延岡というまちをアーカイブ化していくには。

延岡というまちについての記憶を考えていく。

昔考えていた事。なんとなく。

2013-07-29 06:35:38 | アート・文化
何故か、学部生から院生の頃の自分の考えていた事を、脈絡もなく思い出した。

大学入ってからずっと土器研究をやっていて、特に院生の頃は海外の文献をよく読んでいたのだが、恩師の影響もあってアメリカサウスウェストコーストの土器やさまざまな道具研究(物質文化研究という)に関する文献を読んでいた。

ある時、プエブロインディアンの陶工のおばちゃんの「同じものつくろうとしてもかわってしまうのよ。娘が熱出した時なんか心配で、それが作陶に出てしまうのよ」、という発言が記述されていたエスノグラフィーを眼にし、さらにニューメキシコ大学の博物館で一人の陶工が作製した焼き物の絵付の個体差を目にした。

それは自分の寄っていた考え方が脆くも崩れ去り、ある意味考えていた事がその通りだったという。すなわち、僕らは一般性の中から特殊性は見出せるけど、単独性はこういう見方からはやっぱり無理なんだよね、という事。これか柄谷行人さんが"探究"などで書いていた事。

僕は江戸時代の伊豆神津島沖で沈没した千石船の中からみつかった擂鉢のすり目の研究を行った時に、そこに陶工による差みたいなものが見出せたので、もしかしたら、工人という専業化する以前のモノの中、特に先史社会にもそういったものが見出せ、そしてさらにそこから単独性を見出す事が出来るのではないかとなんとなく考えていたのだが、結局は難しかった。

物事がかわっていく時はある人が見出した単独性という固有性から出発する。しかしながら、単独性は他者がそれを認識しようとすると、一般性の中に埋没してしまう。他人が見出せるのはせいぜい、一般性の中にある変わったもの、すなわち特殊性でしかない。それは既に柄谷さんが書いていたし、僕が当時研究から確認したのはそこ事だった。

当時、マックス・シュティルナーの『唯一者とその所有』の帯に「単独者達へ」と書かれていたのを今でも覚えている。そういう時代だったのかもしれない。

そして、それがわかった時、それまでやっていた事をとりあえず纏めて終りにした。そして一旦転じて、思考を山の中に棲む他者性の中に置いたのだった。

部屋の壁をとても小さな虫が這っているような気がした。夜中に目が覚めて思った事。