2022年4月19日(火)⑤ 曇
4月19日のラストは、第4ゲートから二見入り口までの約3kmだ。どれほど森が壊されているか、みていただきたい(④と合せてみてください)。
①第4ゲート手前(ゲート前テント側)から。テイケイのガードマンが今(24時間)もいる。15:05
②第4ゲート左脇から見下ろす。すぐ下に簡易舗装の道が造られた。鞍部に重機と、キャタピラで動くダンプが動いている。木々がことごとく切り倒され、廃棄物然と積み上げられている。鞍部は赤土だ。奥の斜面も皆伐されている。15:09
③やや右(南)側。仮説の橋(足場)が組み立てられている。詳細は不明だが、私はこう睨んでいる。周辺の起伏全て削除し、フラットにする。基地建設予定地にある兵舎群の新たな移転地とする。しかし足下はかすかすでないのかな。耐震構造とか、クリアできるのかね。15:10
④左側。海兵隊の基地ですよと。しかしここは日米共同使用となっており(日米合同委員会で)、工事が進んでいる。重機の右上の斜面に亀裂が入っている。15:12
⑤同じ場所から右側を見る。鞍部で作業員が測量をしている。右奥は弾薬庫。なお弾薬庫群は見えている弾薬庫手前の道を左奥に広がっている。約1500m先まで。15:12
⑥15:16 同じ場所からやや右側を見る。潰された木々が痛々しい。正に「産業廃棄物」としての姿をさらしている。企業が勝手に切って、廃棄物にして、捨てる。「復帰50年」の沖縄県民の行く末を暗示していないか? 私の考え過ぎならば、いいのだが。
⑦下の作業現場をアップで見る。右がダンプ。15:17
⑧左手前に置かれているフェンス建設資材。これができてしまうと撮影は大幅に妨害される。もっと見られたくない現場にするつもりだろうか。15:20
⑨このコンビネーションプレイ。土砂を投下し、積み上げ、固める。15:22
左の亀裂は大丈夫なのか?
⑩私が左に移動して撮る。手前の草木で視界が悪い。ここ国道329号の道路面から重機のいる鞍部まで高低差は20mほどだろう。15:22
⑪私は左に移動。比較的緩い斜面はここまで。土盛りしている様子が分かる。15:23
⑫ここだけデカい石がゴロゴロ。よそから持ってきたのか、斜面から落したのか。よくわからない。
15:24
⑬石ゴロと皆伐された木々。15:26
私は手前の木を敢えて入れた。活きている木と殺された木の違いを見て欲しい。
⑭左上。何故、手前に簡易舗装の道を造ったのだろうか。急斜面だし、左奥に何かを造ることもないだろう。鞍部の整地作業を上から補助するためではないか。15:28
⑮こちらが左に移動して、見下ろす。15:29
⑯左に移動して撮影。下にできた簡易舗装の道は狭くなっている。敢えて反対側の斜面も皆伐。
どうみてもここまでくると合目的な伐採だとすら思えない。木々を無差別に殺すな!15:31
手前の鉄条網も敢えて入れている。私が侵入して撮っていないことを示すため。
⑰まだまだ皆伐が続いている。緑の木々がこの惨状。15:36
⑱倒されて、緑のマクマオウが真っ白に変色。15:36
⑲右下を見る。ここまで道路を造るって何のためか? 15:37
激怒の連続であり、怒りは沸点に達する。
⑳左上。米軍の「警告」の意味が変わっている。笑止千万だ。自らを警告せよ!15:38
㉑伐採現場は続く。国道から、この先は見えない。15:40
山に防火帯が設置されている場所はあるが、沖縄ではみたことがない。奥に弾薬庫があるから防火帯を造りましたとでも言うのかね。冗談もほどほどにしろよ!
㉒反対車線歩道から。防犯カメラがここにもある。第4ゲートから1000mほど。15:41
「伐採街道」とでもいうしかない。
㉓15:42 右側。生きている木々を、森を平気で殺せるところに人間の残酷さ、無感情が露骨に出ている。これを「成果」だと示すところに人間界の傲慢さが顕れている。
㉔15:44 再度(15:40撮影の写真と同じ位置)
基地・軍隊とは人間の「欲望」を満たすもの。殺戮と破壊の果ての「欲望」。国家が取り仕切っているのが近代以降の現実だ。
もしかして哲学的すぎた? 無残すぎて、私にはいささか装わなければ言葉を綴れない。
ウクライナの戦場で、凄惨な現実が日々展開されているが、そこに生きてきた人たちが泣くのは、泣くしか他に表現できる術がないからだろう。悲しいとかのレベルを超えているに違いない。
㉕豊原側から5か所目の高圧線地中化作業現場。15:49
㉖お兄さんが何やら作業中。15:49
㉗ソウシジュに再会できた。曇り空だけれど、文句言わない私。15:56
㉘ラブラブ・ソウシジュ。16:05
㉙進行方向左側のここは海兵隊演習場キャンプ・シュワブに通じている路。16:09
手前のソウシジュなどに和む私。
㉚クチナシ。白は白でもまっとうな白だ。生きている白だ。16:17
私は二見バス停まで飛ばして歩いた。