ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

新里米吉さんが亡くなった(20220809)

2022年08月09日 | 沖縄暮らし

 新里米吉(しんざと・よねきち)さんが亡くなったと私が知ったのは、2022年8月5日の新聞紙上でだった。急逝だったので驚かされた。彼は県議をやめられてからも、最近では、地元西原町で「月桃」の歌碑制作のニュースで、彼が実行委員会委員長だと知っていた。言い出しっぺである。また、つい先日のことだが、玉城デニー知事の2期目に向けた後援会長に米吉さんが就任(2022年7月31日)したと聞いており、知事選が動き出すのだと思っていた。亡くなられたのは8月1日のことだった(享年76歳)。

 だからといって追悼文を書くほどの間柄でもないし、どうしようかと思っていたのだ。本日お葬式が営まれるとのお知らせを目にしたので、私と縁になった写真を引っ張り出してみた。私の写真が「社会新報」(社民党全国連合機関紙)の2015年1月1日号の表紙を飾った後の辺野古ゲート前で、彼が私に近づいてきて、「いい写真だったよ。ありがとう」(要旨)と言ってくれたのだった。

 写真は、辺野古の海・「新基地建設予定地」を海側から撮った写真(海上から撮影)だ。このとき、この一枚が私の写真だと気がついて、言葉にして挨拶していただいた人は、社民党関係者の中で彼一人だった。辺野古の海の写真に、その下に私の名前と私の顔写真が載り、「辺野古・沖縄から2015年を迎える」の挨拶文を寄せている。

 やはり自作について、気がついていただけることは、嬉しいことだった。観ているという事だからね。仁義の深い人だなと思っていたが、元高校教師だから、思いやりがあり、記憶力はよかったのだろう。このとき以来、なんとなく近い関係だと私は思っていたのだ。

 自作のタイトルは「ジュゴンの棲む海つぶさせない」だ。あれから8年が経ち(2014年撮影)、埋め立てが進み完全に失われた「世界」だ。改めて悔しさがこみ上げてくる。「(前略)誰もが戦火を望みません。しかし反戦の声はかき消されそうです。私たちは、日本を取り戻すのではなく、「歴史を取り戻し」冷静に進路を見極め、、共に元気に歩みだそう」と私は結んでいた。新基地建設の結節点でのことだったが、この思いは今も変わらない。

 今大切なことは、こうした思いを現場で共有し、広げていくことではないか。彼から受けた激励を改めて反芻し、もっともっと広げていきたい。明日8月10日から旧盆が始まる。

 残された私たちが頑張るしかないのだ。合掌。

 



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