ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

【拡散願います】喜瀬武原で、キャンプハンセンと「喜瀬武原」を考える(20231213-③)

2023年12月18日 | 沖縄島北部

2023年12月13日(水)曇 ③

中川からキャンプ・ハンセンの中を抜け、喜瀬武原(南)に到着。10時頃。

ここまで順調。

ここから喜瀬武原。演習場ではない。安心感がある。

しかし

電柱の下部に貼ってあった掲示。「耕作者の皆様ー億首川の河川改修工事を行なうので、連絡くださいと」10:09

沖縄防衛局が、県土木部を従えての工事だ。億首川はキャンプハンセン内を流れている川だがらこうなるのだろう。

しかし、億首川は2級河川なので、恩納村・金武町管理のはずだ。境界をまたがるから、県が関与しているのだろう。

こういう実務で沖縄県土木部は、沖縄防衛局をリードできるのかが大きく問われている。だが河川管理も基地優位で行なわれているのだろう。辺野古美謝川も新基地建設工事でそうやられてしまっている。

県道104号に合流。10:20 

右が中川からの道だ。

また、休憩。と言うか時間調整。光源である太陽の位置がベストに来るように(撮影のため)。

米国海兵隊CH-53大型ヘリが南側(キャンプハンセンの兵舎側)を飛んでいる。10:39

ハイビスカス 美しいのだが、私はアカバナーが好き。10:43

和名はブッソウゲ。ウチナーグチだと「アカバナー」。ハイビスカスは人間が改良した品種名(総称)。

 

手前は金武町。あそこから恩納村の標識。10:43

しかし不思議なのは、喜瀬武原(集落・字)の区域は恩納村喜瀬武原であり、金武町喜瀬武原はHPで見る限りでていないのだ。どういうことか、二つの村と町に聴いてみよう。

華 ひまわりとコスモス。10:53

水車 10:54

コスモス 11:10

この間、紅色のトンボを撮ろうと粘ってみたが、ぱっとせず。

実が乱れ飛んでいました。キク科。11:10

ヒョウモンチョウの仲間。11:15

どうみてもコスモスの方が美しいのに、蝶はシロノセンダングサを好む。蝶は、花を見栄えでみていない。蜜が旨いか否かなのだろう。

コスモスとひまわり。11:18

一つ先の道を右折。

坂を上がっていく。喜瀬武原小中学校。やけに静かだな。11:37

学校の上を上がり、キャンプハンセンのフェンスにぶつかりそうな場所で、昼食にしよう。11:43

写真は南西方向。左がP224。恩納岳はこの奥だ。ここが標高100mあまりあるから、益々ドングリの背比べになり、見極めにくい。

ちょいと右へ。11:51

これが恩納岳(P362m) 米国にキャンプハンセンの一角として盗られたままだ。日本国は共犯者だ。

何が法律かということはあるが、奪われた歴史を忘れないことは別であり、重要なことだ。

ここいらにガードマンが立っている。大型トラックの交通を確保するため。私のような歩行者は邪魔なのだろう。

だが私は忖度しない。通れるのか否かを聞き前に進む。

やや左下から。11:53

1973年から1997年3月まで、榴弾砲があの山辺りを目標に発射されていたのだ。26年経っているが、森林の生態系は戻っていないことは一目瞭然だ。森(樹林相)が復活していない。

軍人にとって、森だとかは「お花畑」の領域なのだろう。同じフィールドであるが、自然生態系のフィールドと軍事演習場のフィールドは全く違う。生命系の生物相が生きる環境と、殺戮のために破壊する「環境」。米国は世界一の軍事大国だが、一方で環境保全も進んでいる国でもある。広大な領土を持った国になったから「共存」できている。狭い沖縄でこれらの共存は不可能だ。何よりも沖縄に「共存」する(させられる)責任などないのだ。

米国の「常識」を日本に合せる必要はなく、まして沖縄に合せる必要は全くない。

12:19 入り組んだ山並みの特定を次回きちんとやろう。

あの喜瀬武原闘争ではこうした山並みを掻い潜り、人民が着弾地を占拠して演習を止めるという闘いを行なった。道に迷ったり、怪我したり、砲弾の破片に吹き飛ばされた重傷者もでる中での闘いだった。

12:26 右側US MARINEだ。左側は掲示なし。通行可。大型トラックも通っており、物理的に通れるのだが、日米地位協定の取り決めとは別であり、詳細不明。国土地理院の図面では通れないはずだが、車道(未舗装)を歩いている私。しかしこちらはフェンスの外だ。

この先で「県民の森」に出る道と分かれて、大きく左折。

12:54 トラックと給水車が上がってきた。私は音を聞いており、三叉路で彼らを避けた。大型車と人ひとりが交差するのも危険な幅しかないのだ。もしもこんな場所で彼らと交差したら、歩行者が藪の中に入ってさけるしかない。彼らはこんな山道で何をしているのだろう。残土捨て場があるというのだが。

実は私は道を間違えた。トラック道に導かれてしまい、捨て場入り口まで入ってしまった。逆戻りして、喜瀬武原に下る。

写真は恩納岳方面。12:57

曇ってきたので、良い光源がなくなった。時間(太陽の位置)も経過しすぎた。

喜瀬武原(北側)の菊の栽培所。13:44

無事に下りた。ダンプに轢かれずに良かった。

県道104に合流。(株)山口建設の工事のようだ。振り返りながら撮影。

何で山の奥の谷を残土置き場にするのか、不明。13:51

人工衛星追跡管制所。13:52

JAXA (宇宙航空研究開発機構)の装置群。

一寸した太陽の光かげんでドームが全然別に見える。13:53

県道104を北に歩く。

ゲート18。閉まってる。14:14

GP(砲座)322 OP(着弾地)レーチェル 第8射撃場、LZ(着陸帯)

いろいるあるようだ。

14:24 慰霊の祭壇。2016年4月28日夜 この夜、当時20際の女性が軍属(元海兵隊員)に拉致され、強姦され、殺された。この奥の森に遺棄されたのだ。

7年余りが経つが、こうして足を運んでいる方がいるのだ。

その少し先に咲いているフヨウ。14:31

今来た道を振り返りながら撮る。沖縄宇宙通信所(左に1.7km)14:40

宇宙はロマンの世界ではない。宇宙戦争と利権の世界に替えられている。こうして歩いてきた米軍演習場と宇宙研究は、文字通り隣り合わせの時代に私たちは生きている。

この問題は改めて考えよう。

安冨祖に着いた。15時。残照まで間がありすぎる。

 



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