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河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
加えて、日々の思いをブログに移入しています。

畑206 / 至福のグルメ

2025年05月26日 | 菜園日誌

雨をはさんで8日間、実質作業6日間かけて600個のニンニクを収穫した。
ニンニクは掘ってお終いではなく、根を切って、皮を剥いて、根の付け根を平らにしなければならない。
ハサミやカッターナイフを使うのだが、毎日100個ともなると手が痛い。
ニンニクのうま味成分といえばアリシンだが、アリシンには非常に強い殺菌力があり、皮膚の潤いを保つアミノ酸を破壊する。 
すると、皮膚の細胞が壊れて、火傷と同じような症状を起こしてしまうのだ。
作業を終えて、家に帰ってオロナイン塗って、風呂に入ってからハンドクリームを塗っての毎日。
ようやく、収穫し終えた。

これでお終いというわけにはいかない。
4個ずつ束ねて、紐で縛って、吊って、干して、乾燥させなければならない。
そのためには、新しいビニールハウスを建てたので、要らなくなった古いハウスを干場に改修しなければならない。
骨組みだけを利用して、防水シートを買ってきて、被せて、ロープで固定して、中を整理しなければならない。
そして、天井からスチールパイプを吊って、束ねたニンニクを吊るして……。
猫の手も借りたいほど「て」の多い作業に3日かかった。

UV加工したシートなので中は日陰になっている。
ドアを外し、裏のビニールを剥がしたので、風がよく通って涼しい。
夏場の休憩場所にうつてつけだ。
椅子に座って天井を見上げると、600個のニンニクのお尻が丸見えだ。
こんなのも乙なもんだ。
今は、ニンニク干場がお気に入りの場所になってしまった。

今日も今日とて、吊り下げたニンニクに頭をぶつけながら、どかりと椅子に座る。
さて、朝食にするとしよう。
夕べに造っておいた弁当。
おにぎり一つと卵焼きとタクアンに、畑で採りたての大葉。
なんとも粗末な朝食だが、目の前の田園ビューを眺めながらの朝食は、至福のグルメである。

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畑205 / 貧乏爺(ジジイ)

2025年05月15日 | 菜園日誌

ニンニクの葉がだいぶんと黄色くなってきた。
さて、今日は、のんびりと気楽にニンニクを掘るとするか。

去年、種ニンニクが安い所をネットで見つけたので買った。
一袋(1K)が1100円。
4袋セットだと3200円。
歳をとっても貧乏根性の治らないジジイだから、必然的に4袋セットを買った。
一袋に10個入っているから、一個で10片取れるとして……、一袋で100片の種が取れる。
4袋だから、しめて400個で、ちょうどいい数になる。
そう思っていたら、届いてびっくり下谷(したや)の広徳寺で、一袋に15個入っていた
つまり、4袋で600個……。
どうしよう?
貧乏根性の抜けないジジイは、600個を植えたのである。

ビニールマルチが剥がしやすいように、葉っぱの下で茎を切る。
マルチを剥がして、しばらく土を乾かす。
土が白くなってきたら、シャベルを使って掘り起こす。
根っこに付いた土が落ちやすいように、再び、しばらく乾かす。
乾いたら、ハサミで根を切る。
ニンニクは掘れば、目出度く収穫というわけにはいかない。
皮を二枚残して剥がし、根の付け根の部分をハサミやら包丁やらで平らにする。
これでようやく、店で売っているニンニクの姿になる。
しかし、これで終わりではない。
二日ほどして、残した皮がしんなりしてきたら、4個ほどを束ねて紐でくくる。
これを雨のあたらない場所に吊るして干す。
一ヶ月干して、ようやく完成する。

畑でニンニクを掘り起こして乾かしている間、刈り取ったニンニクの葉をトマトやスイカの株元に置いてやる。
土の乾燥防止とともに、ニンニクの防虫・抗菌作用の利用だ。
剥いた皮も堆肥作りをしている囲いの中に入れてやる。
それに、今晩のオカズもできた。
ニンニクの花(茎の芯)だが、「ニンニクの芽」とか「茎ニンニク」と呼んでいる。
スーパーに並んでいるのは99%が中国産。
今晩は、豚肉と炒めて1%の国産をいただくとしよう。
貧乏ジジイにとって、ニンニクは、なんともリーズナブルな野菜なのだ。

しかしである。
今日。朝夕合わせて6時間の農作業で収穫したのは50個ほど。
ということは、600個を収穫するのに12日もかかることになる。
タマネギも大きくなってきたし、ジャガイモも収穫しなければならないし、落花生も定植しなければ……。
「おいおい、600個もニンニクを植えたのは誰やねん?」
「わい(我)や、わいや、わいですがな!」
「貧乏根性を出しくさって、ドアホめ!」
「わいがドアホということは、おんどれ(おまえ)もドアホやろ!」
自問自答をしたところで行きつくところは無い。
かくなるうえは、残業……。
一日100個を目標にするしかない。
かくして、貧乏ジジイは、貧乏暇なしになった。

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畑204 / 2025万博

2025年05月14日 | 菜園日誌

我が町会の地車(だんじり)が、9・10日に2025大阪・関西万博に出展された。
その間、出演者連絡用のライングループに楽しそうな写真が投稿されてくる。
本来なら、新しく買ったカメラで、自分も投稿していたのに……。
神経痛で行くことができなくなった。

YouTubeでも、今回の万博で目玉の総木造造りの大屋根リング(外径675m・高さ12m)の中を、賑やかに曳行されていく地車が投稿される。
本来なら、その中に自分がいたのに……。

見るまいとするのだが、自分が、その中にいるような気がして、ついつい見てしまう。
神経痛の痛みをかばいながら、ひょっこりひょっこり歩いている自分が居りはしないかと……。
ひょっとしたら、地車の上で、「河内俄の口上」を上げている自分が居りはしまいかと……。

しかしである。
その間、くよくよ、いじいじしていたわけではない。
我が畑で、万博に出演した。
今日、畑で、独りで、祭の俄の口上を上げた。

  ◇

チョーン、チョン(拍子木)。
東西、とーざい。
心が萎(しお)れりゃ、身体(からだ)が枯れる。
万博なんぞは、生きてりゃ、また来る。
河内男の心意気!
腕や背中にシップを張って、痛みに耐えつつ六日間。
本物の、大屋根リングにゃ及ばぬけれど。
外径34.5m、高さはたったの2m。
上下四方、すべてをネットで囲ったカラス除け。
去年は植えた落花生、200株すべて抜かれたけれど。
今年ゃ来てみろカラスども!
一寸たりとも隙間の無い。
ワイ(我)が自慢の大屋根リング。
来るなら来てみろカラスども。
今年の秋は、2025、ワイの畑で万博じゃーい!

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畑203 / 夏を待つ

2025年05月02日 | 菜園日誌

前回書いたごとく、例年より10日ほど早く周囲で田植えが始まった。
持ち主が水稲栽培業者に委託している田んぼだ。
我が家が貸している隣の田んぼにも水が張られた。
これで東西南北四方を水で囲まれたことになる。
どこからでも水を汲むことができるので水やりが楽になった。
ナス・トマト・キュウリ・ピーマン・トウガラシ・スイカの夏野菜の苗を定植する。
畝の準備はすでに完了しているし、自家消費用で四、五株ずつだから、たいして時間をとらない。
♪夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る♪
日向の作業で少し汗ばむ。
若葉は茂っているが、季節はすでに夏!

人参の間引き菜と食べられそうな豌豆を少し持って帰る。
今日の昼食はかき揚げ丼に決まる。
我が相方が「薩摩芋まだある?」と訊いてくる。
それで、保存用のハッポースチロールの箱の蓋を久々に開けた。
包んでいた新聞紙が少し湿っぽい。
取り出してみると芽を出しかけているではないか。
一緒に保存していた台湾山芋を見ると、びっしりと白い芽が出ている。
暑さ好きの台湾山芋(大和芋)は、五月の中旬に植えようと思っていたのに……。
おやおや、夏が待ちきれなかったのかよ!

かき揚げ丼を食べ終わって、台湾芋を持って畑へ。
15㎝ほどの穴に、芽をつぶさないようにそっと植える。
♪日和つづきの今日このごろを 心のどかに植えつつ唄う♪
蔓を伸ばすから、芽が出ればどんどん大きくなる。
そして、実にみごとな黄緑の葉で覆われる。
晩秋にトロロにして食べるのも楽しみだが、緑のカーテンで夏の陽射しを遮られた陰で休憩するのも楽しみだ。
夏野菜や台湾山芋とともに、本格的な夏を迎えよう。

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畑202 / 八十八夜の別れ霜

2025年04月29日 | 菜園日誌

この時期、週にニ、三回、総会屋やら会議やら行事やらがあって、畑仕事もままならない。
それでも、夕方には畑へ行く。
作業をしにいくのではなく、日に日にあふれていく緑を見に行くのだ。
見に行くといっても、なんらかの意思がはたらいているのではなく、なんとなく出かけて、なんとなく眺めて、ぼぉーっとしているだけ。
殊にこの季節の緑は気持ちが安らぐ。
黄緑、萌黄、ライムグリーン。
夏の濃い緑とは違って明るい緑。
調和・平和・自然・安息・新鮮・健康・生命力……。
心も体もポジティブにしてくれる。

まだ四月だというのに、周りで田植えが始まった。
例年より十日ほど早い。
八月の下旬に稲刈りをして、刈り取った株から出た穂をもう一度刈り取って、二回採りするのだという。
これも温暖化の影響なのだろう。
春が短くなり、夏が長くなった。
近くを通りかかった百姓仲間に「夏野菜の苗を露地植えしていけるかなあ?」と尋ねた。
「そんなん、一週間前に植えたで!」
「保温をしてか?」
「この暑いのに、保温はいらんやろ!」
「八十八夜(5/2)の別れ霜」という諺も過去のものになりつつある。

6600万年前の6月ある日、直径10㎞の隕石が地球に落下した。
衝撃による熱波、山林火災、津波が地球全体を襲う。
やがて、まきあげられた噴煙によって地球は暗黒の世界となり、生体系が狂い、恐竜や多くの生物は絶滅した。
そんな大量絶滅の中で、かろうじて生き残ったのがネズミやイヌ、サルどの小さな哺乳類。
地上から恐竜がいなくなったお陰で、一気に勢力を広げていく。
  ◇
その後の温暖化で、6000万年ほど経った約700万年前。
一匹のサルが木の上から地上に降りて二本脚で立った。
それを見ていた仲間のサルが「おいおい、われ、何にしてんねん?」
「立ってねん!」
「そんなんしたら親に怒られるで!」
「かまうかい! 少し背が高くなっただけで眺めがええがな」
「ほんで、立って、どないするねん?」
「歩くのやないかい! ほれよいよい。手(前脚)が自由に使えるやないかい。おまえもやってみ!」
それを見ていた積極的なサルたちも真似をしだす。
現生人類(ホモ・サピエンス)の誕生である。
二足歩行は頭を支えるのに有利なので、どんどん進化する。
しかし、真似をしなかったサルたちは今もサルのままである。

畑の椅子にどっかりと座って、いい気持でライムグリーンを見つめる。
ジャガイモの葉っぱってこんなに鮮やかだったんだ。
地球環境の変化の中で、野菜たちも必死で適応していこうとしている。
タマネギの葉はあんなに長いのに、よくもすっくりと立っているものだ。
ヒトもまた、いつまても八十八夜の別れ霜を守らずに適応、進化していかなければ。
よし、夏野菜の苗を植えてやろう。

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