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館野鉄工所米軍機墜落事故から50年

2014年09月13日 | 活動報告
今日9月13日、館野鉄工所墜落事故50周年慰霊祭が行なわれた
会場には100人を越える参列者が集まり、
事故被害者とその救済運動を続けてきた多くの仲間に黙祷をささげた。


式典には遺族の方も参加され、涙ながらに当時の情況をお話いただいた

館野鉄工所に米軍機が墜落したのは、1964年9月8日午前10時58分ごろのこと
厚木基地を離陸した米空母艦載機F8Cクルセイダーは、離陸直後からエンジントラブルを起こし、上空でパイロットは脱出。自由落下状態となった艦載機は小学校上空を通過し、館野鉄工所に突っ込み大炎上した。
この大惨事で鉄工所の従業員など5人が亡くなり、3人が大怪我をおったそうだ。



1964年といえば、前回の東京五輪が行われた年。
その開会式の一月前にこの惨事は起きたわけだ。
あれから50年が経ち、6年後には再び東京で五輪が行なわれるという
その間、日本も国際情勢も大きく変わった。
経済力と言う点でも、日本は世界有数の経済力を蓄えている

しかし米軍機をめぐる情況は、50年前と何も変わっていない
毎年のように米軍機は部品落下事故や墜落事故を繰り返している
さらに設計上の不具合を抱えたままのFA18スーパーホーネットや
開発以来、事故を繰り返し未亡人製造機の異名を持つオスプレイまで
わたしたちの頭上を、館野鉄工所跡地の上を
我が物顔で飛行し続けている





50年まえの大惨事後の葬儀の日、米基地司令官も葬儀の席に出てきたそうだ
しかし葬儀の間も、米軍機は頭上を飛行し続けていたそうだ。
遺族の少年(当時)は、小さなこぶしで司令官を叩きながら「お兄ちゃんを返せ」と泣いたそうだ。
こんな悲惨な事故は絶対に繰り返してはいけない
そのためには住宅密集地にある厚木基地の全面返還しかない

被害にあわれた方々のご冥福をお祈りします



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1 コメント

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「兄ちゃんを返せ!」今も目に浮かびます (近藤直門)
2016-02-11 22:20:24
もう50年以上たったのですね。あのときの「兄ちゃんを返せ」の写真、今でも目に浮かびます。
私の小学校は愛知県春日井市の味美小学校。小牧基地の進入路直下にあり「日本一危険な小学校」といわれてました。小学校4年、伊勢湾台風の次の年に日本で初めての鉄筋防音校舎として少し東に移転。しかし次の年、その校舎の真上をかすめるように黒い煙を吐きながら自衛隊のT33Aジェット練習機が墜落。「基地がなくならないかぎり、墜落事故はなくならない」と書いた投書を、「赤旗」日曜版に載せてもらったまさにその新聞一面に載ったのが、館野鉄工所への米軍機墜落の記事でした。その新聞は、警察官の息子だった同じクラスの友達に見せたら、そのまま返ってきませんでしたので手元にはありませんが、米軍の司令官にこぶしをあげて泣きながら「兄ちゃんを返せ!」と訴える少年の姿は今でも忘れられません。
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