河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
加えて、日々の思いをブログに移入しています。

茶話125 / 歌は世につれ

2024年02月29日 | よもやま話

戦前から戦後に『支那の夜』『蘇州夜曲』などで活躍した女性歌手に渡辺はま子がいる。
昭和11年3月に『忘れちゃいやョ』という曲を発表してヒットするが、三か月後の6月に発売禁止の処分になる。
理由は、「あたかも娼婦の嬌態を眼前で見るが如き歌唱。エロを満喫させる」だった。

♪月が鏡であったなら 恋しあなたの面影を 夜毎うつして見ようもの 
こんな気持ちでいるわたし ねえ 忘れちゃいやヨ 忘れないでネ ゝ(以下繰り返し) 
♪昼はまぼろし夜は夢 あなたばかりにこの胸の 熱い血潮がさわぐのよ ゝ
♪風に情(なさけ)があったなら 遠いあなたのその胸に 燃える想いを送ろもの ゝ
♪淡い夢なら消えましょに 焦れ焦れた恋の火が なんで消えましよ消されましょ ゝ
(詞:最上洋・曲:細田義勝)

現代だったら、ほとんどの歌が発売禁止になってしまう。
歌は世につれ 世は歌につれ。

黒澤明監督の『生きる』という映画がある。
勤勉一筋の役場職員(志村喬)が、余命短い病になる。役所を休み自暴自棄になっていたが、若い女工に励まされ、一念奮起して役場に戻る。そして、街の人が望んでいる公園の造営に奔走し、やっとのことで完成する。その夜の公園のブランコに座り、静かに歌う。(詞:吉井勇・曲:中山晋平)

♪いのち短し 恋せよ少女(をとめ)
朱(あか)き唇 褪(あ)せぬ間に
熱き血汐の 冷えぬ間に
明日の 月日のないものを

大正4年(1915)年、松井須磨子が歌った『ゴンドラの唄』である。
主人公の境遇に歌詞がかぶさり涙をさそう。
  ★
その『ゴンドラの唄』のニ番・三番はかなりエロっぽい。

♪いのち短し 恋せよ少女
いざ手を取りて彼(か)の舟に
いざ燃ゆる頬(ほ)を君が頬に
ここには誰(た)れも來ぬものを

♪いのち短し 恋せよ少女
波にただよひ波の様(よ)に
君が柔手(やわて)を我が肩に
ここには人目のないものを

エロっぽいかどうかは、読む者、聞く者の主観によるだろうが……。
  ★
同じ、大正4年に巷で流行った『ばらの唄』というエロ歌がある(作者不詳)。

♪小さい鉢の花ばらが  あなたの愛の露うけて 薄紅の花の色 昨日初めて笑ってよ
♪かたい蕾に口あてて 小雨ふるよな夢ごこち あなたはなにを話したの 花はあなたを待っててよ
♪月ある夜がおいやなら 昨日も今日も闇夜だわ 花にかわってわたしから お出でなさいとまっててよ

どこがエロいかは、読者の主観におまかせする。
歌は世につれ 世は歌につれ。
※写真は東宝ポスターより

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茶話124 / 女々しさ

2024年02月28日 | よもやま話

平安時代、「かわいい」の意味を表す言葉は一つではなかった。
「うつくし、をかし、かはゆし、あいらし、いとほし、らうたし」などの様々な言葉をつかっていた。
それが、明治時代までに「かわいい」という一つの言葉で言い表せるようになっていく。
ところが、現代は逆に、「かわいい」という言葉が、「小さい、愛らしい、ぴったり、映える、美しい、味がある」などの様々な意味でつかわれている(茶話120)。
「かわいい」という言葉で様々な情感を表す日本独自の文化が、外国人に受容されて「kawaii文化」と呼ばれるようになる。
そのきっかけをつくったのが、大正時代に美人画で一世を風靡し、大正ロマンを代表する作家の竹久夢二だ。

竹久夢二は大正3年、自ら手がけた千代紙・絵封筒などを扱う「港屋絵草紙店」を東京・日本橋に開店する。
今でいう「かわいい雑貨」を販売するこの店は、若い女性の人気となり、「かわいい文化」のさきがけとなった。
    
遣る瀬ない釣り鐘草の夕の歌が
あれあれ風に吹かれて来る
待てど暮らせど来ぬ人を
宵待草の心もとなき
想ふまいとは思へども
ため涙
今宵は月も出ぬさうな
(『宵待草』1912年6月)
 ※我としもなき=自分ではどうしようもない
自らの実らぬ恋が忘れられず、一人海辺に来て詩にしたのだという。
なんとも女々しい男心。


「女々しい男」という言葉は、弱々しい男を軽蔑する言葉であると同時に、その裏には「女は弱いものだ」という差別感が潜んでいるかもしれない。
しかし、対義語の「雄々しい(=男らしい)」の逆と考えれば、「女々しい(=女らしい)」の意味になる。
男らしい、女らしいと決めつけてしまうのがおかしいのであって、男にも女々しさがあり、女にも雄々しさがあるのだと思う。
武士道とは死ぬこととみつけたり」と雄々しく述べる山本常長『葉隠』に、次の一節がある。

 恋の至極は忍恋と見立て候、逢ひてからは恋のたけが低し、一生忍んで思ひ死する事こそ恋の本意なれ。
(究極最高の恋とは、心の中に秘めて外に現わさない恋だと言える。その人に逢ってしまうと恋の程度は低くなる。一生心に秘めて、思い焦がれて死んでしまうのが、本来の恋なのだ)

ここにも、女々しい男心が感じられてならない。

恋に焦がれて鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が 身を焦がす
思い出すよじゃ 惚れよがうすい 思い出さずに 忘れずに
おまはんの 返事一つで この剃刀が のどへ行くやら 眉へやら  (以上 都々逸)

女々しい男心。雄々しい女心があってもいい。
大正という時代は、そんな女々しさと雄々しさが混在した時代だ。
ちょうど今の世とよく似ている。
※『夢二抒情画選集』上巻 国立国会図書館デジタルコレクション 

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茶話123 / 雨水

2024年02月26日 | よもやま話

二十四節季の「雨水」。
なのか、一週間、ほぼ毎日、曇りか雨。
今日こそはようやくいい天気かと思ったら、晴れたり、曇ったり、またもや通り雨。
おまけに、気温は10度なのに、風が強くて寒い。

一週間、雨を眺めてうんざり。
しかし、そぼ降る早春の雨は、なぜか、人を和ませる。
人の心を穏やかにさせる。
天の恵みが地を潤し、春をもたらすからだろうか。
頭がぼーっとして、空っぽになる。
  ◇
逆に、人を悲しませるは、風かもしれない。
飄然(ひょうぜん)として、何処(いずこ)からともなくやってくる。
そして、飄然として何処ともなく去る。
初めも終わりもわからないまま、粛々として吹きすぎる。
風は人の心を不安にさせる。
  ◇
風は、過ぎ行く人生の声なのだ。
どこから来て、どこへ行くのか。
人はその風のを聞いて悲しむ。
  ◇
つれづれなるままに、暇に任せて書いていくと、やけに頭がものぐるほしく、すうすうと冴えわたり寒いくらいだ。
それを我が相方に言うと、「一昨日、丸坊主にしたからやろ!」
頭が氷つく!

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茶話122 / どちら様ですかいなあ?

2024年02月25日 | よもやま話

今時、営業電話でもなかろうに、一日に数回かかってくる。
非通知は、電話機が勝手に切ってくれる。
通知があるものは、出ない。
それでもかけてくるのは、受話器をとる。
半分は、男性の私がが出ると、向こうからブチッと切る。
それでもかけてくるのは、声を聞いて判断する。

男性の声で「お忙しいところ失礼いたします」
「忙しい!」の一言で、ガチャツと切る。
年配の女性の声で「屋根塗装の〇〇と申します」
アナウンサーの口調で「以前も電話をおかけになりましたね?」
「いえ、初めてですが……」
「一度断られた相手への再度の電話勧誘は違法行為となります」
ブチッ!

「お忙しいところ失礼いたします」と、若い女性の可愛い声。
とっさに90歳くらいのお爺さんの声で、
「はいはい、どちらさんでございますかいなあ?」
「リサイクルの〇〇と申します」
「はぁあー? リス、サイ、クマ? どこの動物園さん?」
「いえ、お宅にある古いものをお買い上げするリサイクルでございます」
「古いもんを買うてくらはりますのんかいな! 私を買うてもらえまへんか?」
「……」
「歳はとっても、まだまだ若い者には負けまへん……、負け……ゴホ、ゴボ、ゲホ!」
「クククッ」と笑いをこらえる声がして、ブチッ!
二度とかけてこなくなったが、もう一度かけてきて欲しい。

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茶話121 / 式部ちゃん

2024年02月23日 | よもやま話

家の前の道を、男子高生が大きな声で歌いながら、自転車で通り過ぎて行った。
とても上手とはいえない。
恥ずかしくはないのだろうか。
その後から、自転車に乗った女子高生が三人、短いスカートで、恥ずかしげもなく通り過ぎて行く。
寒っぶいのに、おいど冷えるで……と思いつつ、「女学生」という懐かしい言葉が頭をよぎった。

♪向こう通るは女学生
三人並んだその中で モストビューティーが目に浮かぶ
色はホワイト目はパチリ むすんだ唇あいらしや
もしもあの娘が彼女なら 僕も増々勉強して
優等で卒業したからは ロンドン、パリーをまたにかけ
三年五年また五年 無事に帰ったその時にゃ
あの娘は誰かの妻だった 
ざんねんだざんねんだ
ざんねんだったら 寝てしまえ♪
(ざんねん節 唄:守屋浩・曲:浜口倉之助・採譜:仲田三孝 2010年)

自由奔放に振る舞うのは若者の特権で、今に始まったことではない。
明治の33年に「ハイカラ」という言葉がつかわれ出した。
「ハイカラー(=高い襟=ワイシャツ)」からできた言葉で、〈西洋かぶれ・気障な当世風〉という意味だ。
 ♪チリンリンと出で来るは シルクハットに燕尾服 ゴールド眼鏡を鼻の先 ゴム輪の人力駆け回り ゼントル気取るハイカラも 家へ帰れば火の車 アイス(? 高金利)返すは口車♪ (以下 ハイカラ節)
最初は西洋かぶれの成り金男性をからかう言葉だったが、そのうちに、当時から増えだした「女学生」にもつかわれだす。
 ♪ニ八(にはち=16)乙女の初恋は 互いに行き交う丸の内 スクール帰りの道の辺に 逢うて楽しき胸の裡 いつしか色にあらわれて ものや思うと尋ぬられ パット散りたる桜色♪
はては、海老茶色の袴(はかま)を履いて、得意げにしている女学生を「海老茶式部」と呼ぶようになる。

 清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人。さばかりさかしだち、真名書き散らしてはべるほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり……『紫式部日記』。
 (清少納言ほど、得意顔してイヤな女は有りゃしませんよ。やたらと賢こぶって漢字をつかいまくっておりますが、書かれたものをよく読んでみると、ほんと、まだまだ未熟なことだらけだわ)

現代の女子高生のルーツは「光るの君」にまでさかのぼれる。
若者は誇らしげでいい。
明日からは、自転車通学の彼女たちを「ミニ式部ちゃん」と呼ぶことにしよう。
♪霞に匂う隅田川 春の夕べの月影に 雪かと見ゆる八重桜 花に見違うドーター(女学生・娘)の 背なに垂れたる黒髪に 散るやチェリーのひらひらと 女蝶男蝶の戯れか♪
※竹貫佳水 著『少女四季物語』明42 国立国会図書館デジタルコレクション 

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