延岡というまちをアーカイブ化していくには。

延岡というまちについての記憶を考えていく。

「リアル」からみえてくるもの。

2016-06-30 06:30:35 | Weblog
雨の中、延岡から車で国道218号を抜けて、宮崎県から熊本県の県境を越えて山都町へ入り、さらに右折して445号を進む。
ぽつり、ぽつりと、屋根にブルーシートがかかった家がみえてきた。斜面が崩落している所もある。やがてブルーシートは多くの家々にかけられているのをうかがえるようになった。

20年前、大阪から新快速に乗って神戸三宮方面へ向った時の風景を思い出した。あの時もブルーシートが増えていった。

車は県道の山道を抜け、益城町へと入っていく。中心部の道路の路面は荒れていて、凹凸が激しい。大型車輌が多く、渋滞していた。この日は若い衆を連れ、ある方から地震の発生直後から2ヶ月を得た今日までの様子ついてうかがったのであった。博物館(学内)実習での企画展示の準備のためである。「リアル」に触れる経験。これは彼・彼女ら若い人々がこれからの人生を歩む上で極めて重要な事だと確信している。


益城町を訪れた翌日に、現地へ行った数人による報告を行ったが、これは行かなかった者達にも大きな衝撃となった。「災害から生き延びる事とは、避難方法を理解して食料品などの準備しておくだけではない。いつも辛い事ばかりで落ち込んでいるだけでなく、様々な状況にあいながらもなんとか日常を生き抜いていく事」という意見。お借りしてきたコブシ大の「ガレキ」が、ただのコンクリート片ではなく、「資料」としての価値を持つ瞬間に彼・彼女らは立ち会えたのである。




※この内容は7/14~23に実施する、『明日は我が身―揺れる心、揺れる大地―』と題された博物館(学内)実習での企画展示(開催場所:延岡市民協働まちづくりセンター)に反映されます。

家の歴史と、そこから出てくるモノ。

2016-05-23 18:23:07 | Weblog
解体に伴って資料保全を行った宮崎市のS邸。
これまで屋根が落ちていて入れなかった建物を解体しており、今日はそこから古写真・ノート・古地図等を回収。家の歴史とともに蓄積されてきたのだなあと思う程、様々なモノが出てくる。

壊されている脇から、文化財をなんとか取り出そうというのはどこかで経験したなあと思ったが、よくよく考えたら工期の短い行政調査(発掘の事です)はこれだよね、と思った次第。

出てきたモノは自分の専門に関わらず、様々な専門家にご教示頂く。今日もこの御宅から出てきた油絵を県内でお一人しかいない大学所属の美術史専門家に観て頂いた。これも醍醐味なのだ。

5年目の被災地にて。 その1

2016-03-01 05:12:51 | Weblog

東日本大震災から5年となった。元々東北被災地から離れている九州では、この震災をどこか遠くの出来事のように扱い、すでに過去のものとされてしまっている節もあるように思えて仕方がない。だがそれは当の被災地であっても外からは「いつまでも震災なのか」と言われ、さらに被災者の事が以前と比べて急速に忘れられてしまうと感じられているという。確かに10年前・5年前に宮崎県内各地で大きな被害をもたらした台風14号や口蹄疫といった、その時は身近であったはずの災害の記憶を、我々はいつのまにか乗り越えたつもりになって忘れつつあると実感する事がある。こうした点では同様なのかもしれない。

2月、まもなく3.11から6年目を迎える、被災5年目最後の東北を旅した。私の専門である博物館研究に関する集会が、宮城県多賀城市の東北歴史博物館で開催されたからだ。ここを以前訪れたのは前身の東北歴史資料館の時代で、今回実に20年ぶりであった。この博物館は東北地方で最も大きな規模を持ち、震災直後の文化財レスキュー拠点としても活用されていた(現在でも宮城県内の被災文化財の保存処理作業が、この館で行なわれている)。そうした場所で岩手・宮城・福島の被災3県における博物館の現状とこれからについて、それぞれ発表があった。

今回の発表を聴いて実感したのは、被災各地の博物館は被災直後の困難を乗り越えようとしながら、それまで日本の多くの博物館が主に担ってきた「過去をのこしていく」という活動から「未来を創り出す」という活動に向って方向転換を目指しつつある点であった。震災直後には各地の博物館で所蔵されたり、コミュニティや個人が大切に保管してきた数多くの文化遺産が被災してきた。これらは主に東日本や、阪神淡路大震災での経験を持つ近畿地方を中心とした専門家の手によってレスキューされ、さらに修復されてきた。これには直接的なレスキューに参加した訳ではないものの、レスキューに入った山形の文化財専門家グループの支援活動として、我々宮崎の専門家も資料情報化を行っている。こうした資料は現在も一部が安定な状態に保たれる状態となるために処理中であったり、さらには修復の途中にあるものの、土地や社会の履歴や足跡を記録・記憶してきた対象として重要である事から、懸命な作業が行われてきた。今、5年目になってこうした活動が曲がり角を迎えつつある。

一つにはそれは、救済された資料をどう活用していくかという点である。これまでも安定化による保存や修復された資料は、被災地だけでなく全国各地で災害を物語る重要な物象として展示されてきた。昨、平成27年2月~3月に、宮崎県総合博物館で開催された『”文化財”を守り伝える力―大災害と文化財レスキュー』展はその一つであった。遠く離れたこの宮崎において被災地の博物館や文化財の状況を理解し、さらに過去の災害の記録が防減災に大きく関わっている事を理解出来る重要な展示であったが、こうした企画では震災被災地で救済され、修復された資料が主に展示された。

だが今までの所、実際に活用されてきた資料はこれらのうち一部である。被災地の博物館では、従来の展示だけでなく、より広く活用していくにはどうしたらいいのかを考えていかなければならない段階になってきているのだ。こうした背景には、復興庁を中心とした集中復興期間が平成27年度で終了し、「復興特需」とまで言われたこれまでのような大きな財源が確保しにくくなるという事もある。しかし、問題はそれだけでない。そこには最初に述べた人々の意識の変化が強く関わっている。


※写真は東北歴史博物館

博物館実習に向けての課題。

2016-01-19 04:59:25 | Weblog
僕の所では博物館実習を4年でやるのだが(3年次は他の資格課程がある)、実習最初の授業までに今から3年生に課題を出した。

一つは博物館(館種幅広く)を5館見学し評価するというもの。今月号の『博物館研究』(特集「大学における博物館教育」)に宮瀧交二先生が書かれていたのだが、資格取得を目指している割には今の学生は博物館に行かない。うちのような地理的に厳しい所はなおさらなので、こうでもしないと自分できちんとみてこないという事情がある。

もう一つは教育用の学習材として"ZINE"を作成してくるというもの。ZINEは、ある観点から情報を収集-編集デザイン-製本というプロセスを持っていて、これは課題としてぴったりという判断から今年はじめてやってみる。

例年、3年次に博物館教育論でワークショップを企画してやらせたりするのだが、今年の学生からキャップ制(単位取得上限)の関係で4年生にくりあがったという事情があって、学生の理解になかなか厳しいものがあるなあと、考えている所。

さあ、どんな課題をやってくるのか今から楽しみだが、こちらでも学生の見本をつくらないといけない。

平和の塔、記事コメントについて。

2015-10-13 05:26:08 | Weblog
平成27年10月12日の宮崎日日新聞「平和の塔、石材返して 中国住民、宮崎県へ要求方針」という記事の中でコメントしましたが、紙幅の関係でどうしても短くなっているので、記者さんにお話した内容をここに記しておきます。

・日本はユネスコのハーグ条約(武力紛争の際の文化財の保護に関する条約)・文化財不法輸出入等禁止条約などに批准していて、国内法も整備されてきている。条約以前のWW2期の問題とは言え、道義的な責任があり、なんらかのかたちで対処する事は求められるだろう。

・一方で、宮崎県はこの塔を東京オリンピック前後にあらためて「平和の塔」として位置付け、貴重な文化遺産を中核とした公園整備を行なってきた経緯がある。特定の石材をそこから取り除く事は、文化遺産そのものの破壊にもつながってしまう。また、これまでの民間の調査があったとしても、使われている個々の石材が本当に「相手方の言う文化遺産」にあたるのかどうかや、建設経緯にかかる記録類等の調査を県として今一度きちんと行う必要がある。欧米各国でも返還に応じていないケースが多く、今回の場合、そもそも先方に返還請求の権利はあるのかという問題もある。

・何といってもこの問題は、宮崎県がこの塔を「平和の塔」と銘々しながらも、それを単なる観光資源として扱うだけできちんと戦時中の問題に関して、県としての明確な位置付けをはかってこなかったツケではないかと考えられる。いずれにしても国際問題になり勝ちであり、国内の同様の文化遺産にも影響を及ぼしかねないので、県有財産であっても独断・拙速は避けなければならない。


寺社と地域社会にとっての文化遺産は維持できるのか。

2015-08-03 06:52:00 | Weblog
人口減少によって寺社の住職・神職がいなくなり、地域コミュニティでこれらが守られてきたが、これも困難になってきているという状況がある。

文化庁編1970『文化財保護の現状と問題』p.34には、「山中の無住の社寺等では防災管理上きわめて憂慮すべき問題があるので、これらを含めて有形文化財全般についての管理体制の整備と防災事業の充実が今日における最も重要な課題の一つ」という文章があって、この問題は高度成長期には既に発生していたという事が理解出来る。

この45年間、弱小官庁である文化庁や、孤立しがちな自治体教委の文化財担当・学芸員等は厳しい中で予算・人員を獲得しつつ、調査を行い、保護につながる手立てをとってきたと考える。しかし、やはりそれは不完全で、特に現状のような自治体のさらなる統廃合の可能性が出てきている状況ではなんともしようがない。

昨今では寺社経営の点から統廃合という方向性が強くなりつつある。下記の『中外日報』の記事は詳しい。

http://www.chugainippoh.co.jp/rensai/jijitenbyou/20150130-001.html

我々は地域コミュニティの存在と文化財の保全が切り離せない問題にあるという事は既に理解している。この立場に立てば、我々はかつて南方熊楠が行なった神社合祀反対と同じように、寺社の維持を世に訴えていく必要性がある。

そしてその一方で、維持すらかなわない寺社においては、「引き取り手」をどうするか、を考えていかなければならない。合祀先であるはずの近隣の寺社すらも、昨今では厳しい状況にある。宗教系大学の博物館や県立クラスの博物館にはキャパの問題、市町村クラスの博物館では、そもそも施設を維持できるのかという問題すらある今日なのだ。

地域拠点都市と周辺部の関係を博物館で考える。

2015-06-19 06:28:14 | Weblog
服部敬史さんが2006年に『月刊社会教育』(2006.11)で書かれている「博物館二様論-地域博物館の新たな役割」という論文で、公立館の1割程度である都道府県立の博物館は調査・研究・収蔵・展示という博物館本来の仕事を担い、一方残り9割の市町村立館はそうした仕事にこだわらず、独自活動をすべしという考え方を述べられている。

これは伊藤寿朗さんの中央型-地域型博物館の概念を都道府県立と市町村立に置き換えたものだが、もし人口減少によって現行の市町村にクローズする所が生じ、地域拠点都市を中心とした集積構造として考えるのならば、そうした方向性もあるのかもしれないと考える。

これは図書館が県立館と市町村館で、その役割が異なっているという事例がすでにある。

社会の課題解決にむかうという選択。

2015-06-16 17:33:12 | 保存
地域性の強い文化資源が、かろうじてつながっている地方のコミュニティを維持させるのに強く関係していて、それが自然災害や盗難という外部からの力によって、コミュニティ内部に不信感まで生じさせてしまうという事を、ある所のお話を聴いてよく理解出来た。

また、少なくとも九州各県では、特に後者の問題に対して何も対策がとられていないという事を承知した。極めて重大な課題を突きつけられたと感じている。

3.11以前、「地域コミュニティとの関係に文化財に関わる我々も関わるべきであり、我々の仕事自体も変化していくべきではないか」という話を県内で話しても反応は薄いなと思った。3.11以後も、九州地区の文化財保存の研究会で同じような話をしても、京都から来られた人以外には「ポカ~ン」とされてしまった経験がある。それが最近になって大きく変わりつつあるのではないか、と感じている。

一昨日の九州国立博物館でのシンポジウム『地域と共に考える文化財の防災減災』にパネラーとして参加し、さらに翌日の専門家向けの会議にも参加して、そうした考えが専門家の間でも明らかに強くなっていると理解したし、大きな課題を突きつけられたと感じている。

今後我々の仕事は社会の課題解決に対峙するという方向に舵を切ったのだ、とも言えるだろう。

地域間連携について考える。

2015-05-22 17:45:16 | Weblog
桜島が噴煙をあげている中、鹿児島歴史資料防災ネットワークの佐藤さんの所(鹿児島大学教育学部)を訪問する。鹿児島・宮崎の南九州2県での連携を模索しはじめている。具体的には人材の育成を考えている。

かつての郷土史家や、観察会を引っ張っている理科の先生のような地域社会の専門家が少なくなってきている事の一つに、学校教員人事を特定の自治体に定着させる事が難しくなったり、彼ら教員の仕事そのものが多忙化したり、その他様々な原因がある。

あるいは人口減少社会において、恐らく国の政策をみると県庁所在地や中核市以下の人口しかない自治体は生き残りそのものが難しくなっていくであろう将来が、残念ながら垣間見えてしまっている。

でも僕らは、それに対してまったく無策で手をこまねいているという訳ではない。そして南九州の状況を理解している、特定の分野の専門家としての一定の自負がある。

なら、一体何をやれるのか?

一度収集したモノを処分しなければならない事についての議論。

2015-02-26 14:33:11 | Weblog
石巻市では震災時に被害を受け、なんとか救済されて洗浄・整理デジタル化され、持ち主を待っていた多くの写真が、残念ながら焼却処分されたという話を先週聞いた。

電子情報化されたのでオリジナルは処分という、実は商業雑誌等でスキャンスナップ使ってスクラップ化⇒原本は処分という消費社会の情報化プロセスの普及で一般化してしまった認識がそのまま適用されたような話でもある。確かに劣化した写真はオリジナルより像をのこす事が優先されるのは理解出来る。しかし、捨てるべきではないのではと考える。それは「何か?」と言われると本来複製技術であるはずの写真にもアウラが生じているからかもしれない。こうした考えは、鹿児島にある島津斉彬公の写真をみた時からそう思っている。

一旦収集された資料が廃棄されてしまう状況。これまで文化財としてみなされてこなかった資料-未指定文化財などとも言う-全般にも言える問題なのだが、アーカイブズ(文書館)方面で議論されている市民活動資料の保存活用といった問題に共通しているのかもしれないなあと、今アーカイブズ学会の研究会参加記を執筆しながら考えている次第。

要するに公的資料でないとのこす根拠がない。例えのこされたとしてものこし続けられるのかという不安定さが常に付きまとうのである。資料を永続的に保存・活用していく事。情報を収集するのはむしろ民間の方がフットワークが軽いのだけれども、これを継続させていくにはどうしたらいいのか..。

救済ワークショップから考える。

2015-02-23 17:14:35 | Weblog

2/22に宮崎県総合博物館で実施した水損資料保全ワークショップ。神戸の歴史資料ネットワークから吉原大志さんと川内淳司さんをお招きして午前と午後の2回開催した。

午前中は博物館の比較的近くに居住されていると考えられる常連の方々が中心で、年齢層は若干高め(そう高くはない)であった。一方、午後は宮崎県内各地、遠くは熊本から、年齢層は20~30代が中心で若い方が多かった。正直後者には少し驚いた。

午後の参加者には図書館関係者が多くて、特に指定管理になってる館の司書さんが何人もこられていた。昨今の地方の図書館の状況を考えると、"読みきかせ"は色々な所で行われてはいても郷土資料(あるいは史料)を扱う事は少なく、ましてや指定管理だと研修自体少ない様子がある(実際は知りません)。参加者は地域コミュニティにおける活動に高い関心を持っておられる方が多い点も、みていて実感した。社会における諸問題解決の方法として、コミュニティの紐帯であったり、人々と土地とのつながりをこうした歴史的なモノを救済するという活動から考えられているのだと思う。

高齢化が進行し、大学等で専門的な分野を学ぶ場所の少ない宮崎では、歴史分野をテーマとした企画を催すと高齢者が多い(どこもそうかもしれないが)。これは年齢があがる程、自らの足跡と土地・社会とのつながりをどのように結びつけるか、という事を考えるようになる傾向があるからだと思う。一方、若い人が歴史資料に求めるのは、高齢者とは微妙に異なりながら、自分の位置付けをそこに求めようとする所があるのではないか、となんとなく考えている。今回のWSを受けて、早速次回の展開を考えたい。

地域社会の諸問題への歴史学の介入。これは応用人類学に近い活動であり、さらに文化財保存では国際協力の分野では実践されてきた事でもある。一方で純粋にアカデミックたろうとする部分からは、こうした活動に批判があったりもする。日本考古学では70年代から無意識のうちに埋蔵文化財行政として切り離しつつ離れすぎす、専門家が重なりながらもやってきた。日本民俗学でも人類学のような理論化はせずとも、それこそ宮本常一の離島振興法への関与もそうだし、そもそもが経世済民の学として誕生した経緯があった。歴史学-ここではいわゆる文献史学-がそうした所に触れてこなかったのは、やはり歴史科学たらんとする考え方から生ずるものなのだろうか?この辺りはよくわからない。

しかし、埋蔵文化財が「文化財保護行政」によってその領域を拡大した一方で、阪神淡路大震災以降勃興し、現代に至る市民社会の諸問題解決に寄与する社会的活動に上手く対応出来ているのか、というとそうではない。もちろんそうした活動が各地で実践され部分的な成果をあげている事例があるのも確かであるが、それは大勢にはならないのではないか。

阪神淡路大震災を契機として活動がはじまり、東日本大震災においてその担う所が大となった地域資料の保全活動、特にボランティアを中心とするこれらの活動は、明らかに地域社会の諸問題解決の一役を担うものであると考えている。ただそれは、専門家の一部からは合意されないものなのかもしれないという事は理解している。これは昨今のミュージアムの役割の変化とも共通する課題とも似ている気がする。

"文化財"を守り伝える力~大災害と文化財レスキュー~ 開催中。

2015-01-11 19:09:47 | Weblog
宮崎県総合博物館にて、特別展『"文化財"を守り伝える力~大災害と文化財レスキュー~』を開催中。

今回、企画協力を行っております。

「文化財を守り伝えていくことの大切さと今後の災害への備えについて」をテーマとした展覧会で、陸前高田市を中心に岩手県内で被災し、修復された資料約100点を展示しています。
また、1662年の外処(とんどころ)地震を現在まで50年毎に供養祭を実施している宮崎市木花地区島山の供養塔の事例、さらに400年前の津波災害を踊りで伝承している延岡市の伊形花笠踊りといった、宮崎県内の歴史的な災害の記憶に関わる展示もあります。

ぜひご覧ください。

特別展 ”文化財”を守り伝える力 ~大災害と文化財レスキュー~ 
期間:平成27年1月10日(土)~2月22日(日)
会場:宮崎県総合博物館特別展示室
観覧時間:午前9時~午後5時(入場は午後4時30分)
休館日:毎週火曜日、祝日の翌日
観覧料:無料


東京震災記より。

2014-12-27 19:20:10 | Weblog
田山花袋は、関東大震災で最も被害が大きかった被服廠横を通り、回向院で真っ黒に焼けた地蔵菩薩を見てこのように書いている。

私は安政の地震の時をくり返した。その時にも矢張この川のために遮られて、無数の焼死者を出したのではないか。今日と少しも違わない阿鼻叫喚の状態を呈したのではないか。否、そのために、その霊を慰めるために此処にこの回向院が出来たのではないか。この仏像が出来たのではないか。どうしてこう人間は忘れっぽいのだろう?どうしてこう人間はじき大胆になるのだろう?その時のことを考えて、火除地が残されて置かれてあったのに......。それなのに、いつ誰がそれを元のような人家にしてしまったのか。遁(のが)れる路(みち)もないような市街地にしてしまったのか。私はこんなことを思いながら、長い間じっとそこに立尽していた。

『東京震災記』

国会で狩猟活動についてこういったやりとりがあった。

2014-12-27 06:23:47 | Weblog
山間部の野生生物の増加と狩猟活動の諸問題について、186回国会衆議院環境委員会での篠原孝・百瀬智之議員の質問とやり取りが面白い。

ここでオオカミ導入の問題に触れているのだが、篠原氏は農水官僚出身の論客で、スローフード等の概念を定着させた本人でもあり、現代的な日本の農業の在り方を理解している人物。口蹄疫の際問題の多かった2人の農水大臣に成り代わり処理を遂行させたという。そして受けて立つ側に畜産県代表の二世議員でもある江藤拓農水副大臣がいる。江藤氏の場合どちらかと言うとベタで旧タイプな族議員に近いイメージもあるが、確かにこの人、山間部によく来ていて、僕自身かなりの僻地で何度かみかけた。

この2人の国会での数々のバトルを読むと、お互い現場を理解していて内心では共感しているんだなというのがよくわかる。この衆議院環境委員会でもそんな感じがした。

このやり取りの中でオオカミ導入・現在の狩猟活動の問題がやり取りされているのだが、その中でジビエ普及と検疫の問題が話されている。すなわち保健所が認めた施設で解体しないと流通出来ないという事があるのだが、議事録の発言中に獲物の重量があって猟師は普通、山で内臓を取り除いてしまうという話が出てきた。ここまで国会で話される事は珍しいと思うが、解体そのものが猟師の活動において重要な位置付けを占めているという点も難しいのではないか。

世間一般に「山に感謝する心」的なイメージを周知化させる意味でも、猟師による獲物の解体は外すのは難しいなあと思った次第。
下記から186回国会の衆議院環境委員会で篠原孝議員の発言を検索してみてください。
http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_logout.cgi?SESSION=18253

再建築不可-古いたてものが消えていく-。

2014-10-26 18:07:33 | まちづくり
地域文化遺産シンポジウム『再建築不可-古いたてものが消えていく-』を開催します。

日時:11/3(月・祝)13:30~16:30

場所:宮崎県延岡市、延岡総合文化センター

講演:後藤治先生(工学院大学建築学部教授)

パネルディスカッション:後藤治氏・柴睦巳氏(柴設計)・岡本武憲氏(日南市教育委員会)・今岡武久氏(文化財建造物保存技術協会)の各氏。 コーディネーター山内利秋(九州保健福祉大学)。

司会:柴田志摩子氏(宮崎県建築士会延岡支部女性委員会・延岡景観倶楽部)

また、11/2に延岡市内の歴史的建造物のモニターツアーも実施。
主催:伝統的建造物の保存と活用をする会・宮崎県建築士会延岡支部
共催:延岡建築設計事務所会
後援:宮崎県教育委員会・延岡市教育委員会・宮崎県建築士会



モニターツアー
11/2(日)
ひむか世間遺産に認定された歴史的建築を巡る、モニターツアーを実施します。
コースは昼の部(延岡市内各所の歴史的建築ツアー)・夜の部(ライトアップされた市内各所の歴史的建築ツアー)
いずれもマイクロバスで周回します。参加無料、定員40名。

昼の部:10:00(集合・出発)延岡市民協働まちづくりセンター駐車場-昼食:延岡水郷鮎やな(食事代各自負担)-17:00帰着(予定)
夜の部:18:00(集合・出発)延岡市民協働まちづくりセンター駐車場-20:00帰着(予定)

参加希望の方は氏名(及びふりがな)・住所・電話番号、どちらの部に参加かを明記の上、FAXかメールでお申し込み下さい。
FAX:0982-35-4771
メール:kenchikushikai_nobeoka@ybb.ne.jp

お問い合わせ先・宮崎県建築士会延岡支部 TEL 0982-35-3900(火曜日休み)


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