相沢祐一の『北信越(北陸・信州・越後)』乗り撮り鉄道記

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一旦、最終回シリーズその1「かつてスイッチバック駅だった関山駅」

2010-10-28 22:37:00 | 鉄道・自己中ウンチク記
このブログは2010年10月31日をもって、無期限休止します。以前から、考えていたものですが・・・
ブログ開設が2007年8月ですが、翌年の2008年8月には閉鎖・休止を考えていたのです。


まあ、づるづると引っ張ってきたのですが・・・・


このシリーズは全4回に分けてお送りいたします。なお、記述はすべて自分の脳内ソースですのであしからず・・・


第1弾として、昔はスイッチバック駅だった「関山駅」です。


詳しくはウィキの「関山駅」を見るのが一番です。




関山駅です(なお写真はすべて、2008年8月に撮影しました)↓
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ホームに勾配があります。1985年10月に現在の場所に移転したとの事。



橋の方向へ向かいます↓
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橋の上から、かつての関山駅の方向を見ます。本線は右側です↓
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左側がかつてのスイッチバック駅だった関山駅へ向かいます。(現在は、保線用として残っています)



歩道橋の下にいた時にちょうど「妙高号」が通過していきました↓
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一度でいいから、スイッチバックするシーンを見てみたいですね。(多分、無理でしょう)



しばらく歩いて、「関山駅」跡と思われるところへ来ました↓
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すでにホーム跡は草木に覆われています↓
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この風景もあと何年でしょうか?



昔は蒸気機関車だったので勾配のあるところでは長期停車ができませんでした。しかし、電車化そして高性能化したので、スイッチバックが必要としなくなりました。全国からどんどんスイッチバックが消えていっています。その中でも長野県の姨捨駅は、逆にスイッチバックを生かした例だと思います。



こうして、関山駅はスイッチバック駅から脱却しました。次の二本木駅はスイッチバックが現役で残っています。・・・と言うよりは、ある工場のための駅だと思うのですが・・・


次回「その2・今もスイッチバックが残る二本木駅」に続きます。それでは・・・










        Written by 相沢 祐一(管理人)