ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

帰宅後3日目の今、「視点」展の作品制作に入る(20240225)

2024年02月25日 | 沖縄暮らし

 2024年2月23日夜、宮古島・下地島から帰宅し、昨日はぼうっとしていた。3日目の今も、けっこうぼうっとしている。外を見ても曇っており、ぼうっとしているせいもある。宮古島では陸自の駐屯地ができてしまい、5年が経過していた。帰宅すれば、新基地建設を問う、県民投票から5年が経っている。それぞれ流れている時間が違うのだ。良い悪いではなく、この違いを私達は無視できない。いや、無視してはならないのだ。身体も心も頭もひとつしかない私だが、こうした違いと、相互の関連を如何におさえていくのかが、より重要な時代を迎えていると考え始めている。

 思えば、私が最初に沖縄を訪ねた1989年5月には、この2つの問題はまだ全く表面化していなかった。1989年と言えば、東西ドイツを隔てていたベルリンの壁が崩され、独再統一の流れが創り出されていった時代だ。1991年にソ連邦が崩壊し、ここから米国の一極支配が始まっていく。よせばいいのに、米国の権力者どもは、この勝機を世界大に伸ばそうとした。湾岸戦争への介入に連動していく。

 平和への流れは、夢想しかないままに、戦乱の時代に入っていった。2001年9月11日の同時多発的な「自爆テロ」の真相は不明だが、軍事経済を追求してきた米国は、やはり戦乱を求め続けている。対「テロ」戦争、対中戦争準備、ウクライナ戦争への支援、イスラエルのパレスチナ攻撃(抹殺攻撃)支援などの愚か者ぶりを示し続けている。

 そして今、日本国政府・国民は、この戦乱の時代に積極的に突き進もうとしている。昔は天皇制の王冠をもちいて、今は「安全保障」を旗印に米国追従を良しとして。思慮のなさぶりは、80年余り経っても変わらないようだ。私も絶望的の気持ちに陥る。「平和に生きる」という想いが、蹴散らされ、「戦争よりも平和を」と言うまでに後退させられている。「武器の準備よりも、平和の準備を」というのはいかがなものだろうか。相対どっちがいいではなく、絶対平和を選ぶのでなければ、自作自演の戦争が起きてしまうだろう。私達は、考える力が枯渇している。奪われているのだ。これを取り戻さなければ、一歩も前に進めないだろう。

 だからこそ私は、この4半生紀余り表現に拘ってきた。沖縄に通い出して35年になるが、2000年4月から始まった辺野古漁港前での座り込みの取材で知り合ったのがフォトグラファーの浅見裕子さんだった。お陰で、リアリズム写真集団を知り、全国公募写真展「視点」を知ったのだ。彼女は私より4つ先輩である。沖縄の写真等で、「視点」に何度も入選・入賞している。2012年には「沖縄 道ジュネー/犠牲と抵抗の歳月」(なんよう文庫刊)を出版している。

 私もこの2011年から14年の「視点」に入選することができたり、2013年の作品集の表紙に使っていただいたりした(今見ても改めてドッキリさせられる写真だ)。沖縄に居を移してしばらくは出品する余裕がなくなったが、2019年に再起し、2021年、22年、23年と入選してきた。

 しかしかえって、沖縄にいると写すべき事ばかりで、焦点を絞りにくい。緊張が日常だから、メリハリをつけられない。考えあぐね、時間切れとなり、焦ったことが度々だ。今年は概ねイメージを打ち出している。その通りなるかは、まだ未知数だが。原点に返ろうと、考えている。残りの1枚を追加撮りしたいのだが、お天気如何だ。イメージをハッキリと、もっている分、難しいかも知れない。

 今以前の作品集を見て改めて思った。写真とは喚起力なのだ。一目で何事だと思わせる力だ。ということで「ブログよりも作品作り」の1週間を始めたい。私達の平和を創り出す想像力を喚起するために…。

 



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