東大野球部の優勝を応援する会

東京大学硬式野球部の優勝を願い応援するファンのブログ

東京6大学野球「東大が50年前、慶応に毎回得点試合された思い出」神宮球場

2021-04-21 08:09:39 | 日記

先日の東京6大学野球で東大が30年振りに毎回得点され明治に2対17で敗れた。毎回得点試合は過去、リーグ全体でも3回。

私は、前回30年前に東大が法政に8対17で敗れた試合は見ていないが、50年前、1971年(昭和46年)秋季リーグ戦で最初に東大が対慶応2回戦に毎回安打、毎回得点で1対22で敗れた試合は生観戦している。

たまたま東京6大学野球ファンとして長年「YELL」と言う応援紙を何十年も発行し配布されている有名な方のブログ記事を見て、その当時の記憶がよみがえってきた。

この試合の東大の先発は1年生の御手洗健治氏だそうだ。2代前の東大監督を務めた御手洗氏である。正直言って手元に資料などが無く、私の曖昧な記憶なので記憶違いがあったらお許し願いたい。

当時の東大投手陣はエースに現在、東大野球部OB会「一誠会」会長の岩城正和氏が4年生でいたが春のリーグ戦登板中、急に自然気胸を発症、降板。その後、欠場。

東大紛争で東大の入試が中止され3年生は居なかった。2年生に現在、美術史家をしている小柄な下手投げの早川聞多氏、1年生に御手洗氏。のちに捕手から投手にコンバートされる1年生、山本隆樹氏は、まだ、投手にコンバートされる前だったような気がする。

したがって、好天の下、1対22で負けた時も、まあ仕方が無いなと思った記憶がある。

しかし、このシーズン、岩城氏が東大の最終週、第7週で奇跡のカムバックをしてリーグ戦、初勝利を挙げ32連敗で連敗を止めた試合は感動的だった。

当時の東大のエースはリーグ戦で最低1勝以上は挙げるといわれ、それを途切れさせなかった。

この3年後、対法政戦で「昭和の怪物」江川卓氏から東大の山本隆樹氏が3対2で完投勝利。江川氏から6大学初白星を東大が奪った。ちなみに江川氏から6大学初本塁打を打ったのも東大の渋沢稔捕手。

その後、御手洗氏もリーグ戦通算4勝、早川、山本両氏も各3勝づつ挙げ、この3人で10勝している。岩城氏は社会人野球に進み都市対抗にも出場している。

山本氏は数年前の三井造船副社長当時、神宮球場でのヤクルト戦で始球式をやっていると思った。

ありがたいことに、当時のこれらの試合を私は全て生観戦している。特に江川氏から初勝利を挙げた試合は、私が東大野球ファンを止められなくなる決定的な試合となった。

それだけに、現在、3引き分けを挟んで59連敗の東大だが、めげずに連敗ストップを目指して頑張って欲しい。

参照
1971/9/19
東大 000000010 1
慶應 31222282x 22


私が東大野球ファンになった時のエース「門松武氏」のインタビュー記事

2021-04-20 08:59:15 | 日記

私が東大野球部ファンになった当時のエースは神奈川県立湘南高校卒業の門松武氏。

以前、東大硬式野球部ホームページの100周年連載企画~東大野球部の今昔~」第3回にインタビュー記事が載っていた。

昭和46年卒とあるから私の東大野球部ファン歴も、かれこれ50年。

平成になってから仕事や病気で、神宮へ通えなくなった。したがって平成時代は、ほとんど生観戦はしていない。

定年後、現プロ野球、ヤクルト宮台の活躍あたりから神宮通いを復活。事実上、ファン歴20年位か。

門松氏は、通算4勝とはいえ、本人も言っているように、法政に田淵、山本浩二、山中、江本、早稲田に、谷沢、荒川、明治に星野仙一など後にプロ野球、社会人野球などで活躍した選手がいた時代。その中で頑張った。

社会人としても高級官僚として成功。ファンとしては、嬉しい。インタビュー記事はこちら「門松武氏


東京6大学野球「東大、明治に連続大敗で59連敗」神宮球場

2021-04-18 17:27:50 | 日記

2021年春季リーグ戦第2週第2日目第2試合

2021年4月18日(日)観衆3500人

東大000 011 000 =2

明大211 116 32X =17

東大投手 ●西山、小宗、柳川、松岡由、大久保、井澤-松岡泰

明大投手 ○磯村、高橋、石原、渡部翔ー植田、横山

本日もネットテレビ観戦。この試合、明治は毎回安打、毎回得点で大勝。東京6大学野球リーグで毎回得点は30年振り3回目。いずれもやられたのは東大。

最初が1971年(昭和46年)秋の慶応、2回目が1991年(平成3年)春の法政、明治は初めて。

実は、私は最初の50年前の慶応戦を生観戦している。確か東大が慶応に22点取られたのではないかとの記憶があったが当たっていた。

当時の慶応にはプロ球界から一番人気でありながらプロ入り拒否をして社会人野球の松下電器に進んだ松下勝美、2年後輩に、後にプロ野球、大洋で活躍した山下大輔などがいた。

私がリーグ戦で見た東大最多失点が、この22点。

ともあれ今日は、東大は6安打、4四球、2得点、2エラー、明治は19安打、7四球、17得点、0エラー。

明治の先発は中京大中京出身4年生の磯村。2番手が小諸商業出身4年生の高橋。大敗していうのも何だが東大は中盤まで毎回、チャンスを掴んでいて2人共それほど好調とは見えなかったが、後1本が出ずに2得点に留まった。

その間、明治打線は球に逆らわない堅実な打撃で小刻みに得点を重ね6回表東大の攻撃終了時点で明治が6対2でリード。

まだ東大にも一縷の望みがあったが、6回裏、東大の4番手投手でリーグ戦初登板の2年生、松岡由が守備のミスにも足を引っ張られ5番手投手、大久保の不調もあり打者一巡で一挙6失点、大久保は7回裏にも3失点で2対15。

まあ、仕方が無いが、いけないのが最後に出てきた東大の3年生エース連投の井澤が明治の2年生、堀内にホームランを打たれたこと。

ここは大敗とはいえエースが最終回を0点に抑えなければいけない。井澤は昨春、リーグ戦デビューで今季は、かなり研究され過大な期待は出来ないとは思っていたが、それが当たりそうな嫌な予感がする。

東大主将の大音も捕手から3塁手にコンバートされて間もないようなので仕方が無いが守備のミスが目立ち始めた。とはいえ打撃を考えれば変えることも出来ない。

1回戦で好守を見せた松岡捕手も、この日は、盗塁刺殺どころではなく明治に7盗塁を許したが、東大も5盗塁して頑張った。

東大は来週は1週空き、次は慶応戦。やはり井澤、小宗、西山あたりを中心に投手陣の建て直しをはかりたい。

第1試合は立教が法政に3対1で勝利。


東京6大学野球「東大、明治に大敗で58連敗」神宮球場

2021-04-17 18:31:32 | 日記

2021年春季リーグ戦第2週第1日目第1試合

2021年4月17日(土)観衆2000人

明大 031 020 401 = 11

東大 000 000 000 = 0

明大投手 ○竹田、宮内、西城ー植田

東大投手 ●井澤、大久保、鈴木、奥野-松岡泰

今週もネットテレビで観戦。はっきり言って力負け。今日のように天候の悪い、体調不良の時に観戦したら帰宅が疲れた試合。

ちなみに今週から「コロナまん防措置」で観客数上限が1万人から5千人に削減。

東大は4安打、2四球、無得点、2エラー。明治は17安打、6四球、11得点、0エラー。

東大の先発は3年生エースの井澤。それほど悪くはないと思ったが球威が無いせいか外野フライと思った当たりがホームランになったり長打になる。3回4失点で交代。

2番手が故障で1年振りのリーグ戦登板の4年生、大久保、2回2失点、以降、2年生、鈴木2回4失点、4年生、奥野2回1失点。奥野以外それほど制球が悪いとは思えなかったが現状では1イニングが限界に感じた。

打線も明治の先発、履正社出身4年生エース竹田に7回2安打1四球無得点。三振も2個しか奪われていないが3塁ゴロが多く、比較的良い当たりが外野手の守備範囲。やはり打たされていたのだろう。

この試合、東大側で良かった点は捕手の松岡泰。明治の2盗を3回阻止成功。早大戦でも数回2盗阻止をしていた。投手のけん制も進歩したのかもしれないが強肩は良い。

東大打線は、4安打無得点に終わったが数年前に比べると選球眼が良くなり変化球にも、それなりについていけるようになった気がする。

今季は東大守備陣にコンバートが多いが、その割に守備も悪く無い。明日の先発は東大は西山、明治は高橋か磯村。何とか東大には頑張って欲しい。

第2試合の法政対立教は2対2で引き分け。


「元プロ野球中日球団代表の井手俊東大野球部監督」

2021-04-16 09:05:27 | 日記

私も子供の頃は、御多分に漏れず、プロ野球ファンで相撲ファンだった。プロ野球は、勿論、巨人、相撲は柏戸のファン。それがいつの間にか興味がなくなり、ほぼ見なくなった。高校野球もしかり。

プロ野球は、江川卓氏の引退あたりから徐々に興味がなくなり今は、巨人の選手でも、やっと最近、菅野と坂本の顔と名前が一致したが岡本は、名前は知っているが顔は分からない。

昔、国民的大スター、巨人の長嶋茂雄引退試合が行われた。1974年10月14日、既に優勝が決定していた中日相手に後楽園球場で行われた。有名な長嶋氏の「巨人軍は永遠に不滅です」の名セリフなどの試合は、テレビで見た。

この試合、最近は、ほとんど行われなくなったがダブルヘッダーで行われた。巨人は消化試合とは言え当然、ベストメンバー。

対して中日は、この日、名古屋で優勝パレードがあるとかで主力選手は、そちらへ参加。長嶋引退試合に控え選手で臨んだ。これは、かなり顰蹙をよんだ。

大島康徳選手が長嶋氏に「ベストメンバーでなくて、すみません」と謝ったとスポーツ新聞には書かれていたと思う。優勝パレードは全日程終了後に行えば良いのだが、何か理由があったのだろう。

出場した中日のメンバーでレギュラークラスは、当時、若手の大島康徳だけ。後はのちに活躍する藤波、この年で引退した広野などが名前の知られた選手。

この日の第2試合最終メンバーで現東大野球部監督の井手俊氏が3番センターで名前が残っていた。おそらく、最後の方で守備固めで出たと推測されるが、この年は1軍で自己最多の84試合に出場している。さらに2試合だがスタメンにも出て居る。

知っている人は知っている話だが、私は、今回まで知らなかった。

ちなみに井手氏は、プロでは1軍で投手としては17試合登板1勝4敗、防御率5.13。

野手としては359試合出場、64打数12安打1本塁打2打点、打率.188、10年間、中日でプレーした。

その後、1軍コーチ、2軍監督、球団代表を務めた。東大出のプロ野球選手では、第1号の元大洋の故・新治伸治の現役4年間、1軍で88試合登板、9勝6敗、1完投勝利、防御率3.29も捨てがたいが、東大出プロ入り第2号の井手俊氏も、野球人生は、まずまず成功したと言えると思う。