延岡というまちをアーカイブ化していくには。

延岡というまちについての記憶を考えていく。

記憶をつなぐドラマ。

2011-06-23 13:26:01 | アート・文化

ニュース以外殆んどテレビを見ない僕にとって、NHKの朝の連続テレビ小説はその僅かしかない稀に観ているストーリーものの番組であるが、今一つだったりするとすぐやめてしまう。

でも現在放送されている"おひさま"は、最初の展開こそ、斉藤由貴のやくどころが今一つわからないなあとか思っていたが、ここの所毎日感動して時には涙を浮かべてしまっているのである。

このドラマで興味深いのは、戦時中の市井の人々の暮らしを上手く描いてみせているという点である。例えば配給食糧を分配するおばさんは町一番のケチで、ほうっておくとサバの切り身をさらに小さく切られてしまう。それを主人公が何とか大きく切って貰える様にと、絶妙なやり取りを上手く描いてみせている。

1回の尺が15分という、短い時間の中に凝縮された毎回の日常。例えばこれは小津映画にある独特な会話の間や生活空間の描き方と似ている所もあるが、一方でかなり違っている感じもするような、昭和20年代から30年代のモノクロ映像作品が持っていた一般的な雰囲気に似ている。駅前シリーズさらには無責任男シリーズのような喜劇、或いは40年代から以降ホームドラマが席巻する以前の、テンポが決してよくない時代の日常生活を描いた作品をなんとなく連想する-具体的には出てこないのだが-。

高齢者から聞き取りをすると、こうした映像作品に当たり前のように描かれている日常の話がよく出てくる。戦時中、苦しい中でもちょっとした事に喜びを見出す。そうした事が記憶の中に思い出として残っているという方がとても多い。

ドラマの優れた所はなんといってもストーリー仕立てで表現出来るという事で、これはいくらオリジナルのモノを博物館が持っているとしてもそれを操作的に扱わない限りは表現出来ない。この"おひさま"はストーリーのリアルさとそして画面に出てくるモノの再現性がよく出来ていると思う。

こうした点は特に戦時中を生きた高齢者世代にはよく共感を得ているばかりか、注目したい効果が現れている可能性がある。例えばtwitterや2ちゃんねるのドラマ板等の書き込みをみると認知症高齢者に反応が見られたり、デイサービスでは皆でこのドラマを観ながら昔の事を語り合ったりという事例が垣間見られる。きちんと調査している訳ではないが、これらの情報はドラマに対してのリアルな反応が現れ、回想法での効果に近い状況が生じているものと考える事も可能かもしれない。


まちをあるくをたのしむことで。

2011-06-21 16:21:04 | まちづくり

まちあるきは地域社会にある様々な資源を再確認し、時には新たな価値を発見する行為である。地味であるが、反復的に行う必要があると考えている。

特に長い間地元に住む事によって、街にある風景を当たり前のものと認識してしまうようになるのは、自分とともに齢を重ねるこの風景が身体と同一化していくからに他ならない。だから"心地いい"とか"美しい"という内面的な感情として消化していってしまうのだ。

その風景に対して何らかの価値判断が外部から与えられた時、風景ははじめて客観性を帯びた"景観"になる。そしてそれまでは当たり前のものであった対象を、はじめて俯瞰して相対的に位置付ける事が可能になるのだ。

恐らくとても多様な市民というグループにとって、この風景から景観へと認識がシフトしていく過程には、学習プロセスにおける"気付き"がどこかにある。それは基本的に同じ学習カリキュラムの中で学校教育を受けている児童・生徒・学生よりも、はるかに気付きのピークがばらついている、すなわち個々人差が大きいと考えられる。

まちあるきというイベントに参加する市民層は、比較的身近な資源に対しての関心が高い層であると考えられる。恐らく気付きのピークも一般の市民より早いのではないか。

そうした場合、彼らから、より一般的な市民に対して、気付きの切っ掛けを与える"伝道者"(最近はよくリーダーと言う)としての役割を持ってもらう事で、裾野を広げていける可能性があろう。


買い物のカタチ。

2011-06-18 16:23:21 | まちづくり

マチとムラの両方をフィールドしているのだけれども、高齢者の足の問題はどこでも深刻だ。"交通弱者"という言葉があるが、実際その対象となっている皆さんにとってはたまったもんじゃない。

延岡の場合、台風で高千穂線が廃線になってしまったり、その後バス会社の経営の都合で路線バスの本数が減ったり、さらにはそれと前後して運行されているコミュニティーバスも、少しづつは状況がよくなってきながらもそれでも利用者の不便さは解消されていない。

そして何よりも折角周辺部から市街地へ買い物に来ても、店舗が以前よりなくなってしまっていたりする。

中心市街地はがんばらなくっちゃいけないのだが、ここへきてさらに高速道路となる高規格道路が少しづつ接続されてきた事で、中心市街地の店舗を衰退させていった国道10号線のチェーン系ロードサイド店舗もが、大型ショッピングセンターに吸収されつつある現状にある。

県央部の状況を垣間見て、僕にはこれがストロー化現象の兆候にも見えつつある。

Kaimonokatachiこれまで中心市街地へ来ていた買い物弱者はどうなってしまうののか?いよいよ将来が見えなくなってきたのだろうか?

そんな事をテーマとしたシンポジウム"買い物のカタチ"(ケーブルメディアワイワイ・宮崎日日新聞社共同企画)が開催される。

「kaimono-katachi.pdf」をダウンロード

6月25日、場所は九州保健福祉大学F講義棟。

今回のパネラーは、山崎きよ子氏(九州保健福祉大学)・藤本菜美氏(諸塚村住民福祉課)・野々下博氏(延岡市商業観光課)の3人。

時間は13:30から。

入場無料。


文化資源を地域社会でまもり、活用していく

2011-06-13 06:48:37 | まちづくり

1:失われゆくコミュニティとさまざまな記憶

・災害は多くのモノを失わせた。生命・財産・故郷・記憶は拾い集められていた。写真をなんとかしようというアクション。

・わずかに残った、その土地に生きてきた証。
→記憶をのこしていく事こそが、人々とのつながりや地域社会をまもる事。

・地域社会の記憶は「文化財」というカテゴリーで括られていた。

・いざという時守られたのは、文化財という枠組みの中にあるものでしかなかった。
→指定を受けていない対象:指定物件以外は保存されないという制度上の限界。

・未指定のモノは実態すら把握されていない。

・文化財の多くは、祖先のモノであっても、人々の直接的な記憶からは少し離れている場合が多い。これでは地域の記憶は守られない。


2:文化資源を守る事、コミュニティを守る事

・平成17年の台風14号の際、写真を救助した。

・「みずからまもる」という考え方。
・コミュニティを守る紐帯として、既存の社会教育施設はどう活かされるべきか。


3:あつめた記憶をどうするか

・過去を活用していく

・回想法を使った認知症高齢者へのケア・介護予防、観光、広くまちづくりへの活用など。


4:記憶をまもる、プラットフォームとして

・市民が文化資源を活用していく仕組み
→兵庫県のヘリテージマネージャー制度:阪神淡路大震災を契機に策定。
「地域の個性を示す資源」という考え方。→現在の生活に活かすことが重要。

・市民が、文化資源を見出す仕組み
→歴史文化資源市民登録制度(尾道市):市民によるモニタリング、点検や利用状況の把握、地域との関わり等の情報を収集して保存活用に活かす。

※宮崎県ならば、伝統文化や文化的景観にも適用しやすい。 さらに市街地にある「昭和の面影」的なものにも適用可能ではないか。

・こうした地域の文化資源は小学校区・地区単位で守られてきた。
公民館こそ地域と文化を守る砦として相応しい。

・公民館、特に自治公民館の役割の重要性。住民主体で「記憶」をあつめる場として機能させられないか?

・これまでもさまざまな地域の記憶をのこしてきた。
→伝統芸能、さまざまな活動の場、高齢者の役割 ・それを集約していく所。博物館や図書館が持っているアーカイブ機能の一部を担う。→専門家との連携。


※本文は平成2367日日向市文化交流センターで実施した、東臼杵地区社会教育協会研修会の配布資料