民事裁判の記録(国賠)・自衛隊車とバイクの交通事故の民事裁判

1・訟務検事の証拠資料のねつ造など不法な弁論。
2・玖珠署の違法な交通犯罪の捜査,虚偽の実況見分調書の作成

30-2:訴訟カ裁判ヲ為スニ熟スルトキ

2010-02-21 06:47:54 | 第4訴訟 第2審 被告大分県
        三 情報状態としての裁判への成熟
 筆者はかつて、「裁判に熟すとは、必要とされる審理結果の確実性(解明度)に達したことである。」と述べ
た(1)。その際、「解明度」について以下のような例で説明した。
 (a) 原告XはA市で赤いバスに追突されて怪我をした。
 (b) 事故当時A市内のバスは数社が運行していたが、赤いバスの内の九〇%は被告Y社の所有であった。
 原告がこの二つの事実のみを主張立証しているとき、誤判の危険率から見るとXを勝たせた方がYを勝たせた方
より、正しい判決である確率は九対一で大きいであろうが(弁論主義の下では、この段階ではA市のバスの九〇%は
Y所有であったということしか判断材料とならず、資料に基づかずにかってにYが加害者である確率を六〇%や四〇%
などに変更することはできないはずである)、そこで得られた心証と、さらに目撃者、Y社のバスの修理についての調査、
事故当日のY社のダイヤグラム、その他予想される証拠の有無や証拠調べなどを尽くした後の心証とでは、たとえ
確率的には結果として同じ九〇%となろうと、その内容は大きく異なっているであろう。審理が尽くされて訴訟に
おける情報状態が豊かになるほど判断は確実なものとなろうと論じ、そのことを「審理結果の確実性(解明度)」
が高くなったのだと表現した。そして、裁判に熟すとはこのような意味において審理が十分に尽くされて、審理結
果の確実性が高まり、必要とされる訴訟の情報状態が達成されたことであると述べたのであった(2)。
 現在では、筆者は以下に述べる二つの点て、裁判への成熟と審理結果の確実性を同視することについては一部修
正すべきであると考えている(3)。まず第一点は、上記の解明度の説明では、形成された争点についての事実認定
の過程のみを対象としているが、審理を尽くすという解明度の内容には、ほかに、主張を尽くして争点を網羅し、
明確にして整理するというレベルでの審理を尽くすということがあると思われる。さらに、審理を尽くしたとは、
法律構成の点でも十分に検討を尽くしているということも意味するはずである。筆者は、この法律構成と争点形成
とは、不即不離な関係にあると考えている。訴訟における争点形成とは、法律要件に該当する具体的事実を主張し、
それが相手方によって争われて争点が形成されるのであるから、いかなる法律構成をとるかの決定は争点決定の過
程と重なり合う場合が多いのであり、逆に法律構成なくして争点はありえないといえるであろう。この法律構成・
争点形成(事実の主張)・証拠調べの三つのレベルで審理が十分に尽くされたときが必要とされる解明度が達成され
たとき、すなわち裁判に熟したときと一応いうことができると考える(一応と述べる理由は第二点を参照)。この点
で、解明度(裁判における情報状態)は審理結果の確実性(事実の存否についての心証の確実性)と法律構成の検討・
争点形成(事実主張)の十分さを包括する概念であり、裁判への成熟の中心的内容であると考える。
 修正を要すると考える理由の第二点は、上記の裁判への成熟の定義が、裁判所の情報状態という裁判所の側から
の観点のみで構成されている点で、不十分ではないかと思われるからである。すなわち、訴訟が裁判に熟したとし
て弁論を終結し判決をなすことができるかの判断においては、当事者主義を原則とする民事訴訟であるから当事者
の手続保障がなされたかの考慮も不可欠であると思われ、裁判所の獲得した情報状態のみを基準とすることは十分
でないと考えるのである。この点は後に節を改めて論じることにする。
 以上のように修正され、留保を付した限度で、裁判への成熟とは、審理が尽くされて裁判所に十分な情報が獲得
された状態、すなわち十分な解明度が達成されたときであると考えることができよう。
 では、どれほどの解明度の達成が裁判への成熟には必要とされるのであろうか。まず、法律構成と争点形成のレ
ベルでの必要とされる解明度については次のように考えている。審理不尽・釈明権不行使の違法とは、弁論を終結
すべきではなかった、釈明をするなどしてさらに審理を尽くすべきであったという判断であるから、審理不尽に該
当するかどうかあるいは釈明権不行使の違法となるかどうかが必要とされる解明度の判断においてある程度の基準
を提供するのではないかと思われる。新堂教授は審理不尽の判例分析において、「裁判官にしても、当事者にして
も、事件のストーリーをみながら、とりあえずどんな法律構成が考えられるか、適用されるべき法条はなにかを想
定し、そこから、認定すべき必要な事実を定めていくことになる。そこでは、まず第一に、問題にすべき法律構成
が違えば、結論を出すために必要な、認定すべき事実も当然異なってくる。第二に、法律構成が定まったとして、
その法律構成に関連する法規の要件事実の存在、不存在を判断するには、具体的に主張されている事実のうちどの
部分が確認されれば必要にして十分かを判断しなければならない。……このいわば争点形成段階におけるいわゆる
あてはめの作業においても法の解釈が違えば、認定すべき必要な事実の範囲も当然異なってくるはずである。」
と述べられ、審理不尽とは、この法律構成が誤っている場合と争点形成段階での誤りの場合とであると指摘され
る(4)。また、十分な検証は後日に譲らねばならないが、釈明権不行使の違法とされる場合においても、裁判所が
請求の定立や法律構成・争点形成段階での当事者の訴訟追行に不明確さや不十分さのあることを知りあるいは知り
えたはずであるのに釈明によって事案の解明に努めることを怠った場合が多いのではないかと筆者には思われ
る(5)。このような分析から、必要な解明度が達成されたとは、可能な法律構成、適用可能な法条・要件事実を十分
に検討し尽くし、予想されうる主張や証拠の提出が尽きていることであるということができるのではあるまいか。
 次に、事実の認定のレベルでの必要とされる解明度についてぱ、筆者は、訴訟に必要な時間的物質的な費用と紛
争の重大性の比較衡量によって判断されるべきであると考える。たとえば、少額の訴訟で、何年も審理を続け何十
万円もかけて証拠を調達するなど不要であろうし、逆に、人の生命や重大な社会的利益が問題とされている訴訟の
場合には十分に審理を尽くし、高い解明度を達成することが要求されるであろう(6)。
      四 手続保障の充足としての裁判への成熟
 弁論の終結をめぐっては、裁判所・原告・被告の間での訴訟追行における利害が複雑に入り組むであろう。すな
わち、迅速な裁判や審理の充実については、抽象的一般的には裁判所も当事者も共通の利益を有しているとはいえ
るが、現実には訴訟促進をはかる裁判所によって審理が切り詰められたり、当事者の訴訟追行上の手続保障がない
がしろにされるおそれがあるし、逆に、当事者が手続保障の名の下に訴訟の引き延ばしや馴合い訴訟をはかること
もありうるのであり、また、当事者間には当然ながら利害の対立が生じるとともに、たとえば準備不足の訴訟代理
人同士が馴合って引き延ばしをはかる場合のように(1)、裁判所と当事者と代理人の間で利害が対立することも考
えられ、具体的な訴訟追行と紛争の在り方によって極めて複雑な利害関係が生じうる。
 裁判所はこのような複雑な利害関係を調整して訴訟が裁判に熟しているかを判断して弁論を終結しなければなら
ないのである。その利益衡量の結果、情報状態としては裁判に熟しているといえるが、当事者の手続保障を実現す
るために審理を続ける必要のある場合や、逆に、解明度は不十分でも裁判に熟したとして弁論を終結して判決をな
さなくてはならない場合もあるであろう。裁判への成熟の判断においてはこのように当事者の手続保障の観点から
も考察する必要があると考えられる。
 ここでは、紙面の都合上、手続保障の一般論に立ち入ることは避け、弁論の終結の基準としての裁判への成熟を
考えるための若干の指摘をするにとどめる。まず、これだけあれば手続保障は十分だとその内容を積極的に定義す
ることは困難であるが、少なくともこれらが満たされないなら手続保障として不十分であると消極的にいうことな
らある程度はできよう。その意味で考えると、手続保障には当事者が第一次的な手続の支配者として主体的に自己
の責任において訴訟追行できることが不可欠であろうから、まず第一に、法律構成・争点形成といった訴訟状態の
現状について裁判所と両当事者の間に共通の認識があることないし共通の認識がありうるような保障があることが
手続保障の前提であるといえよう。次に、各当事者は手続の結果に対して自己に有利に影響を与える機会と可能性
が保障されていなくてはならないであろう。第三に、各当事者は訴訟追行の在り方に自己の意見を反映させる機会
と可能性が与えられていなくてはならないであろう。第四に、以上のようないわば結果に関係付けられた手続保障
とは別に、各当事者の訴訟追行に有する手続固有の利益が保障される必要があるであろう。第一の点からは、釈明
権・義務の機能として、前節で述べたような訴訟の情報状態の充実をはかる機能だけでなく裁判所・両当事者間の
訴訟状態についての理解の一致をはかるという、手続保障の前提を準備する機能が評価されるべきであろう(2)。
第二の手続結果への影響力は、結果の実体的正当性を目指すとともに、手続保障があった以上たとえ真実に反する
結果となってもそれは自己の責任となるという従来の既判力正当化理論の主要部分を形成するものである(3)。第
三の手続への影響力は、当事者に訴訟追行の熱意のない場合に裁判に熟すとして弁論を終結する裁判例(4)などか
ら推認される考慮である。また、処分権主義・弁論主義のもと、訴訟を判決によらずに終了したり、自白や争わな
いことで事実の審理をしないでおく権利を当事者に認めながら、逆に弁論の終結という場面では審理を続けたいと
いう当事者の意思を裁判所が無視しうるとすることは裁判の公益性を考慮にいれても均衡を逸していないかという
問題意識を導くこともできよう(5)。第四の手続固有の価値としては、たとえば、訴訟の場で紛争当事者が平和裡
のコミュニケーションの機会を持つことの効用、相互理解の涵養などを例に挙げることができよう(6)。
 以上の私見は裁判への成熟をめぐる手続保障を試みに論じた極めてプリミティヴなものであるが、全くの的外れ
の議論ではないとするならば、このような手続保障の考慮から、訴訟の情報状態は十分でも当事者の訴訟追行の意
欲と利益を考慮して審理を続けるべき場合や、逆に、訴訟の情報状態は不十分であっても、それは当事者の責任と
して裁判に熟すと弁論を終結すべき場合などを個別事案にそって判断すべきであるということができると思われる。
        五 おわりに
 裁判所の内心の裁量的判断であるとして、従来それほど正面から検討を加えられていなかった「裁判に熟すると
き」という概念について、筆者なりの考えを試論として述べたものである。御批判を戴ければ幸いである。
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「訴訟カ裁判フ為スニ熟スルトキ」について 太田勝造 名古屋大学助教授
特別講義民事訴訟法(法学教室全書)429頁~444頁
昭和63年2月5日第1版第1刷発行 編集者新堂幸司 発行所 有斐閣
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