延岡というまちをアーカイブ化していくには。

延岡というまちについての記憶を考えていく。

戦争と、その前後の時代をテーマとしたワークショップを開催した。

2013-11-30 18:09:09 | まちづくり
11月27日に延岡展示室で、戦争体験をテーマとしたワークショップを実施した。
集まって頂いた方々は終戦当時延岡小学校の5年生だった同級生の方々で、皆さんは今でも交流がある。以前から博物館資料を活用した回想法的手法の研究活動にもご協力して頂いている。

皆さんは先ごろ、戦争に関する自らの記憶をまとめた記録集を出されたのだが、それを契機に一度集まる機会はもてないものか、という話が出ていた。そこで、僕自身も空襲のあった延岡と、その前後の人々の様子を実際伺いたかった事もあって、ワークショップというかたちで皆さんにいらして頂いた。

丁度、ここには様々な過去の写真や地図といった資料もある。その中で皆さんの記憶を辿っていける事はなによりだと思った。

実際に様々な興味深いお話を伺えたと同時に、参加された皆さんが将来に対して伝えていく役割意識を強く持ったという感想もあって満足いく結果となったと思う。

内容については今後まとめていく事を考えたいが、例えば空襲の際に火災旋風が発生していた等、これまで知られていなかった証言あり、それが具体的に地図に落とせたのは重要であった。


写真は延岡空襲当時実際に使用された防空頭巾を手に取りながら、その記憶を語って頂いている所。
Dsc_1077



紙面診断、11月3日。

2013-11-21 06:57:35 | 其れ以外
一つ一つを観てみるととてもいい素材なのに、それが十分生かされていない状況を様々な場面で感じる。それは横のつながりの希薄さや情報発信力の不足、さらには周囲の理解や評価される場があまりないといった側面が大きいからなのであるが、それにしてもこうした個々の素材をある観点から拾い上げ・まとめなおし、多くの人に知らしめる力の存在が、この世の中には渇望されているのではないかと思う。すなわち、キュレーションと呼ばれるこの仕事は、本来は美術館を含む博物館において使われてきた用語であり、欧米ではキュレーターと言えば学芸上級職の事を指している。

伝統的な美術評価に関する様々な問題が表面化してきた今日において、自ら主催する公募展の問題点を綿密な取材から追求した連載、「ビテンの行方 宮日美展65年目の秋に」(9月からの連載、全8回)は大変興味深い内容であった。

若年層の応募離れやマンネリ化、表現の多様化と募集内容のズレ、学校指導者の減少といった公募展をめぐる停滞要因に対して、新しい審査・募集の試みや昨今の美術展示の状況をわかりやすく紹介しながら、今後の同展やさらに内容が似ているとされる春の県美術展への一層の期待と改革を促している連載である。

そもそも価値の相対化を表現の大きなウェイトとして占めている現代美術が一般にも受容され、ビエンナーレ・トリエンナーレ方式の地域社会を巻き込んだ大規模な美術展覧会が各地で開催されるようにもなった今日においては、美術家が求めているのは変化の少ない固定的な権威からの評価ではなくなっているのではないか。連載3回目の「表現の多様化」で触れられていたように、特に公募展の場合は作品個々や決められた手法の評価になるため、観る人の共感を場の空気全体で表現しようとする作家には魅力が感じられないのだ。

評価者が求める制作者の力量もさる事ながら、制作者が求める評価者像が再考されるべきなのだろう。連載5回目「都城市美術展」において紹介されていた評論家主体の審査方法は、今後の作品評価をめぐる重要な観点を捉えている。すなわち評論家の視点は時代を捉え、この空気感の中で作品と制作者を見出す事ができる。そしてそれは、一般からは切り離されやすい美術家と社会との関係性を連結させる役割をも持っているのだ。

諸企画の谷間を縫うように開催されている宮崎県立美術館の「チャレンジギャラリー」、みやざきアートセンターの「ワンダーアートスペース」は、若手美術家の制作の場だけでなく、美術作品を観る側が必要とすべき感覚のボトムアップをも図ろうとしているようにうかがえる。だがさらに、こうした流れを継続し加速化させていくのならば、必要となってくるのは冒頭に述べたキュレーションの視点ではないだろうか。例えば全国各地の美術展覧会は美術館等の施設だけでなく、まちなかの空き店舗や空き空間を活用して開催される事例が多い。これは社会の空気観を敏感に反映させた作品を、そうした場でこそ開花させる美術家が存在するのを、展覧会をまとめるキュレーターが理解しているからに他ならないだろう。作品は場から切り離して存在してフレームに収めるものでは、もはやなくなっているのだ。


#平成25年11月3日、宮崎日日新聞に寄稿した「紙面診断」の文章を一部追加。


延岡市立図書館企画、写真展"なつかしい延岡の風景"。

2013-11-19 14:29:24 | まちづくり
11月19日より12月6日の間、延岡市立図書館にて、写真展『なつかしい延岡の風景<どこコレ?ノベオカ>』を開催しています(主催:延岡市立図書館、共催:九州保健福祉大学山内研、協力:延岡市内藤記念館)。

延岡市制80周年記念の一環という事で、特に内藤記念館所蔵の郷土史家小嶋政一郎氏の撮った昭和30年代後半から40年代前半の延岡のまちなみカラー写真を展示しています。

今年9月に2020年の東京オリンピック開催が決定致しましたが、昭和39(1964)年の東京オリンピックの興奮を伝えるべく、聖火リレーが延岡にやってきた当時の写真と新聞記事(市立図書館所蔵)も展示しています。

また、「この写真知ってる!」という方は、会場に付箋紙と筆記用具を用意しております。書き込んで該当する写真タイトル下に貼り付けて下さい。内容によっては期間中に展示に反映させる他、今後のまちづくり活動に活用していきます。

先ほど見に行った所、早速見学者の姿が。付箋で見学者の記憶も書かれていた。



Img_4546


Img_4542



なぞのターザンおじさん。

2013-11-17 11:41:09 | まちづくり
昔の新聞記事は今とリテラシーが異なるのか、面白い文章が多い。
地方新聞なんかは特に。

下記は昭和39年9月9日の夕刊デイリーより。
宮崎から出発した東京オリンピックの聖火関連の記事をみていて発見。

見出しにつられて内容はまだ読んでない(笑)
どなたか詳細ご存知でしょうか?
Tarzan


古い写真を比較する。

2013-11-17 08:04:49 | まちづくり
全く異なったところから出てきた写真に関連性を見出す事がたまにあって、それが同じ土地で、しかもパブリックスペースの場合だと色々と重なってくる。

国防婦人会というのは戦時中にあった女性の団体で、軍人の援助や貯蓄の奨励・生活刷新などの活動を行った。割烹着にたすきがけの姿はドラマなどでおなじみだが、そうしたファッションはアピールを含めた協働の作業の場合に行われるものであったと考えるべきであろう。

さて、昭和10年代の写真からそうした様相が伺える。
Kokubo_fujin_kai

写真左上は昭和17年頃の岡富小学校講堂での記念写真で、写真の隠れた部分に慰問の物資が置かれている。こうした事から国防婦人会による作業時の記念写真だと以前から考えていた。これはかつて自宅が写真店を営んでいた方から提供を受けたものである。

右は昭和50年頃、戦前からあった、岡富小学校木造校舎が解体される前に市民が撮影したもの。これ以外にも左の講堂の写真もある。

そして左下はまさしく、国防婦人会の方々が作業を行っている様子である。右の写真と比べると照明の形態が異なっているのがわかる。これは延岡市図書館が所有している写真(複写)である。

ここからわかるのは、岡富小学校の校舎で国防婦人会による作業が実際に行われていた点、そしてそうした歴史の痕跡が昭和50年頃まではのこっていたという事である。


昭和20年代。

2013-11-12 06:51:27 | インポート
昭和20年代、復興期の延岡の写真を少し。

アーケードが出来る以前の山下周辺の様子をメインにしている。
また、昭和28年の"商工別明細図"も。Img_4516

少し別の地区の写真も展示する予定。まだまだこの時期の写真は限られているのだが、朝鮮戦争による特需景気もあって市中も激変してくるのがわかる。。


11/27に昭和21年に延岡小学校を卒業した皆様に来ていただき、戦中・戦後の延岡を語っていただくワークショップを開催する事になった。準備を急がねば。



戦前コーナー。

2013-11-02 14:29:04 | まちづくり

昭和7年の延岡市街図を中心にWW2戦前から戦中をイメージした展示を制作している。地図を展示する薄手のアクリル板で丁度いいサイズがなく、2枚の板を真ん中で合わせている。もう一枚の写真は防空頭巾とリュックサックで、当然こちらも戦時中のものである。



Img_4436



Img_4439



今日来られた方とお話していて興味深い点が一つ。それは"懐かしい"の範疇が変化しつつある事。すなわち僕が5・6年前にこうした活動を実験的に開始した際に、前期から後期に入っていく高齢者が懐かしいと感じる範囲は戦時中から昭和30年代だった。ところが今回、山下新店街のアーケードが出来る昭和30年前後の写真を展示しても、それを懐かしいと感じる人よりも"昔はこういう事があったんだ"という感想をもらす人が増えている。戦時中などなおさらだ。



かわって、入ってきたのは昭和40年代初頭。この時代を懐かしいと感じている世代が増えている様子がある。前の時代は懐かしいから歴史の世界に入っていきかけているのかもしれない。