武弘・Takehiroの部屋

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韓国よ、恩を仇(あだ)で返すな!

2014年08月14日 14時42分04秒 | 政治・外交・防衛

昔は、産経新聞やフジテレビは韓国のために大いに貢献した。私はフジテレビの記者をしていたから、だいたい分かっている。産経新聞やフジテレビは、韓国や台湾に肩入れしていた。だから、中国や北朝鮮からは大いに嫌われたのだ。
例えば中国の取材となると、産経やフジテレビだけは拒否された。どれだけ不愉快な思いをしただろうか。それも仕方がない。フジ・産経を統括していた鹿内信隆という人は、大の台湾びいきで韓国寄りだったからだ。まあ、自業自得ということか(笑)。
だから、1965年の「日韓基本条約」締結の時は、フジ・産経は極めて協力的だった。韓国のパク・チョンヒ大統領(パク・クネの父親)は日韓関係の将来を思い、建設的で前向きだったと思う。また、日韓国交正常化は韓国の経済発展などのためにも良かったと思う。
こうして両国の友好関係は発展していったが、やがて日韓関係に最大のピンチが訪れた。それが世に言う『金大中事件』だったのである。この事件を長々と語る時間はないが、要するに、後の韓国大統領・金大中氏が東京でKCIA(韓国中央情報部)に拉致され、危うく命を落としそうになった事件である(1973年)。
日本側はKCIAの現場指揮官に出頭を求めたが、韓国側はそれを拒否、両国関係は一気に険悪になった。この事件は日本が明らかに主権を侵害されたもので、許されるものではない。しかし、その後、両国の間で“政治決着”が図られることになり、事件の真相はうやむやのうちに闇に葬られた。
金大中氏は当時、韓国の有望な若手政治家あり、パク・チョンヒ大統領は彼の躍進を恐れてKCIAを動かしたのだろう。それはともかく、日本側は政治決着でこの事件を収拾し、パク大統領に恩を売る形で終わった。

個人的な話だが、その頃のことで忘れられない思い出がある。その年(1973年)の10大ニュースのトップはもちろん「金大中事件」だったが、わがフジテレビ報道でそれを大々的に取り上げようとしたら、上から待ったがかかった。たしか8分半ぐらいのドキュメンタリーに仕上げたが、放送日の前日、上から、つまりY報道局長から2分ぐらいに短縮しろという指示があったのだ。
冗談じゃない! 金大中事件はその年のハイライトではないか。短くなんかできるか! ということで、われわれ現場とY局長との間で、激しい応酬が繰り広げられた。深夜になってもラチが明かないので、最後はY局長の「業務命令」で、短縮せざるを得なくなったのだ。ああ、無念・・・
しかし、このようにフジテレビでも“上層部”からの指令で金大中事件を穏便に終わらせようとしたのだ。もうとっくに時効だから、話してもいいだろう(笑)。 ということは、日本の政界やマスコミの大部分が、金大中事件を円満に収束してパク・チョンヒ政権を助けたのである。その是非はともかく、それを忘れるな! と言いたい。
「報道の自由」とか何とか正論を言っても、韓国側は分かるわけがない。そこで今日は「恩を仇で返すな!」と、儒教的な精神で言った。産経新聞ソウル支局がいま、ウェブサイトの記事で韓国政府に“弾圧”されているが、冗談じゃない! かつて、産経やフジテレビがどれだけパク・チョンヒ大統領を助け、支援したか・・・娘のパク・クネは忘れたのか!? この恩知らずめ!
今日はだいぶ情緒的な話で終わったが、次回からは報道の自由、表現の自由という“正論”から、韓国政府を徹底的に追及していきたい。


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