昨日3日は、一粒の種が万倍に育つという「一粒万倍日」。
加えて、黄金色の毛が金運をもたすという「寅の日」。
もう一つおまけに、太陽が隅々まで明るく照らしてくれて、すべての物事がうまくいくという「大明日」。
こんな大吉日に、じっとしていては運を逃す。
朝の早から畑へ行って、蒔いた蒔いた蒔きました。
スイカにキュウリ、カボチャにマッカ。
ダイコン、ニンジン、インゲン、ゴーヤ。
縁起担いで、ソーリャソラソラお祭りだ!
数日前に70歳をむかえた。
「人生七十古来稀なり」。
中国は盛唐期の詩人、杜甫の漢詩「曲江」の中の一句が「古希」の出典となった。
朝(ちょう)より回(かへ)りて日日(ひび)春衣(しゅんい)を典(てん)し
毎日 江頭(こうとう)に酔いを尽くして帰る
酒債は尋常 行く処に有り
人生七十 古来稀(まれ)なり
花を穿(うが)つ蝶々は深深(しんしん)として見え
水に点ずる蜻蜓(せいちょう)は款款(かんかん)として飛ぶ
伝語(でんご)す 風光は共に流転
暫時(ざんじ)相(あひ)賞して相(あひ)違(たが)ふこと莫(なか)れと。
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かなり意訳だが、杜甫の気持ちと自分の気持ちを照らし合わせた。
今日の日終えて酒を酌む、その日暮らしの年金生活
いずれ逝くときゃ独りじゃないか、ついぞついぞの酒に酔う
明日はままよで、酒屋のツケもままならない
人生七十 古来稀なり
蜜を求めて蝶が舞う、花の向こうでひらひらと
水面をかすめてトンボ飛ぶ、のんびり長閑にすいすいと
風よ光よ生あるものよ、明日は明日の風が吹く
あるがまんまにその日を生きて、あるがまんまを喜び合おう
杜甫が飲んでいる酒は、王様に敗戦の責任を負わされた鬱憤を晴らすためのヤケ酒である。
だから、「人生七十 古来稀なり」は、「70歳まで生きるなんて、昔からめったにあるまい」の意になる。
だからこそ思うがままに生きてやれ……という、開き直りの愚痴になる。
杜甫が47歳の時だ。
その後、杜甫は七十を迎えることなく58歳で亡くなっている。
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「人生七十」など当たり前の時代になった。
さしずめ、今なら「人生百十」といったところか。
どうせ人生、長く生きても110年。
贅沢な生活など望むべくもないが、せめて蝶々やとんぼのように、気持ちだけはのんびりとありたいものだ。
開き直れば、少しはいいことあるかもしれない。
「人生七十」は、開き直って新たなスタートの種を蒔く歳なのだ。