何気なく使ってる楊枝。
なんと、楊枝専門の店が300年前から
ビックリしました。
楊枝専門入れ物のふたを開けると
お猿の絵が
店の名前がさるや
黒文字楊枝を桐箱に納め、一つ一つ「金千両」と墨で手書きする。 手造りの”粋”が感じられるこの意匠は日本包装展で銀賞を受賞。 春から千両箱が届くとは縁起が良いと、お正月のお年賀用としてもご好評をいただいているのも、さるやの長年にわたる伝統であります。
東京・日本橋に店を構える楊枝専門店「さるや」は、宝永 年間に創業し300年続く、江戸時代からの老舗です。当時は江戸名物に数えられた「つま楊枝」の歴史を今日に伝える貴重な資料も残っています。
右の錦絵に描かれているのは当時の「さるや」の店先。お供を連れ、華やかな 振りそでに着かざった武家の子女やあでやかな町場の女性 たちが店先を賑わしています。
楊枝づくりは、クロモジの若木を手で2つに割り、4つに割 り、さらに細かく割ったものを、今度は昔ながらの切出しで 細く細く削っていきます。ウツギやシラカバを材料とする楊枝では、割ったり先を削ったりするのに機械が 使われるが「さるやの黒文字楊枝」は一から十まで手作りです。
楊枝は江戸時代には、主に小間物屋(化粧 道具などを売る店)や楊枝専門店の店先で作 られ、販売されていました。 楊枝店の様子が国貞 や歌麿の浮世絵で見ることができます。
宝暦の頃(1750年代)から茶屋と共に楊枝屋 も盛んになり美人の看板娘を置いて風俗営業 として繁栄を競いました。
とくに、浅草寺の境内では、楊枝屋が江戸中 期に83軒、文化末期(1815年)には249軒も あったことからその普及ぶりが知られます。
さるやの楊枝は「金千両」と墨痕(ぼっこん)鮮やかに記した贈 答用の桐箱。 「正月早々、千両箱の到来とは縁起がい いねエ」と、江戸っ子らしい洒落を喜ぶお客様も多いらっしゃいます。
金千両は代々の当主が一年がかりで一つ一つ書き上げるのが 習わしです。
都々逸入りの辻占いを巻いた楊枝もあり、料亭や旅館、お茶屋 さんなどで使われています。 独特の日本情緒あふれる粋な小道 具として好評です。 また懐中にしのばせるにはピッタリの可愛 いい携帯用ちりめん楊枝入れも扱っています。
「楊枝見世」と呼ばれた房楊枝ショップの中で、ひときわ 評判の高かったのが、「さるや」。 その誕生は、赤穂浪人 が吉良上野介の首をとって天下に名を挙げた、あの忠臣 蔵事件の翌々年でした。
江戸時代、さるやは何軒もあり、楊枝見世の屋号は “さるや”が決まりのようになっていて、どこもみな猿を看板にしていました。
「さるや」の店名の由来は元禄時代の文献『人倫訓蒙図彙』に「猿は歯 が白き故に楊枝の看板たり」という説と、柳亭種彦の『柳亭雑記』に大通 で、小猿を背にして、楊枝をけずりながら売っていたという説とがあるとい うことです。
現在も、「さるや」のトレードマークは、縁起物の「括猿」が使われています。
300年伝統の楊枝。
うかつに使えません。