6)。小野寺が間違えるはずはない。法務官が近松3佐の名前を出すのを嫌
   ったのだ。
   控訴人の主張(3)・控訴人の兄は,控訴人の問合せに対し,「加害者が小野
   寺であることを知ったのは,事故後数日経過してから自宅に本人が電話して
   きたときが初めてです。小野寺は自分に過失がないことをるる述べましたが,
   私はまだ警察の説明も受けておらず,現場も確認していない時点で弟の過失
   について云々することはできないと云いました。事故の日に自衛隊から自宅
   に電話連絡を受け,小国公立病院に行きました。病院には数人の自衛官がい
   ました。その中の一人が事故状況を説明しましたが,自衛隊側の一方的説明
   であり,私が弟の非を認めるわけはなく,ましては頭を下げたり握手を求め
   たりしたことはありません。「国民健康保険で治療する」とは云っていませ
   ん。当時は緊急事態で病院の支払いを等について云々する状況下になく,病
   院も支払いについて言及はしておらず,私は弟が加入している保険の種類も
   知っていません。」と回答した。(甲74)
   控訴人の主張(4)・「弟が悪かったと頭を下げて握手を求められた。国民健
   康保険治療するといわれた。」との陳述は虚偽の陳述であり,かつ控訴人の
   兄をも侮辱する内容である。この陳述の脚本を書いた浅香らの行為は到底許
   せない。
  (4) 同7日午後3時頃小国公立病院から演習場に行った。(甲75の3頁)
  (5) 演習場から熊本に帰ったのは1週間後くらいである。(6) 演習場から帰る
   とき小野寺は車両を運転して事故現場を通った。(甲22の12頁)。
                 19/70頁
   控訴人の主張(5)・直前に重傷の人身事故を起した兵を演習に参加させるか。  
   控訴人の主張(6)・人身事故を起したばかりの者に公道で車を運転させるか。
  (7) 平成11年10月11日か12日,供述調書作成のため玖珠警察署に出頭
   した。被疑者として調べられてはいない。
   控訴人の主張(7)・小野寺が演習場から熊本に帰ったのは事故から1週間後
   位だという。1週間後は平成11年10月14日である。
   控訴人の主張(8)・小野寺は業務上過失傷害事件の被疑者である。
  (8) 警務官は供述調書を取らなかった。
   控訴人の主張(9)・通常,業務隊の防衛事務官が供述調書を作成する。
  (9) 陳述書(甲25)は代理人(法務官)に供述した。
   控訴人の主張(10)法務官は第8師団司令部法務官室法務課の法務官である。    
 9 控訴人の主張するストーリー(控訴人車線のひし形マークの謎を解く。)
  (1) 平成11年10月10日は祝日(体育の日)で,日曜日だったので,翌日
   の11日は振替休日であった。
  (2) 自衛隊は,小野寺及び関係者の事情聴取や事前の準備があり,本件道路は
   平日の交通量は少ないが連休中は観光客の車両の通行が多いことから,実況
   見分を連休明けに行なうことにした。
  (3) 自衛隊は,連休後の12,13,14日に事故調査・事情聴取・実況見
   分・事故処理対策会議等を行なった。
(4) 平成11年10月12日,自衛隊は,事故直後の捜査で得た資料に基づき,
   「控訴人車線のひし形マーク」等を設置し,自衛隊写真②を撮影するなど,
   実況見分の下準備をした。
  (5) 平成11年10月12日, 熊本赤十字病院に入院中の控訴人を訪ねて,第
   8師団司令部付隊の斉藤1尉と称する者が来た。控訴人は,本件事故は自車
   線内の事故と控訴人の妻から聞いており,相手も同じ認識だと思っていたの
   で,控訴人には事故当時の記憶がないことを話した。事故の態様や治療費の
                 20/70頁
   支払い等についての会話はなかった。(甲65)
  (6) 平成11年10月15日, 熊本赤十字病院に入院中の控訴人を訪ねて,陸
   上自衛隊北熊本駐屯地業務隊・防衛庁事務官・奥田重盛という名刺を持った
   者が来た。奥田は昨日で自衛隊の調査が終わったと述べた。控訴人は控訴人
   車の処置について聞いたが,勝手にしたらいいと言う無愛想な態度で,会話
   は続かなかった。(甲65)
  (7) 同日,奥田重盛が去った直後熊本赤十字病院の大石信清事故処理室長が病
   室に来て,「大変なことになっているから,治療を健康保険に切り替えたほ
   うがいい」と控訴人に告げた。(甲65)
  (8) 「大変なことになっている」というのは,上記斉藤1尉の報告を受けて,
   自衛隊の事故対応の方針が変わり,衝突位置が控訴人車線上から自衛隊車線
   上に変更されたということである。
  (9) 自衛隊の衝突位置の変更に伴い,自衛隊写真②に写っていた9個の控訴人
   車線のひし形マークのうち6個を残して,控訴人車転倒位置に近いほうのひ
   し形マークが消された。
  (10) 警察写真⑩が撮影されたのは,控訴人車線のひし形マークが6個になっ
   てからである。
  (11) 控訴人は,熊本赤十字病院から外出許可が出たので,平成11年10月
   26日朝,間ノ瀬巡査部長に電話し,玖珠警察署で話を聞きたい旨を伝えた。
  (12) 間ノ瀬巡査部長は,10月26,27,28日の3日間は所用があると
   のことで,10月29日午後1時に出頭することになった。
  (13) 平成11年10月29日,玖珠警察署で間ノ瀬巡査部長は,控訴人に対
   して平成11年10月8日に作成した交通切符様式の実況見分調書等に基づ
   いて本件交通事故の発生状況を説明したという。間ノ瀬巡査部長は,現場写
   真は未だ現像していないといい,現場見取図を含め書面等は見せなかった。
・・・
{原審 横浜地裁 平成17年(ワ)第2710号 判決}
 民事第9部 裁判長裁判官 土屋文昭 裁判官 一木文智 裁判官 吉岡あゆみ