延岡というまちをアーカイブ化していくには。

延岡というまちについての記憶を考えていく。

博物館のない大学の博物館実習-社会の課題解決を目指した学内実習-。

2014-06-30 17:51:06 | 博物館
博物館のない大学での学内実習

学芸員養成における博物館実習のうち、学内実習については、文部科学省が平成21年に出した『博物館実習ガイドライン』で「博物館における館園実習の事前・事後指導と他の科目の補足を兼ねて、学内の実習施設等において資料の取り扱いや収集、保管、展示、整理、分類等の方法、調査研究の手法等について学ぶことを目的とする」とされている(ガイドラインP.3)。このうち、特に「資料を実際に取り扱う「実務実習」」(同p.4)については、単位・時間数を「2単位相当以上とし、延べ60時間から90時間程度以上」、実習施設について「学内の附属博物館等を活用することが望ましい」とされている。

ところが学芸員養成を実際に担う大学の全て(特に大規模都市圏にない大学)が大学博物館を設置している訳ではなく、また比較的歴史の浅い所ではコレクションそのものが希薄なので、授業で身近に取り扱える資料も限定されている。一つの解決策として大学の所在する地元自治体等のミュージアムと連携する事によって状況を改善し、学習活動に支障を生じさせない運営をはかる方法があるが、大学からの依存は地域博物館へ負担を生じさせる結果につながってしまうので、そうした問題を出来るだけ回避する必要がある。

九州保健福祉大学では平成21年度に学芸員養成課程を開設し、翌々年から博物館実習を開講した。本課程では設置されている学科の特徴を主体とする一方で、現代的なニーズに基づく地域社会に根付いた博物館活動・教育を視野に入れている事から、一方では動物園・生物学系を主体とした学習、もう一方では地域性の強い資料の取り扱いが行える技術の獲得を目指している。そうした事から県内動物園・市内歴史系博物館から非常勤講師を招聘して博物館資料論と博物館展示論を開講し、また関連科目として学科・学部の専門性を踏まえた科目や他の資格課程での実習を踏まえているので、博物館資料の取り扱いに関連する学習活動をこれによって補っている。

だが本来取り扱える資料を手元に持って行うべきであると考えている博物館(学内)実習のうち、実務実習においてはこうした資料の蓄積がない。そこで本実習では地域社会の諸問題解決を課題として据え、学生による企画展示の実施を実務実習の中心的な内容としている。この内容は平成24年度の実習生から開始し、同年度は地域社会の記憶を喚起する事で世代間のコミュニケーションの活性化や介護・認知症予防、若年層の地域社会に対する知識の蓄積を目的とした企画、翌25年度には工業都市として繁栄してきた地域社会における環境保全をテーマとした企画を実施した。


課題解決型の学内実習への取り組み

課題解決型学習・プロジェクト型学習等は能動的学修(アクティブ・ラーニング)の手法であり、近年は中等・高等教育の中に積極的に取り入れられている。問題を中心に据え、その解決を図る目的のもとに学修活動を展開する過程を体験する事で現実社会での問題解決のイメージづくりができる学修者の育成と、深い定着がはかられる学習効果の高さが、こうした学習が求められている背景にある(中山2013)。

衰退の進む地方において顕在している様々な課題の解決が試みられているが、ミュージアムもまた、そうした一役を担う場であり、さらにミュージアムでの様々な機能と作業は能動的な学修と親和性が高い。そして学芸員養成の諸科目において実務そのものを学習する学内実習は、この課題解決を目的としたシミュレーションに適応しやすい。こうした能動的な学修活動においてはPBL教育が近年、中等・高等教育において推進されているが、これらの動向を踏まえながら授業設計を行っている(註。
具体的には地域社会における課題を実習生自らが発見し、PDCAサイクルをベースとして組み立てられた毎回の授業を通じて、企画展のテーマ設定→資料調査→展示物作成・広報活動・教育普及活動の企画化→企画の実施→評価という一連の流れを理解していく。

初回イントロダクションにおけるアイスブレイクとして 「企画展のアイデアをトレーニングしてみる」というテーマで問題の提示とグループセッションを行い、次の段階で本格的な課題設定と企画テーマの確定に入っていく。この間に実習生は自らが学修活動で得た事象と次回に目標とする課題を記述しておく。一種のポートフォリオの役目を持つこの記載は実習初期段階においては抽象的な反省点の羅列と曖昧な目標を掲げるにすぎないのだが、回を増していくと次第に内容が具体化していく傾向にある。地域社会の課題を取り上げ、これを企画テーマとして集約していく間に自己学習とグループセッションを繰り返すが、合意形成の手法としては単純なディスカッションではなく、コミュニティデザインの手法としてまちづくり活動で実施されているワークショップ手法を取り入れている。

実習生は企画テーマを確定した後、企画・展示、広報、教育普及の各班に作業を分担するが、企画内容の資料調査については全員で行い、また班単位の作業進行中では各班の相互評価を実施する事で、実習生個々人が企画の全体像を見失わない様に心がけている。

市中心部に所在する展示スペースを有する「まちづくりセンター」で開催する企画展示では、実習生は来場者から様々な反応を得、発生する大小のトラブルにいかに対処していくかを学修していく。企画終了後には実務実習の最後として事後の点検・評価を行う。この点検・評価では来場者からの感想を確認した後、各作業班単位で自己評価を行い、さらにこれを別の班の人員が評価するという相互手法を採っている。これによって実習生が自分自身で獲得した学習内容を再発見・確認していけるように促している。

過去2ヵ年度間に行った課題解決型の学内実習からは問題点も確認された。例えば1)資料調査による知識の共有や相互評価の実施によって回避しようとしたものの、班単位での分業化による実習生の知識の断片化を防げてはおらず、さらに系統的な学習に比べて実習生への均質な学習効果が不明瞭な点、2)課題抽出から企画化-展示の実施-評価までを行うには半期セメスターでは短く、知識基盤形成が不完全なまま企画を実施しなければならないので、来場者に対して不完全な情報を提供する事になる点等がそれである。

註:医療分野において発展したProblem Based Learningや工学分野におけるProject Based LearningはいずれもPBLと略され、ある課題に対して少人数で解決していく点でとその過程で見られる学習のプロセスや効果が共通している。前者では学習のプロセスが明確に定義され、後者では学習は個別の実践に委ねられている(湯浅他2011)。

参考文献
中山留美子2013「アクティブ・ラーナーを育てる能動的学修の推進におけるPBL教育の意義と導入の工夫」『21世紀教育フォーラム』第8号 弘前大学
湯浅且敏、大島純、大島律子2011「PBLデザインの特徴とその効果の検討」『静岡大学情報学研究』16 静岡大学

※平成26年度日本博物館学会での発表要旨。


ドキュメントとアートとアーカイブ。

2014-06-12 06:24:00 | まちづくり
特定の場所で写真サークルの展示を毎年続けて開催していて気付いたのは、土地の人々は作品の一つが市内の何処かで撮影されたものだとわかると全ての作品をドキュメント、すなわちある時空間を記録したモノとして読み取ろうとする点である。なんとか作品から時間や場所を捨て去ろうとしても、読み手はもはやそれを許してくれなくなっている。

そうなってしまうといくら面白い切り取り方をした写真を展示してみても、読み手は自分の土地への関与の経験から写真の価値を決定してしまうのである。これに対し、こうした固定化を完全には否定せず、少し違う次元にシフトさせていくという試みは結構あるだろう。全国で行われている『美少女図鑑』なんかはそうした特定の土地での価値の読み替えをやろうとしてるのが分かりやすいのだけど、さらに、古い建造物をある『聖地』としてみたてたコスプレ撮影会などというのは、この土地の価値読み替えを先鋭化したものだろう。

ドキュメントとアートの境界線を狙ってみても土地の人はどうしても「これはどこ?」という方向性に傾いてしまうのがよくわかったのが今年。写真展で小さな小さな写真を配置してその位置関係をわかるようなわからないような感じにしてみたら、人々は全体の雰囲気ではなく細部を読もうとしていた様子。

昨年の博物館実習での企画展示において、市内だがどこを撮影したものなのかを曖昧にしたまま写真を展示する事で、それがまち全体について考える事なんだという事を認識してもらおうとした展示を学生が行ったのだが、客のクレームで学生が個々の写真に場所を示すキャプションを付けてしまったのがとても残念だった。本当はそこから来場者と対話する事の必要性に気付いて欲しかったのだが。 こういうのは事前にどこまでその意図を指示するべきかしないべきか。その判断は難しいものだなと思った。

ある画家が描いた作品を読み取る時に、最初は単に作品としての素晴らしさに感情の抑揚をおぼえるものだけど、その作家の来歴を知れば知る程技法だとか制作した場所だとかに拘るようになってしまうのは、全てが善とだけ考えるべきではないのかもしれない。 そしてその側面からのみ考えてみると、アーカイブは必要ではないのかもしれない。


昭和館にて。

2014-06-03 07:01:28 | まちづくり

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はじめて九段下の昭和館へ行く。まもなく取り壊される事になってしまった九段会館のすぐ隣にある。ここは昭和の、特に戦中戦後の暮らしをテーマとした施設として設立した所である。もう開館してしばらく経つが、今まで見学した事はなかった。来場者にはお年寄りも子供連れも、様々な年齢層が訪れている。館としては戦中戦後を苦労された方々に対する展示と、この記憶を子供達にも伝えていこうとする展示の間で苦労しているように感じた。

軽度の認知症らしい高齢者を、娘さんか息子の嫁さんらしい人が連れて来館していた。娘さん(便宜的にそう言っておく)は展示資料について「これは何?」「疎開先はどこだっけ?」とお婆さんに発話を促していた。博物館における回想法的手法の展開が広く行われるようになったが、特別な企画ではなくてこうして普通に昔を観る事を行えるのはとてもいい。

いくつかのコーナーの後、戦時中の暮らしをテーマにした簡単なゲームになっているCGが映し出された大きめのモニターの前に二人は座った。一次資料、さらには写真や映像といった様々な媒体をみた後であった。ところがお婆さんはなかなか画面の方をみてくれない様子。コントローラーがあるが操作はしておらず、下の方を向いて別のものに気をとられたりしている。娘さんはなんとかお婆さんに画面をみてもらおうと、注力していた。その時どこからか小学生の男の子がやって来て二人が座っているモニターに付随しているコントローラーを手にとって、二人をよそに操作しはじめてしまった。

お婆さんはもちろん娘さんも何も言わないで、小学生の操作を黙っていた。そのうちに小学生の親御さんが少し離れた所からその様子を見て、「今他の人がやってるから次にしなよ」との声。だがしかし子供は「(この人達)何もやってないよ」と反論した。親がさらに二人の状況を理解して、もう一度子供に「順番守りなさい」といいつつコントローラーから子供を引き離した。すぐさま娘さんはお婆さんを連れて座席を立ってしまった。

子供の親は下手に叱りつける事をせず、子供の理解範囲で状況を認識させようとした事はプロセスとしては悪くないだろう。また、このゲームは恐らくは子供向けにつくられたものであり、実際子供の参加を促すように工夫されていた様子である。

だが、かと言って認知症のお婆さんになんとか発話を促そうとして子供用のゲームの前で座席を占有していた感じになってしまったお二人が大人気ない訳ではもちろん、ない。こういった状況を整理出来るのは館職員やボランティアの役割なんだろうけど、たまたまなのか、受付の方以外にそうした人を見かけなかった。

認知症のお婆さんと孫のコミュニケーションが上手くとれていてQOL的にもいいという状況がツイートされていたが、恐らくそこにはその関係を理解している別の大人(下で言うAさんの娘でありお孫さんの親である存在)が存在しているからだと思う。親族以外で認知症者と子供をつなげる人材となると、少し専門性を有する技術が必要になってくるのではないかと、考えている。

satomi inoue
@satomiot
「認知症一人暮らしのAさん。冷蔵庫は賞味期限切れ食品で満杯。娘が捨てると「勝手なことするな!」と激怒。ある日、孫が「料理教えて」と遊びに来た。「あく抜きってどうやるの?」「これもう古いから捨てるね」Aさん自慢の煮物ができる頃には冷蔵庫もきれいに。尊重と尊敬。お孫さんに脱帽。#認知症」

https://twitter.com/satomiot/status/472916058085408768


こうした場面を垣間見ると、介護・福祉の分野とミュージアムとを結ぶプログラムを検討していかねばならないと切に思うのであった。


ところで昭和館の展示で個人的に気に入ったのは常設入り口にある戦地から夫が妻に宛てて送った手紙と、戦争未亡人の苦労を扱ったコーナーの映像展示のある映像。手紙の方は奥さんを想うご主人の暖かさが伝わってきた。終戦直後、夫が戦死して厳しい生活の中子供を育てている未亡人の映像で「生活は苦しいがなんとか、子供を立派にしたい」と答えていた母親の凛とした姿に涙が浮かんだ。息子さん達は今どうしているだろうか。