延岡というまちをアーカイブ化していくには。

延岡というまちについての記憶を考えていく。

平成24年度全国大学博物館学講座協議会の内容 vol.02

2012-06-24 04:55:52 | アート・文化
「明治初期の文化財をめぐる動向」 高橋隆博氏(関西大学)

関西大学、博物館学は末永雅雄先生が嚆矢。昭和36年にはじめて50年。
博物館の建物が登録有形文化財に。もとやまコレクションが登録有形。
国府遺跡資料。
もとやまひこいち→浜田青陵に相談。末永・小林行雄に目録化を行わせた。実測図も含める。
昭和28年から関西大学へ。

明治維新期
それまで皇室・華族・諸侯・社寺において所蔵・保持されてきた。
伴大納言絵巻・吉備大臣絵巻→小浜藩主が所蔵していたが売りに出された。後者がボストン美術館へ。
昭和7年の「重要美術品等の保存に関する法律」へ

慶応4年3月
神仏判然令・上知令 廃仏毀釈
例 内山永久寺 運慶作仏像等があった。建物を含めてほとんどが失われる。興福寺の五重塔も燃やして金具を取ろうという話があったという。

明治の官僚の中で古器旧物を守ろうとする動き→蜷川式胤町田久成他
田中よしおは幕府開成所に勤務していた。パリ万博に行く。帰国後は大学南校物産局へ。
町田、薩摩出身。
蜷川、太政官制度調査御用掛・博物局御用

太政類典に大学献言、明治4年4月25日
1.集古館建設 2.保護方を布告 3.専任者、文化財の模写・集成
文化財保護の嚆矢・博物館建設の第一声

古器旧物保存方

明治5年、湯島聖堂にて博覧会開催
蜷川『奈良の筋道』「常備の博物館を芝及び上野へ」
ウィーン万博へ出展するために調査→正倉院御物。

明治7年奈良展覧会と正倉院宝物


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