河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
加えて、日々の思いをブログに移入しています。

茶話111 / ハナの季節

2024年01月31日 | よもやま話

「百姓が花粉症になるはずが無いやろ!」
花粉症で鼻をズルズルさせている友人に豪語していた。
だのに、三年前に花粉症になった。

年末ころから、朝起きると鼻水がとまらない。
目ヤニがたまる。
ああ、また酒の飲みすぎか。
耳掃除していて、プチッと傷つけた。
すぐに治るだろうと安易に構えていたがじゅくじゅくしてくる。
鼻水が止まらない、目ヤニがたまる、耳が痛い。
一ヶ月ほど辛抱して、我慢できずに掛かりつけ医に行く。
「それ、花粉症やろ!」
「百姓が花粉症になるはずは無いやろ!」と思いつつ、寝る前にもらった薬を飲む。
次の日、すべてが治っていた。

以来、この季節になると花粉情報が気になる。
今年は2月の中旬頃から。
ところが、年末から鼻水が出る。目ヤニがたまる、耳がかゆい。
おまけに「じ病」が痛い。へんな時に下痢になる。
「花粉はまだ飛んでないやろ!」と思いつつ、寝る前にもらった薬を飲む。
次の日、すべてが治っていた。

ウェザーニューズの「花粉症対策調査」によると、1月24〜25日の調査で、花粉症の方の53%がすでに花粉を感じているとか。
もはや、二人に一人の国民病。
 俳句の春の季語にもなってしまった。
 次の樹へ吹き移りゆく杉花粉 / 右城暮石
 美しき名を病みてをり花粉症 / 井上禄子
今日で一月も終わり。立春まであと少しだが、すでに春はきている。

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歴史37 / あとがき……

2024年01月29日 | 歴史

春やんがよく言っていた。
歴史というのは年表を覚えるのと違う。年表の裏にあることを語る、喋らんとあかん! 歴史みたいなもん語ってなんぼや! 喋ったもの勝ちや!
学問としての歴史学は、古文書・記録・史書などの文献史料を読んで、一つの歴史像を構成することにある。
春やんは、文献資料など関係なしに、一つの歴史像を構成してしまう。
それが出来たのは、喜志村という舞台があったからだ。
ええか、歴史というのは、その当時の地理を頭に入れて考えんとあかん
喜志村という地理を舞台にして、楠正成を、吉田松陰を、関係する人々を動かす演出家、監督だったのだ。

学校で習う日本史は政治史の色合いが濃い。
そのため、庶民が出てくることは少ないし、文化や信仰は貴族や武士、僧侶のものだ。
庶民の文化や信仰に光があてられたのは、1914年(大正3)に柳田国男らによって日本民俗学が創始されてからだ。
たかだか100年足らず。日本史学が文献だけでなく、絵画や文学、遺跡や遺物、民俗行事、地図や地名などを参考にしだしたのは最近のことである。
しかし、春やんの歴史観は元から民俗学の色合いが濃い。
だから、日本史からすれば奇想天外だが、その地で生活している名もない庶民の文化や信仰がある。

あるとき、春やんにたずねた。
「明治時代と江戸時代は、どっちがよかったと思う?」
そら江戸時代や! 明治になってから歴史に大きな穴が空いてしまいよった!
廃仏毀釈でお寺の歴史が散逸し、神社を中心とする臣民教育で土着的な伝統芸能が否定された。
戦後になって神社による統制がなくなると、軍事的なものの排除(神社に非は無いが)からか、明治から戦前のことに関しては記録が表に出てこない。
歴史、民俗学者も、および腰になって歴史の空白を埋めようとしない。
ましてや、小さな神社仏閣は個人営業でもあるから詳しいことはわからなくなる。
ええか、歴史をつくったんは信長でも秀吉でもない! わしら一般庶民や! せやから、わしみたいなオッサンが語る歴史こそが本真もんや!

そう豪語した春やんの歴史の話は「歴史36/祭りじゃ俄じゃ」で終わる。
とはいえ、春やんが残してくれた「覚書帖」がある。
その中には、紫式部や家康や龍馬が喜志村に来ている。
「春やん、なんぼなんでも無理があるんとちがうか!」
あったれ! そんなんもん喋ったもの勝ちや!
というわけで、タイトルは「あとがき」としたが、「中締め」に変更する。

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畑128 / 面白

2024年01月27日 | 菜園日誌

孫に会うために田舎から東京に出て来たお婆さん。
土産を持って行ってやろうと、駅前のミスタードーナッツへ入った。
ショーケースを指さしながら「これと、これと……」
店員が「名前をお願いします」
「はい、山田ヨネです!」
「お婆さんの名前ではなく、ドーナッツの名前をお願いします」
「ええっとー、オールドファッション……」
「おいくつですか?」
「はい、100歳です!」

「おもしろい」を漢字で「面白い」と書くのは当て字だと思っていた。
しかし、ちゃんとした意味のある漢字だった。
日本神話の「天岩戸隠れ」で、天照大神を天岩戸から引っ張り出して、世界に再び明かりが戻った時、八百万の神々が喜びの声をあげて舞い踊る。
 あはれ あなおもしろ  あなたのし  あなさやけ  おけ おけ
漢字にして意味を補う。
 天晴れ あな面白 あな手伸し あな清け 飫け 飫け
(天が晴れた ああ皆の顔が白く輝く ああ手を伸ばして踊りたい ああ竹もさやさや音をたてろ さあ飲め飲め)
明るさが戻って皆の顔が白くはっきりと見えるという現象が「面白」の原義だった。

強烈寒波で畑に行くのも億劫だったが、今日は穏やかなので久々に畑へ。
放ったらかしの白菜が実っている。
あはれ あなおもしろ  あなたのし」と念仏のように唱える。
白菜だって、おだてだれればうれしいだろうと再び念仏。
あはれ あなおもしろ  あなたのし あなうれし」 
こっちもうれしくなって元気をもらったので、感謝の気持ちで唄いながら収穫する。
 ♪あはれ あなおもしろ  あなたのし あなうれし ありがたし♪ 
収穫したハクサイが合いの手を入れてくれた!
 ♪ああ~ひゃくさい、ひゃくさい~♪

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茶話110 / ああ……

2024年01月26日 | よもやま話

ワープロを使いだしたのは四十数年前の1980年頃。
当時は5.25インチフロッピー(1.6MB)という直径13センチほどの丸い板に記憶させていた。
それが、3.5インチフロッピーへ置き換わったころからワープロ専用機を使いだした。
1995年にWindows 95のパソコンが出てからはOfficeのワードになった。
この四十数年間、自慢ではないが、ずうっと「かな入力」を使っている。

ある調査では日本人の約90%がローマ字入力、かな入力はわずか約10%だという。
なんとも嘆かわしいことだ。
英語ならローマ字入力の方が速いのが当然だ。
「good morning」はそのまんまローマ字で打てばいい。
だから、日本人は、日本語の「おはよう」を、そのまんま平仮名4文字で打てばいいのだ。
だのになぜ「ohayou」と6文字のローマ字にしてしまうのか。

若い者が言う「そんなんは慣れの問題で個人が入力しやすいのを使ったらエエんとちがいますか?」
そらそうだが、入力の速さを問題にしているのではなく、「おはよう」と「ohayou」を知覚する大脳の前頭葉前半部の思考の違いを言っているのだ。
「そんなん、結果としては『おはよう』と画面に出てくるのやから関係おませんやろ!」
そらそうだが、お前たちもスマホでは「フリック入力」で平仮名で入力してるではないか。
「そんなん言うなら言いますが、僕はキーボードと同じフルキー入力してます!」
そらそう……か、そんなんも有るんや……!
かくして、かな入力のニホン人間は、ニホンオオカミ、ニホンカワウソのごとく、絶滅危惧種になっていく。
ああ、なんともなげかわしい……。

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茶話109 / 漢字

2024年01月24日 | よもやま話

考物(こうぶつ=なぞなぞ)にこんなのがある。
 問: 大酒飲みの息子を親父が呼んだ。【魚の種類を五つ答えよ】
答えは「さけ、さめ、たら、こち、こい」となる。
ああ、なるほどと感心しているうちに、五匹の魚を漢字で書けるかと、新たな疑問がおこる。
日頃、ワープロで文章を打っていると漢字をどんどん忘れる。

インターネットでイチゴについてを調べていると、こんなのに出くわした。
サクラと同様に、リンゴとレモンもバラ科だ
さて、カタカナを漢字で書けるか?
サクラの旧字体を「二貝の女が木にかかる=櫻」と分解して覚えたのと同様にして、学生時代は覚えていた。
しかし、今はそれすら忘れてしまった。

学生時代に「俺は、ユウウツのウツを漢字で書けるんやぞ!」と自慢する奴がいた。
誰彼構わずに、やたら自慢する本当に嫌な奴だった。
そして、こうして覚えるのだと、何かの本で読んだのだろう暗記法を、これまた自慢げに無理やり教えてくれる。
憂鬱なリンカーン(林・缶)は(ワ)、アメリカン(米)コーヒーを三杯飲んだ
本当に憂鬱な奴だったが、なぜか今でも暗記法を覚えている。

漢字が書けるにこしたことはない。
しかし、この歳になると「鮭、鮫、鱈、鯒、鯉」や「桜と同様に、林檎と檸檬も薔薇科だ」が書けなくとも大して困らない。
ボケ防止に、都々逸で楽しんでいるぐらいがちょうどよい。
 松という字を分解すれば 公(きみ)と木(ぼく)との差し向かい
 忍という字は刃に心 心なければ忍ばれぬ
 四角四面に十の字入れて 力という字で国をもつ 
 平仮名くの字に片仮名ノの字 一という字で家をもつ 
※絵は竹久夢二(国立国会図書館デジタル)

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