ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

【拡散願います】普天間基地の一端を確認したスペシャル撮影(20230223)

2023年02月24日 | 米軍/自衛隊

2023年2月23日(木)晴れ 宜野湾市嘉数へ。嘉数高台展望台へ。

①周囲360度見えるのだが、奥は読谷村、左端が残波岬。手前左の緑の屋根は宜野湾コンベンションセンター。11:34

さてと

➁普天間基地駐機場。ここから約1300m。MV-22が11機。CH-53が数機。ほか。MV-22は24機いるはずなので、13機出ている。強襲揚陸艦アメリカに10機乗っているだろう。11:35

③滑走路西端からCH-53Eが2機飛ぶ。11:39

今日の風は北東の風。要は離発着はあちら向きになる(風上に向かって飛ぶ)。

赤と白の柱は誘導灯。約400mあり、その両側にも住宅がある。街のなかの飛行場だとみえるが、1945年6月頃から米軍に接収された基地だ。高台の一等地を78年間、占拠されているのだ。当時多くの村落があり、耕作地や首里城に向かう松並木の街道があった。基地利権ほしさにこの界隈に人が集まったというのは俗説(嘘)。

④滑走路は2800m1本。基地面積約480ha。第3海兵遠征軍第1海兵航空団第36海兵航空群のホームベース。キャンプシュワブへの新基地建設(飛行場、岸壁、装弾場など)が、普天間基地返還の最低限の条件とされる。

そもそも戦争下で奪われた土地(480haの面積の424haは私有地)を沖縄が日本国に「返還」された時点で、戦争で奪われた基地は沖縄に住民に全面返還すべきだったのだ。ハーグ陸戦条約違反を米日政府は黙殺し続けている。しかし米日安保体制は、沖縄の占領=基地化から生じてきた代物であり、今に至っていることが問題の基本だ。

私たち「日本人」の政治的責任が問われている。何も知らずに、あるいは知っているが、この基本を伏せながら安保体制=「武力による平和」のため、そして「抑止力」だという「米国の僕(しもべ)」として生きることをやめるべきだと私は考えている。

⑤嘉手納基地におりていく米国空軍RC-135電子偵察機(外来機)。この距離だとRC-135の何かまではわからない。RC-135はいろいろな変種があり、区別は難しい。12:04

⑥突然ですが、サシバ。烏大の鷹の仲間。12:35

まだ森があるからサシバも生きている。航空機を撮るのは数百メートルの距離だが、こちらは20mから50mであり、自分は「軍事モード」から切り替えて焦点を合わさないとならない。追いつかない。へぼ野郎でした。

⑦MV-22オスプレイが駐機場から出て行く。12:38

このタキシング(自走)の音だけでも近くで聞くと、凄まじい。ここにも聞こえている。距離約1300m。

⑧オスプレイが西南西方向から戻ってきた。12:54

⑨この展望台の北側を超えて普天間基地に着陸するのか。12:54

距離約300m。この展望台は丸く、屋根があるために、撮ろうと思うと、飛行位置・高度によって撮影位置と高さを定めないと撮れない。「屋根がー」みたいな失敗を私は何度かやっている。

⑩人家の脇を飛び、降りるオスプレイ。13:10

⑪13:19 P-8対潜哨戒機がタッチ・アンド・ゴー。こう飛ぶのだ。真栄原3丁目と誘導灯の左側は大謝名2丁目。

⑫今度はKC-135空中給油機(嘉手納の機体)が来た。13:35

因みにP-8は全長38.56m、全幅35.81m。最大離陸重量85.8トン。KC-135は全長41.5m、全幅39.88m。最大離陸重量146.285トン。タンカーだから。

⑬着陸するのか。タッチ・アンド・ゴーで飛び去った。13:35

⑭P-8がまたきた。13:38

ここでタッチ・アンド・ゴーの訓練やっているのだ。

⑮まただ。13:51 (雲による)日陰に入ってしまった。

⑯13:51 私は周辺の民家を入れたいのだが、中々上手くいかない。

⑰タッチせず、上昇。出力をいっぱいに踏む。騒音も大きくなる。13:51

⑱14:30 P-8がまただ。人家と、奥は普天間基地の新規建設中のビル。これで普天間基地が返ってくるとは到底考えられない。

⑲MV-22オスプレイが上を行く。14:36

⑳しつこいがこれが現実だ。14:38

㉑14:38 

㉒14:38 住民の気持ちを少しはわかるだろうか。一等地にふんぞり返る米軍。完全にそれを擁護している日本政府の(1972年5月15日から)50年なのだ。

そしてもう一言付け加えておく。普天間基地はヘリやオスプレイの海兵隊の飛行場のみならず、P-8(海軍機)やKC-135(空軍機)などの中型・大型機も使っているのだ。辺野古には想定されていない機能だ。普天間基地の「返還」は、この2800m滑走路の機能を別に代替しない限り返還しないと米軍は言っている。それは私たちが使っている那覇飛行場を米軍に使わせることしかないだろう。

有事となれば、那覇飛行場(周辺)が真っ先に危険にさらされるだろう。

ということで私は嘉数高台を出る。14:40頃。

㉓14:52 さっきいた嘉数高台公園展望台の左上を飛ぶP-8。展望台が標高約100m。P-8は150mの高さぐらいを飛んでいる。滑走路の高さは約70m。

㉔私は佐真下公園に向かう途中で。こんな風に見えるのだ。14:52

15時過ぎ、佐真下公園に着いた。ここは普天間基地の南西端の南側。

㉕15:23 オスプレイが降りてきた。

㉖15:40 またタッチアンドゴーか。先ほどからのP-8のタッチアンドゴーの機数は2機だ。

何度も何度も撮りました。

㉗公園に咲き始めたイッペー。本日はこれまで。15:46

国道58号方面の「大謝名」に向かう。

㉘ドドドときて、私は上を向く(普天間基地沿いの場所)。CH-53E大型ヘリだ。全長30mの大型ヘリ。後部ハッチ、全開だ。16:18

疲れたし、腹減ったので途中で軽食を食べる。

帰宅は19時を回っていた。

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。