ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

「視点」制作にあと一歩! ほか(20230301)

2023年03月01日 | 沖縄暮らし

 昨日の名護湾の残照は、ほぼ完璧でした。凪いだ名護湾に陽光が輝き、言うことなしだった。今日(3月1日)も晴れています。「視点」の締め切りが3月3日(消印)に迫ってきました。6枚を確定させ、ラスト1を決めかねています。7枚組の予定。ただし、決めかねるようだったら、6枚になる。今回はテーマ設定の上に、それがありそうな日程を思い出し、「こま」を決めてきました。ごく最近のものから去年、一昨年まで。

 以前の写真を見ていると、興味深く、本題に全然進まない。思わぬ所に玉城デニー知事が出てきたり。色々あったこの1,2年。めげていては、いられない。へぼい写真も多く、反省しきり。やはり今日は何をどう写すのかを吟味し、現場に着いたら、まず第一歩から細かいディティールを含めて、確認したい。同じ場所でも、見える光景は微妙に違うから。微妙に良かったり、微妙に悪かったりするので、「微妙×微妙」が大事。だから着眼点がものをいうわけだ。これを欠いている時はメタメタになる。

 いづれにしても、どうあがいても今回は明日まで。7枚目決定打がないときは、落とすしかない。半端なものを足してもアウト。6枚で十分まとまっているのだから、良しとしたい。

 話は変わるが、先ほど他人のブログを見ていたら、輸送艦(揚陸艦)「おおすみ」が2月27日関門海峡(下関)を超えたとあった。これは沖縄島の金武湾周辺に来るのだろう。日米共同演習のためだと思う。こんなこともあるので、「視点」を早く完成させないとならない。もう焦るな。

 昨夜、いよいよ選ぶぞと言うときに、電話が鳴って、ほぼ1時間の長話に。自衛隊のある部隊についての相談を受けた。基本的なことがわかっておらず、電話を通してなので、言葉だけのコミュニケーションでは話が伝わりにくい。正確に知っておいてもらわないと困るので長話を辞さずだった。自衛隊も、以前から軍隊だったのだという話しから、陣地戦の時代からネットワーク戦の時代に変わっているし、確かにわかりづらい。 戦後の生活の中で、軍隊はプラモデルと映画・テレビ・漫画の中に閉じ込められていたものが、今や天下国家の前面に躍り出てきたのだ。

 昔(多分1980年代)、私が北アルプスを歩いていたとき出会った青年が、自信なさげだったのが印象に残っている。多分彼は自衛官だったに違いない。公務員でも、日本国憲法9条等によって、「軍人」ですと胸を張れなかった。彼らはまだ「半端者」だったのだ。

 しかし今や、将官クラスはほぼふんぞり返っているように、私には見える。防衛省のHPで各部隊の頁を開くと基地司令(その基地のトップ)の挨拶と写真が出ている。お暇な方は見てください。彼らはPKOから30年、イラク派兵からも20年が経とうとしている中で、海外経験者が幹部に抜擢されている。小規模とはいえ、実際の緊張の場に立ってきた連中が幹部になっている。こうしたつながりがエスカレートしてきたのであり、そうした蓄積が米軍をして、「自衛官」を「戦士」と認めるレベルになってきたのが、昨今の事態に繋がっている。

 私たちが、市民生活の中では知りようもなかったことがらがとんでもないことになってきたのだ。私も勉強し直して、他人にわかりやすく教えることができるようにならなければなるまい。

 先日、嘉数高台公園(宜野湾市)で、「軍事を撮っているけど、反戦・非戦・不戦」の立場ですと話したら、受けました。さすが沖縄だ。こういう会話が成立するのは嬉しいよ。元気が出ます。色々頑張ります。



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