ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

予定は未定の日々(20240122)

2024年01月22日 | 沖縄暮らし

本日は2024年1月22日(月)曇一時小雨

 私は11日に脚を痛めてから、不調。身体の節々のバランスが悪く、気持ちに一貫性がない。精神不安定。昨日も今日も。本日は、午前中に沖縄防衛局(嘉手納町)へ。大浦湾側の工事中止要請行動があり、でかけた。1時間ぐらい遅刻。それでも私は概況を理解できた。国は、糠に釘。適当にあしらってごまかす態度だったようだ。

 詳細はともかく、まぁ、予想の範囲。私たちは、もっと大胆不適なこともしないと、彼らはびくともしないだろう。世論形成に留意しながら、この国はどこにむかうつもりかを明確に指し示す必要がある。「それでいいのか?」を問わなければ、なるまい。そのためには入念な議論が必要となるだろう。

 私は、嘉手納まで行くのだから、午後、嘉手納基地ウォッチングをするつもりだった。ところが、うるま市の友たちにあったので、みんなで食事に行こうとなり、うるま市まで「拉致」された。嘉手納ウォッチングは不可能になったが、半分空洞の自分は、色々な話しができて良かったようだ。うるま市で食事中、度々CH-53大型ヘリと覚しき轟音が聞えていた。近いのだが、どこで何していたのだろうか?

 結果的に早めに帰ってきた。丁度、西風が強く、名護湾は大荒れ。残照(なりかけ)と波頭を撮ることができた。もっとも雲が厚すぎて残照は不発。ともかく、風と波に抗して、大気と波の侵出を絶えず監視しながら撮らないと、下手をすると自分も流される。波は何段にも渡ってくるから、奥の波頭を撮りながら、手前の波の動きを見ていないと、自分がひっくり返されかねない。要注意・要注意の連続だった。しかし結局残照は不発。雲が厚すぎた。

 残照や朝焼けは、結果を見届けなければ、良かったとも悪かったとも判断つけがたく、可能性があればやるしかない。だからおもしろいのだ。

 本日の評価はともかく、気合いが入ったので、やる気は出てきた。そこは良かった。但し、何処に行ったのか、行かなかったかは、結果論であり、どうだったのかは、「そういうことだ」と思うしかない。

 明日は有料ブログに乗り換える手続きをする予定。あっさりと上手く乗り換えられれば、いいのだが。乞うご期待。細心の注意力を持って事に当たっていきたいものだ。 



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