敬老の日。
母親を訪ねました。いまだに小生のことをぼうやと呼んでます。
戦後、中国からの引き上げ。
小さな漁船で荒波をもまれ、中国から日本へ。
そして、父親の故郷北海道へ。いわゆる引揚者。
戦後間もないときの混乱の時期に3人の子供を育てるため、行商、露天など
さまざまな職業を得て、ようやくおかずやで独立。
父親と共に、朝の5時から、翌日の12時過ぎまでの過酷な労働。
そんな中でしっかりと我々男兄弟3人を育ててくれました。
小さくなった母親、優しくなった母親、いまだにぼうやと呼んでる母親。
92歳の母親の胸の中は小さな男の兄弟3人が母の腕に捕まって遊んでる姿が
浮かんでるのでしょう。
帰り際、母の口から小さな声で「ありがとう、ぼうや」の声が聞こえました。
おふくろ、100歳まで頑張ってね
母親を訪ねました。いまだに小生のことをぼうやと呼んでます。
戦後、中国からの引き上げ。
小さな漁船で荒波をもまれ、中国から日本へ。
そして、父親の故郷北海道へ。いわゆる引揚者。
戦後間もないときの混乱の時期に3人の子供を育てるため、行商、露天など
さまざまな職業を得て、ようやくおかずやで独立。
父親と共に、朝の5時から、翌日の12時過ぎまでの過酷な労働。
そんな中でしっかりと我々男兄弟3人を育ててくれました。
小さくなった母親、優しくなった母親、いまだにぼうやと呼んでる母親。
92歳の母親の胸の中は小さな男の兄弟3人が母の腕に捕まって遊んでる姿が
浮かんでるのでしょう。
帰り際、母の口から小さな声で「ありがとう、ぼうや」の声が聞こえました。
おふくろ、100歳まで頑張ってね