河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
加えて、日々の思いをブログに移入しています。

旅19 / 老いの小文 六の③

2025年04月02日 | 旅日記

※①~②のつづきです。旅17から読んでください。

岡山県は、瀬戸内海と中国山地に囲まれ、温暖で晴れの日が多いことから「晴れの国」をキャッチフレーズにしている。
なのだが、過去5度来たうちの半分以上が、晴れるはずなのに雨だった。
だから、「晴れの国」ではなく「ハズの国」だと愚痴っていた。
そこで、昨年の秋の旅からは天気予報に合わせて日程を組むことにした。
今回も同様に日程を組んだので、見事な晴れの国の三日目となった。
午前中は、昨日立てた畝に、私が持って来た里芋と菊芋を植えた。
秋に来た時の楽しみにするためである。


農作業を早々に切り上げて早い昼食をとる。
スーパーで買った100円ラーメン。
オジン二人の食事は実に質素だ。
酒の肴を含めても、三日分でしめて3000円。
しかし、なににも勝るご馳走である。
昼食を終えて、すぐに家を出る。
桜が咲いてないのなら梅にしようというので、津山の梅の里公園に向かう。
   ◇
よく整備された山あいの道を縫うようにして進む。
ぽつんぽつんと山桜が咲いているが、肝心の染井吉野は咲いていない。
ふと嫌な予感がよぎる。
ひょっとして、梅が咲き誇っているはずなのに……まさか散っていたとは……。
そのまさかが現実になるのが、「ハズの国 岡山」なのだ。

人里をを抜けると急に視界が開け、広い駐車場があり、その奥に小高い丘がある。
まさか……。
「梅まつり」と書かれた赤い幟(のぼり)が、あちこちではためいている。
そして、その幟が見えないほどに梅の花が覆っている。
まさか……咲いているとは!?
嫌な予感が外れた喜びよりも先に驚く。
   ◇
約4haの丘陵地に2000本の梅の木が咲き誇っている。
今年は、どこも梅の開花が遅く、この公園もまだ七分咲き。
梅の花の香を味わいながら遊歩道を上るうちに、ようやく、嫌な予感が外れた喜びがこみあげてきた。
 ♪梅は咲いたか桜はまだかいな
 柳なよなよ風次第
 山吹や浮気で色ぱうかり しょんがいな~♪ 
遊歩道を上りながら、端唄の一つでも口ずさみたい気分になる。

津山市街に出て、奥津温泉に向かう。
日帰り温泉に入るはずなのに……定休日だった……去年の秋に来たときのリベンジである。
なだらかに流れる吉井川が急流になるにつれて、またしても嫌な予感がよぎる。
まさか……臨時休業では……。
その時はその時、ブログのネタにすればいい。
おかしな期待が湧いてくる。
しかし、その期待は外れた。
開店していた。
残念なような嬉しいような気持ちで、広い湯船につかった。

※④につづく

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旅18 / 老いの小文 六の②

2025年04月01日 | 旅日記

※①のつづきです。旅17から読んでください。

川岸に植えられているソメイヨシノはまだ蕾だが、家々の庭に植えられている他の品種は花を付けている。
そんな桜を車窓から追いながら、和気から吉井川沿いを走り、4時頃に備前の国の友人宅に着く。
荷物を下ろして庭に出る。
半年ぶりに見る懐かしい山々。

山際の冬木立が老人のハゲた頭の産毛のようで、山の端と空の境が定かではない。
山桜が咲いているのだろうが、冬木と同化してよくわからない。
少し歩くとサクランボの花が満開。
これも桜に違いないと写真を撮る。
ひゅーっと風が吹いて、ぶるっと震えたので家に戻る。
我が嫁はんへの「到着こメール」に、さっきのサクランボの写真を添えて送る。
友人と無事到着の乾杯をし、そのままオジン二人の家飲みの宴となる。

翌朝、家々に引かれた防災無線の音楽で目が覚める。
7時が、グリーグ作曲ペール・ギュント組曲の『』。
12時が、シューベルトの『野ばら』。
17時が、童謡の『夕焼け小焼け』。
その他に9時と15時に遠くでサイレンが鳴るので、この山里では時計は必要ない。
のんびりとした老人の時間だけが流れる山里である。

翌朝は、雲一つとてない晴天だが、昨夜に雨が降ったので畑に出ることはできない。
まずは、近くの山に美味しい湧水があるというので汲みに行き、ペットボトル三本汲んで山を下りる。
次に、無農薬、無肥料の自然農法を豪語する友人に、歳をとったのだから無理しないで除草剤と化学肥料を使うべきだと説得し、そそれを買いに美作まで走る。
買って帰ってしばらくすると♪童は見ーたり、野中のバーラ♪の防災無線が流れる。
昨日、来る途中にスーパーで買った、我がお気に入りの岡山の100円うどんに、酒の肴に買ったゴボ天の残りを入れて昼食。
なんとも安上がりで、なににも増してグルメなランチである。
テレビのニュースで、の岡山の桜の開花宣言を伝えている。
 桜咲くの報聴きすするうどんかな

昼からは、いよいよ畑へ。
草ぼうぼうの友人の畑に見かねたのだろうか。
隣の畑のKさんが、トラクターで1アールほど耕してくれたという。
そこに畝を立てるのが、今回の旅の目的だ。
大阪では刃が長方形で薄い一般的な平鍬を使うが、この地の平鍬は肉厚で刃が長く、刃先が少し尖っている。
チャップリンの履いている靴に柄を付けたような鍬である。
刃と柄の角度も浅く、重いし、かなり勝手が違う。
普通の平鍬は、手前に引きずるようにして土を削り、刃に土を乗せて畝に置くのだが、刃先が鋭角なので引きずれない。
二畝目を立てて、ようやく解った。
刃先を少し持ち上げ、地面に少し打ち付ける。
刃先がとがっているし重いので、ざくりと土の中に入る。
そして、そのまま引き寄せると、かなりの勢いで土が削れる。
なるほど、段々畑や山でも使えるように工夫されているのだ。
さすがは備中鍬を発明した土地だと感心した。
 山里や 土砕くごと春耕す

まことにうららかな春の陽を浴び、一枚一枚と服を脱いでいく。
歳が歳ゆえに何度も休憩を重ね、春を味わいながら十ほどの畝を立てる。
立て終わって、一息ついていると、♪夕焼ーけ 小焼けーの赤とんぼ♪の防災無線が流れる。
なんとものどかで、なんとものんびりした日が過ぎた。
※③につづく

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旅17 / 老いの小文 六の①

2025年03月31日 | 旅日記

今年こそ満開の桜を観に来いよと、備前の国に家を持つ友人が誘ってくれた。
予報では26日が開花で、満開は四月の上旬。
だが、四月は何かと所用があり日程が合わない。
ならば、満開の桜は諦めて、せめて天気の良い日にと思い、三月の下旬に備前の旅に出ることになった。

弥生も末の七日。
昼前に、友人が堺の実家から車で迎えに来てくれた。
備前の土産にと用意していたキャベツやレタスの苗を積み、いつも通り西国街道(山陽路)をひた走る。
途中、明石の宿で弁当を買おうとするも、昼遅く、お握り二個と沢庵の入った弁当しかない。
まあ、播磨の国の美味しい米を食すのも悪くはあるまいと購入する。
ベンチに座って弁当に張られたシールを見る。
播磨の米のはずだと思って買ったのに、製造は「京都府城陽市」とある。備前の旅は「~のはずなのに」が、なぜかよくある。
桜が咲いているはずなのに……散っていた。
雲海を見ることができるはずなのに……霧が深すぎて見えない。
日帰り温泉に入ることができるはずなのに……定休日であった。
などなどと、とことん裏切られてきた。
今回も、なんとなく幸先がよくない。
まあよかろうと、京都にいるつもりで握りをほおばる。

相生でバイパスを下り、赤穂の「有年」というという地に入る。
備前の旅は今回で六度目で、その都度友人になんと読むのか尋ねるのだが覚えられない。。
ひたすらハンドルを握っている友人が、その質問は聞き飽きたという調子で「うね」と答える。
畑で土を盛り上げて作る畝(うね)の意味で、小高い山々が続いているので名付けられたという。
和同6年(713年)に発せられた好事二字令(地名は漢字二字に統一せよという勅令)によるものだろう。
しかし、なぜ、こんなまぎらわしい漢字を当てたのだろうか?

友人の親戚にあたる源左衛門という人が、沖田という古風な村の村長をしていて、家を新築したので見に行くことになった。
行ってみて驚いた。
古風どころか弥生時代後期とみられる竪穴住居がいくつもある。
その中のひときわ目立つ真新しい住居から、80歳を超えたかと思われる源左衛門さんが出て来た。
「ようおいでくれやました。お茶でも飲んでいってくれてや!」とおっしゃるので、家の中に入る。
地面を掘っただけの囲炉裏があって、大きな鍋が吊るしてあり、ぐらぐらと湯が湧いている。
急須に日本茶を淹れるのだろうと思っていたら、源左衛門さんはドリッパーを持ってきて、コーヒーを淹れてくれた。
まだ咲きかけの桜の木の下で、竪穴住居や高床式倉庫を眺めながら熱いコーヒーをすする。
うららかな春陽を受けて、今は古代なのか現代なのか、頭がぼぉーっとしてくる。
何千年もの年を有して、こんな生活があるのだろう……。
「うね」という地名に「有年」という漢字を当てた意味が、ようやく解った。
「往(い)にに、また寄ってくれてや。そんころには桜が満開やろ」という源左衛門さんの言葉をあとにして有年の地を離れた。

※②に続く

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畑199 / 畑の法則

2025年03月28日 | 菜園日誌

孫が遊びに来て「今年もイチゴをいっぱい食べさせてね」と言う。
……。
去年の春のカラスに落花生の苗200株を全部引き抜かれた事件で、イチゴの苗を採るのを忘れてしまった。
夏に思い出して、あちこちに生えているのをかき集めて20株ほど苗床に植えておいた。
ところが、秋に定植しなければならないのに、アライグマに落花生を食べられた騒動で忘れてしまったのだ。
さて、どうしよう……、自分のせいではなくカラスとアライグマのせいだからと責任転嫁して、特にやらなくてもいいだろうと勝手に理由をつくり、どうにでもなれと居直って、結局、放ったらかしにしてしまった。
随分と長く考えたあげくだったのに……。

「今年もイチゴをいっぱい食べさせてね」だなんて可愛いこと言われると……。
やるしかない!
〈人は、他者から期待されると、期待に沿った成果を出す〉というピグマリオン効果というやつだ。
孫の期待を果たそうと、短い畝を三本たてて、黒のビニールでマルチングをする。
これで午前中の作業は終了。
昼食を摂って、朝ドラの再放送を視て、早々に畑へ。
だが、ここからが嫌な作業になる。
夏から放ったらかしにしていたイチゴを一つ一つシャベルで掘り起こし、根を崩さないように綺麗に掃除して、5、6株ずつ畝まで運んで、穴を掘って水を入れて植え付けていくという、年寄りにとっては苦手な力の要る作業になる。
前回書いた〈仕事を後回しにすると、本来の作業の倍の労力・プレッシャーになる〉というエメットの法則の確たる例。それに、植え時期が外れているのに大丈夫かとという疑念で、なんとも腰が重い。
しかし、こんなときは、ぐずぐず考える前に、1・2・3・4……ドカンーン!
5秒数える前に、シャベルを手にして、イチゴの株を掘りに行く。
〈しなければならない嫌な仕事をどうしようかと5秒以上考えると、人はやる気のスイッチが入らなくなる〉という「5秒の法則(5秒ルール)」に従う。
それに加えて、〈褒美があれば、人は働く〉というエンハンシング効果につられて作業完了。
シャツ一枚になれるような暑い日に、しんどい作業を仕終えた満足感。
家に帰って飲む冷たいビールのなんとも美味いことよ!
明日から、岡山へ「老いの小文」の旅に出る。
これもエンハンシング効果。
根張りが悪くて実ができなかったら、カラスに食べられたとでも言えばいい。
先に言い訳を考えながら旅に出る。

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畑198 / エメットの法則

2025年03月26日 | 菜園日誌

暖かくなったので、朝の7時に畑へ。
さて、なにしよう?
やるべきことが無いのではなくて、やるべきことがたくさん有りすぎる。
そりゃそうだ。
3月になっても寒かったし、たまに暖かい日があっても、健気に咲く花を眺めているだけだったんだから……。
さーてと……畑を見回す。
そして、最も後回しにしてしまうであろう作業をすることにしている。

仕事を後回しにしてしまうと、忘れてしまうかもしれないし、仕事に追われてしまうかもしれない。
結果として労力が倍になってしまう可能性がある。
経営コンサルタントのリタ・エメットという人が著書で提唱したので、「エメットの法則」という。
法則なんぞと大げさに言わなくったって、そんなの、子どものころからわかってる。
夏休みの宿題を後回しにして、どんなに叱られ、必死になったことか。

畑の片隅にあるミカン・イチジク・ブルーベーリーの果樹コーナ。
収穫が終わると、目が届かないので放ったらかしになる。
冬の間に一面に蔓延(はびこ)った冬草を抜く。
そして、剪定。
午前中かけて完了。
雑草も気持ちも、すつきり。
今年も宜しくお願いしますと肥料を蒔く。
夏休みの宿題を七月中にやり終えたような達成感。
心行くまで今日を生きた。
エメットの法則も、まんざらすてたものではない。

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