最近、政治に嫌気が差してあまり関心を持たなかったが、「集団的自衛権」の話が出てきてこれは少しおかしいのではと思うようになった。というより、もう放ってはおけないという気持である。
日本は平和憲法のもと、戦後一貫して世界の平和と国際協力に貢献してきた。少なくとも努力してきたはずである。これは日本国民が誇るべきことであり、二度と戦争を起こさないという誓いは尊いものだったと信じる。現に、第2次大戦以降の70年近く、日本は一度も戦争に巻き込まれず平和と繁栄を享受してきた。 これはほとんどの国民が認めることであり、それで良かったと思っているだろう。私もそれで良かったと思っている。
ところが、最近 自民党内で「集団的自衛権」の論議が活発になってきた。詳しいことは省くが、これはどう見てもおかしいのである。思想・信条の自由は認められているから、何をどう議論しようと勝手だが、現憲法下では「個別的自衛権」の行使は容認できるが、集団的自衛権の行使は認められないとされてきた。それが適切かどうかは各人によって考えが違うだろうが、少なくともそういう解釈で日本は進んできたのである。
ここで憲法解釈を論議する時間はないが、日本が現憲法を守る限り、そうした方向は間違っていなかったと思う。いや、憲法9条を徹底させるなら、自衛権そのものを放棄し今の自衛隊も解散しろという意見もあるぐらいなのだ。しかし、ここでは憲法論議は止めておこう。
それよりも、集団的自衛権の行使が容認されていないのに、地球の裏側でも自衛隊は行けるという石破・自民党幹事長の発言(4月5日)は何なのか! ふざけるな! と言いたい。石破氏は、自衛隊の活動範囲が地理的なもので制約されるのではなく、事案の性質で判断すべきとの考えを示したが、これは「集団的自衛権」の行使容認が当然との前提で発言したものだ。とんでもない! そんなことは、これまでの自民党政権が一度も示していないものだ。
やや理屈っぽい話になったが、集団的自衛権の行使を認めるなら、当然 現憲法の改正(改悪)が必要になってくる。個別的自衛権の行使さえ認めない人達もいるから、こんなことは当たり前の話だ。
憲法改正(改悪)の議論を棚上げにして、解釈の変更、歪曲だけで乗り切ろうというのは極めて悪質である。だいたい、安部首相も面倒くさい改憲論議を避け、なし崩し的に既成事実を積み上げようとしている。特定秘密保護法の成立や武器輸出3原則の歪曲などを通じて、日本を“戦争国家”へ変えようとしているようだ。
卑怯な手は止めろ! と言いたい。憲法改正か改悪か知らないが、正々堂々と改憲の議論をしたら良いではないか。憲法解釈の姑息な変更や歪曲で、日本を戦争ができる国に変質させることは止めてもらいたい。これが安部首相が言う「積極的平和主義」なのか? もしそうなら、安部も石破もただの“戦争屋”でしかない。戦争屋のことを英語で「Warmonger, Warmaker」と言うそうだ。よく覚えておけ!
今日はだいぶ厳しいことを言ったが、最後に、平和憲法を守ることが第一義であり、その上に立って改憲論議を進めることこそ“常道”、“正道”だと言っておきたい。(2014年4月6日)