ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

7月7日に考えたいこと(20220707)

2022年07月07日 | 沖縄暮らし

 おはようございます。今日は一段と暑くなってきました。もう冷房をいれないと耐えがたい(9:30)。本日の沖縄タイムス1面トップに「古謝・伊波氏激しく競る」が踊っています。その左に「サイパン戦 妹ら9人失う」の記事が出ています。

 激しく闘われている選挙戦ですが、2022年7月7日から1944年7月7日を振り返ることが重要です。私は危惧しています。同じような過ちの道に踏み込みそうな今を。7月7日を想起するならば、1937年の盧溝橋事件を考えなければなりません。この日(夜)、中国に駐屯していた日本軍が「発砲事件」をチャンスとばかりに全面的な中国との戦争に突入していきました。現場主導の戦争への道でしたが、そもそもなぜ外国である彼の地に日本軍部隊がいたのか、ここが問題です。1932年の「満州国」(植民地支配)があったればこそです。日本の権益は、日清戦争(1984ー95年)、日露戦争(1904-05年)で布石が打たれていきます。日本という国は、恥ずかしながら好戦的な略奪的な国だったのです。陸軍の暴走を止めることもできなかった国でした。

 ところで自民党副総裁がごく最近、こう言っていましたね。「強ければいじめられることはない」(要旨)。かもしれません。しかし、いじめられた経験を持つ私からすれば、とんでもないことです。これは悪ガキのすすめですから。力づくでは、一時の勢力をもって、敵を押さえ込めてもそれだけです。信頼関係など生み出せません。

 この人は、アジア・太平洋戦争で勝利していたのは1942年5月頃までだったことを忘れているのです。不都合なことは忘れて済ます。それは、沖縄戦もヒロシマ・ナガサキすら考えたことがないのでしょう。1944年の7月7日はサイパン陥落(万歳突撃)が「植民者」を巻き込んで決行されています。沖縄の方々が多数なくなられています。だが彼は、自分たちの財閥がいかに儲けたのかしか記憶にないのでしょう。

 こうした傲慢なご都合主義が、「強ければいじめられることはない」と言えるのです。「強者」を作り出すことは不断に「弱者」を作り出します。「強者」とはそういうものです。いじめっ子に育っていくのです。

 私の場合は、「強者」Aが転校していなくなり、副官だった「強者」Bが、私の母の病死を知って、豹変してくれました。彼の180度の転換は奇跡でした。1962年9月のことでした。卒業するまでの友人になりました。60年前のことですが、時代は単純だったのです。

 44年のサイパン陥落の話に戻しますが、軍隊は住民を守らず、同士であるはずの兵隊すら守らなかったのです。「自決」を強いていきます。負け戦に陥った「強者」は、「弱者」を求めたのでしょう。ここにも軍隊の本質が透けて見えてきます。

 同じ1944年の8月22日、対馬丸事件が起きています。沖縄戦を前にして、軍部は邪魔になる子どもたちを疎開させようとしましたが、鹿児島県悪石島付近で米軍潜水艦に撃沈されてしまいました。何百人もが亡くなりました。44年8月時点で当時の日本軍は、制海権も制空権も奪われていたのです。もう戦う体力はなかったのです。しかし天皇の軍隊は沖縄戦に突っ込んでいきました。「皇国を守るための時間稼ぎの持久戦」でした。

 「強がり」を強行されたばかりに、沖縄は哀れでした。大日本帝国は独裁国家でしたから、誰も一連の蛮行を止めることができませんでした。今また、こうしたことを平然と語れる自民党副総裁がいる日本。私はモノの哀れを感じます。そして改憲派が3分の2を超えるという選挙戦終盤情勢を読むにつけ、私たちの希望を探りたいと思います。どうしたらいいのか? 再び沖縄に犠牲を押しつけるのか?! 冗談じゃありません。お互いを大切にしあえるためには、自然生態系・友情・不戦を生きる希望に私は据えていきます。負けるわけにいきません。頑張りましょう。

 

 

 

 

 

 



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