延岡というまちをアーカイブ化していくには。

延岡というまちについての記憶を考えていく。

土偶展。

2010-01-05 20:57:58 | アート・文化

20100103dsc_6149b 最近のミュージアムは正月早々でも開館しているので、正月帰省の際でも興味深い展示を観にいけるので都合がよい。かつての上野の山は、正月に人がいても公共機関がどこも開いていなかったから折角の客を逃がしているようなものだった。

東京国立博物館で"国宝 土偶展"が開催されている。これは大英博物館で開催した同名の展示に際して全国から集められた資料を各収蔵機関へ戻す前に展示したものだ。従って国宝3点を含む優品ばかりが展示されている。

東博でも本館の第5展示室のみが会場であったのでそう時間がかかる程ではなかろうと思っていたが、正月と言うのに見学者がとても多く、全ての展示資料をじっくりと観る事はとても出来なさそうであった。

従って、とりあえず全体の展示をざっと眺めてから、時間をかけたい資料だけ絞る事にした。展示導線は最初のみは縄文時代の最も古い時期にあたる草創期から、きわめて大まかに晩期までの時代を追って展示しているものの、むしろこの通時代的な流れは大まかであって、土偶に体現された身体的特性(例えば"祈り"の姿勢)、特徴的な装飾や特徴的な形態、土偶に類縁する資料等によって分類されていた。

国外での展示を意図したものであるから土偶展示としてオーソドックスな部類に入るのだろうが、どこか文学的な神秘性を感じさせるのは企画者である同館のI上さんの感性をうかがわせるものであった。

資料そのものは過去に観た事があるものがそこそこ含まれており、中には卒論の際に半日格闘した事もあったさいたま市馬場小室山遺跡出土の人面装飾付土器なんかもあったので、懐かしい面々に出会えたような趣もあった。ただ、それでも有名だがこれまで観た事もなかった資料も含まれていたり、昔とは違った観察眼を持って挑んだものもあったので、非常に興味深かった。

中でも千葉県龍角寺遺跡出土の縄文晩期中葉にかかる土偶なんかは、頭部装飾が東北地方の亀ヶ岡文化に由来する遮光器土偶の特徴が大きいというのはつとに言われていたが、胴部の装飾はむしろ群馬県を中心にした北関東から中部・北陸の土器が有する特徴を持っているという事実に気が付いたりした。

逆に埼玉県深谷市の雅楽谷遺跡出土の縄文晩期前葉~中葉にかかる中空土偶(中が空洞につくられた土偶)は、頭部装飾の粘土の取り付け方が同時期の千葉県を中心に出土する土器の特徴を持っていた。土偶と土器とはその整形方法や文様なんかで共通するところを持っていたりするが、デザインに取り入れられるテクニックや文様パターンの組み合わせ方が明らかに違うという事が極めてよく理解出来るのであった。

話がいささかマニアックに過ぎた。延岡、せめて九州に関わる話を書きたいのだが、土偶の文化というのは基本的に東日本を中心としたものであるので、西日本のものはあまりない。縄文時代の終わり頃の九州であだ花のように出土するが、装飾・技法等の面で東日本のそれと比較するとかなり貧弱な感は否めない。従って海外に日本の文化として紹介する資料としては物足りないものであると判断されたのか、今回は展示品として含まれていなかった。

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年初のイベントとして、江戸前の獅子舞が舞われていた。


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