延岡というまちをアーカイブ化していくには。

延岡というまちについての記憶を考えていく。

津波の伝承。

2011-04-04 06:26:02 | アート・文化

1,000年前の文献記録や、地層に残された痕跡から過去の災害を調査分析するという方法がある。自分でも発掘調査をしていて噴砂、すなわち液状化の痕跡を確認した事もあるが、こうした過去の情報が将来の防災におおいに有用であるという点も重要視されるようになった。

一方、ヒトは日常の経験的な感覚で災害がどの程度あるのかを捉えるものであって、しばらくそうした災害がなければ、過去の大災害も"歴史上の出来事"としか認識しなくなってしまうものだ。

東日本大震災では、過去の津波に関わる伝承が命を救ったという事例がいくつか報道されているが、過去宮崎を襲った大地震と大津波にも、大きな被害の跡を示す同様の伝承がある。

#ちなみに宮崎県では、過去に起こった様々な災害に関する記録を"宮崎県における災害文化の伝承"として冊子化し、啓発している。

寛文2(1662)年、日向灘を震源とする大規模な地震(外所地震-とんところじしん、とんどころじしん-)が発生し、日向国の沿岸部では、現在の宮崎市を中心に大規模な被害があった。延岡でも延岡城の石垣が崩れる等の被害が藩の記録の中に遺されている。

20110402dsc_67982 恐らくその頃に出来たものであろう伝承として、延岡では民俗芸能として地域社会の中に遺されている事例が伊形地区の日枝神社に伝わる花笠踊りである(写真は桜の咲く日枝神社)。

これは村を大津波が襲い七日七晩引かなかったが、山に逃げていた村人達が救いを求めた所白鷺の大群が波頭を舞った。すると津波がおさまり、以降踊りを奉納するようになったという云われのものである。

踊りには時代によって付加された部分もあると考えられるのだが、重要なのは、ほんの少し以前の事であっても忘れ去られてしまい勝ちな災害に関わる記憶を、地域社会が踊りという身体的経験として焼き付けている点である。

延岡市内には、北川町にも"牛が山を登った"等の津波に関する伝承がある。これらを丹念に拾い上げ、地域の情報として伝える必要性があろう。


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