河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
加えて、日々の思いをブログに移入しています。

畑200 / 種まき

2025年04月04日 | 菜園日誌

昨日3日は、一粒の種が万倍に育つという「一粒万倍日」。
加えて、黄金色の毛が金運をもたすという「寅の日」。
もう一つおまけに、太陽が隅々まで明るく照らしてくれて、すべての物事がうまくいくという「大明日」。
こんな大吉日に、じっとしていては運を逃す。
朝の早から畑へ行って、蒔いた蒔いた蒔きました。
スイカにキュウリ、カボチャにマッカ。
ダイコン、ニンジン、インゲン、ゴーヤ。
縁起担いで、ソーリャソラソラお祭りだ!

数日前に70歳をむかえた。
「人生七十古来稀なり」。
中国は盛唐期の詩人、杜甫の漢詩「曲江」の中の一句が「古希」の出典となった。
 朝(ちょう)より回(かへ)りて日日(ひび)春衣(しゅんい)を典(てん)し
 毎日 江頭(こうとう)に酔いを尽くして帰る
 酒債は尋常 行く処に有り
 人生七十 古来稀(まれ)なり
 花を穿(うが)つ蝶々は深深(しんしん)として見え
 水に点ずる蜻蜓(せいちょう)は款款(かんかん)として飛ぶ
 伝語(でんご)す 風光は共に流転
 暫時(ざんじ)相(あひ)賞して相(あひ)違(たが)ふこと莫(なか)れと。

かなり意訳だが、杜甫の気持ちと自分の気持ちを照らし合わせた。

今日の日終えて酒を酌む、その日暮らしの年金生活
いずれ逝くときゃ独りじゃないか、ついぞついぞの酒に酔う
明日はままよで、酒屋のツケもままならない
人生七十 古来稀なり
蜜を求めて蝶が舞う、花の向こうでひらひらと
水面をかすめてトンボ飛ぶ、のんびり長閑にすいすいと
風よ光よ生あるものよ、明日は明日の風が吹く
あるがまんまにその日を生きて、あるがまんまを喜び合おう

杜甫が飲んでいる酒は、王様に敗戦の責任を負わされた鬱憤を晴らすためのヤケ酒である。
だから、「人生七十 古来稀なり」は、「70歳まで生きるなんて、昔からめったにあるまい」の意になる。
だからこそ思うがままに生きてやれ……という、開き直りの愚痴になる。
杜甫が47歳の時だ。
その後、杜甫は七十を迎えることなく58歳で亡くなっている。
  ◆
「人生七十」など当たり前の時代になった。
さしずめ、今なら「人生百十」といったところか。
どうせ人生、長く生きても110年。
贅沢な生活など望むべくもないが、せめて蝶々やとんぼのように、気持ちだけはのんびりとありたいものだ。
開き直れば、少しはいいことあるかもしれない。
「人生七十」は、開き直って新たなスタートの種を蒔く歳なのだ。

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旅21 / 老いの小文 六の④

2025年04月03日 | 旅日記

※①~③のつづきです。旅17から読んでください。

備前の旅も四日目、大阪に帰る日だ。
昼前に出ようと友人が言うので、それまで周匝の町をぶらぶらしてくるとウォーキングに出た。
山沿いに町まで向かう。
途中、道の真ん中に大きな樹がある。
石碑があって、髭が生えたような文字から「南無妙法蓮華経」だと読み取れる。
なにを祀っているのだろう?

近くで80歳くらいのお爺さんが竹ほうきで落ち葉を掃除している。
尋ねてみようと「おはようございます」と声をかける。
「でぇれぇ、さみーに、どけーいなれる?」
なんとなく解ったので、「町まで散歩です」と応える。
「ほーけ。わちゃー、歳とって、なーんもできん厄っけー者じゃーと、みながそげーなことゆーて、えれーいらまかしょる。せーじゃけー、厄っけー者じゃー言われんよーに、ちーたー掃除ぐれえーしよお思ーちゃって、こがーなこといるんじゃ。まーぼつぼつすましていのちゃ思ーてよ」
句読点無しにしゃべられると分からない。
適当に「たいへんですね」と言って、「この樹は、なぜ道の真ん中にあるのですか?」と尋ねた。
「◎△$♪83×¥●&%ね○!※ん□◇○▼※す△☆▲※ん◎★●で#△▲☆る=¥!けと゛>♂×よ&◎♯く£◎し△$♪×¥●ら&%#ん?!」
「そうなんですか」と適当にあいづちうって、礼を言って立ち去った。
後で友人に訊いたら、処刑場があった場所だという。


国道を越えると、周匝の古い街並みに出た。
「すさい」と読む超難読地名。
寛永9年(1632)に藩主池田光政が、家老の片桐長明に領地を与えて陣屋を構えさせた。
支配はすべて任され、周匝藩ともよばれたほどの、ちょっとした城下町になった。
なんとも古めかしい神社があって、その鳥居を出ると、ボーリングでもしたくなるような真っすぐな道が南に2キロほどつづいている。
帰って調べると、北へ50mほど行けば陣屋跡と八幡宮があるのだが、真っすぐな道にひかれて南へ向かった。
かつては、道沿いに武家屋敷や商家が立ち並んでいたのだろうが、今は新しい家が多く、街道という雰囲気はない。
300mほど歩いて、横に逸れ、国道に出て、もと来た道で友人宅に戻った。
7938歩、本日のウォーキングノルマを達成した。

11時前に友人宅を出発。
「つるや」という弁当屋で筍御飯弁当を買って、①で書いた有年の源左衛門さんの村に向かう。
車窓から見える川岸に植えられたソメイヨシノは、ちらほらと咲きだしている。
河原に生えた柳の鮮やかな緑に堪能しながら備前を離れ、播磨へと向かう。
有年の源左衛門さんの竪穴住居には昼過ぎに着いた。
岡山にいる間、何度もテレビで視た「 おかやま桃子」という白桃プリンのCМが感動するほど素晴らしかった。
CМが素晴らしいのだから、さぞかしプリンも美味しいにちがいないと二つ買った。
その一つを、新築の家から出て来た源左衛門さんに土産だと手渡す。
「こらーこら、けっこうなものを。おおきに、おおきに。さぶうものう暑うものうて、お天気でよかったですなぁ。ゆっくりと休んでいってくれてや」
来たときと同じ優しい言葉に触れて、来たときとは、うってかわった満開の桜の下に筵(むしろ)を敷いてもらって弁当を食べる。
来たときと同じようにコーヒーを淹れてもらい、古代と現代が入り混じったコーヒーを飲む。
桜の花とコントラストを成している青い空をぼぉーっと眺めて、この四日間をふりかえる。
「~のはずなのに」と、今までにさんざん期待を裏切られてきた「ハズの国 岡山」だったが、今回に限っては「~はず」は無かった。
なんとも有難いことよと思わず手を合わせた。

高速道路も渋滞することなく、実にスムーズに我が家に到着した。
友と別れて家に入る。
ちょうど孫が来ていたので、我が家の土産用に買った「おかやま桃子」をあげる。
嬉しそうに蓋をめくり、口に入れる。
そして、「いらんわ!」とテーブルの上に置いた。
美味しいはずなのに……、子どもの口には合わないのだろうか?
それより、畑が気になるので、着替えもせずに畑に向かう。
暑さで枯れないようにビニールハウスのビニールをめくって換気したまま大阪をたった。
それでも、暑さにやられているかもしれないかと心配だったのだ。
ハウスの戸を開けて中に入る。
みな青々としている……。
しかし……やられた!

エンドウがボキボキに折られ、豆を食べたあとの莢(さや)があちこちに散らばっている。
換気した隙間が広すぎて、カラスが進入したのだ……。
一足早く、美味しい豆ご飯を食べるはずだったのに……。

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旅20 / 老いの小文 六の③

2025年04月02日 | 旅日記

※①~②のつづきです。旅17から読んでください。

岡山県は、瀬戸内海と中国山地に囲まれ、温暖で晴れの日が多いことから「晴れの国」をキャッチフレーズにしている。
なのだが、過去5度来たうちの半分以上が、晴れるはずなのに雨だった。
だから、「晴れの国」ではなく「ハズの国」だと愚痴っていた。
そこで、昨年の秋の旅からは天気予報に合わせて日程を組むことにした。
今回も同様に日程を組んだので、見事な晴れの国の三日目となった。
午前中は、昨日立てた畝に、私が持って来た里芋と菊芋を植えた。
秋に来た時の楽しみにするためである。


農作業を早々に切り上げて早い昼食をとる。
スーパーで買った100円ラーメン。
オジン二人の食事は実に質素だ。
酒の肴を含めても、三日分でしめて3000円。
しかし、なににも勝るご馳走である。
昼食を終えて、すぐに家を出る。
桜が咲いてないのなら梅にしようというので、津山の梅の里公園に向かう。
   ◇
よく整備された山あいの道を縫うようにして進む。
ぽつんぽつんと山桜が咲いているが、肝心の染井吉野は咲いていない。
ふと嫌な予感がよぎる。
ひょっとして、梅が咲き誇っているはずなのに……まさか散っていたとは……。
そのまさかが現実になるのが、「ハズの国 岡山」なのだ。

人里をを抜けると急に視界が開け、広い駐車場があり、その奥に小高い丘がある。
まさか……。
「梅まつり」と書かれた赤い幟(のぼり)が、あちこちではためいている。
そして、その幟が見えないほどに梅の花が覆っている。
まさか……咲いているとは!?
嫌な予感が外れた喜びよりも先に驚く。
   ◇
約4haの丘陵地に2000本の梅の木が咲き誇っている。
今年は、どこも梅の開花が遅く、この公園もまだ七分咲き。
梅の花の香を味わいながら遊歩道を上るうちに、ようやく、嫌な予感が外れた喜びがこみあげてきた。
 ♪梅は咲いたか桜はまだかいな
 柳なよなよ風次第
 山吹や浮気で色ぱうかり しょんがいな~♪ 
遊歩道を上りながら、端唄の一つでも口ずさみたい気分になる。

津山市街に出て、奥津温泉に向かう。
日帰り温泉に入るはずなのに……定休日だった……去年の秋に来たときのリベンジである。
なだらかに流れる吉井川が急流になるにつれて、またしても嫌な予感がよぎる。
まさか……臨時休業では……。
その時はその時、ブログのネタにすればいい。
おかしな期待が湧いてくる。
しかし、その期待は外れた。
開店していた。
残念なような嬉しいような気持ちで、広い湯船につかった。

※④につづく

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旅19 / 老いの小文 六の②

2025年04月01日 | 旅日記

※①のつづきです。旅17から読んでください。

川岸に植えられているソメイヨシノはまだ蕾だが、家々の庭に植えられている他の品種は花を付けている。
そんな桜を車窓から追いながら、和気から吉井川沿いを走り、4時頃に備前の国の友人宅に着く。
荷物を下ろして庭に出る。
半年ぶりに見る懐かしい山々。

山際の冬木立が老人のハゲた頭の産毛のようで、山の端と空の境が定かではない。
山桜が咲いているのだろうが、冬木と同化してよくわからない。
少し歩くとサクランボの花が満開。
これも桜に違いないと写真を撮る。
ひゅーっと風が吹いて、ぶるっと震えたので家に戻る。
我が嫁はんへの「到着こメール」に、さっきのサクランボの写真を添えて送る。
友人と無事到着の乾杯をし、そのままオジン二人の家飲みの宴となる。

翌朝、家々に引かれた防災無線の音楽で目が覚める。
7時が、グリーグ作曲ペール・ギュント組曲の『』。
12時が、シューベルトの『野ばら』。
17時が、童謡の『夕焼け小焼け』。
その他に9時と15時に遠くでサイレンが鳴るので、この山里では時計は必要ない。
のんびりとした老人の時間だけが流れる山里である。

翌朝は、雲一つとてない晴天だが、昨夜に雨が降ったので畑に出ることはできない。
まずは、近くの山に美味しい湧水があるというので汲みに行き、ペットボトル三本汲んで山を下りる。
次に、無農薬、無肥料の自然農法を豪語する友人に、歳をとったのだから無理しないで除草剤と化学肥料を使うべきだと説得し、そそれを買いに美作まで走る。
買って帰ってしばらくすると♪童は見ーたり、野中のバーラ♪の防災無線が流れる。
昨日、来る途中にスーパーで買った、我がお気に入りの岡山の100円うどんに、酒の肴に買ったゴボ天の残りを入れて昼食。
なんとも安上がりで、なににも増してグルメなランチである。
テレビのニュースで、の岡山の桜の開花宣言を伝えている。
 桜咲くの報聴きすするうどんかな

昼からは、いよいよ畑へ。
草ぼうぼうの友人の畑に見かねたのだろうか。
隣の畑のKさんが、トラクターで1アールほど耕してくれたという。
そこに畝を立てるのが、今回の旅の目的だ。
大阪では刃が長方形で薄い一般的な平鍬を使うが、この地の平鍬は肉厚で刃が長く、刃先が少し尖っている。
チャップリンの履いている靴に柄を付けたような鍬である。
刃と柄の角度も浅く、重いし、かなり勝手が違う。
普通の平鍬は、手前に引きずるようにして土を削り、刃に土を乗せて畝に置くのだが、刃先が鋭角なので引きずれない。
二畝目を立てて、ようやく解った。
刃先を少し持ち上げ、地面に少し打ち付ける。
刃先がとがっているし重いので、ざくりと土の中に入る。
そして、そのまま引き寄せると、かなりの勢いで土が削れる。
なるほど、段々畑や山でも使えるように工夫されているのだ。
さすがは備中鍬を発明した土地だと感心した。
 山里や 土砕くごと春耕す

まことにうららかな春の陽を浴び、一枚一枚と服を脱いでいく。
歳が歳ゆえに何度も休憩を重ね、春を味わいながら十ほどの畝を立てる。
立て終わって、一息ついていると、♪夕焼ーけ 小焼けーの赤とんぼ♪の防災無線が流れる。
なんとものどかで、なんとものんびりした日が過ぎた。
※③につづく

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旅18 / 老いの小文 六の①

2025年03月31日 | 旅日記

今年こそ満開の桜を観に来いよと、備前の国に家を持つ友人が誘ってくれた。
予報では26日が開花で、満開は四月の上旬。
だが、四月は何かと所用があり日程が合わない。
ならば、満開の桜は諦めて、せめて天気の良い日にと思い、三月の下旬に備前の旅に出ることになった。

弥生も末の七日。
昼前に、友人が堺の実家から車で迎えに来てくれた。
備前の土産にと用意していたキャベツやレタスの苗を積み、いつも通り西国街道(山陽路)をひた走る。
途中、明石の宿で弁当を買おうとするも、昼遅く、お握り二個と沢庵の入った弁当しかない。
まあ、播磨の国の美味しい米を食すのも悪くはあるまいと購入する。
ベンチに座って弁当に張られたシールを見る。
播磨の米のはずだと思って買ったのに、製造は「京都府城陽市」とある。備前の旅は「~のはずなのに」が、なぜかよくある。
桜が咲いているはずなのに……散っていた。
雲海を見ることができるはずなのに……霧が深すぎて見えない。
日帰り温泉に入ることができるはずなのに……定休日であった。
などなどと、とことん裏切られてきた。
今回も、なんとなく幸先がよくない。
まあよかろうと、京都にいるつもりで握りをほおばる。

相生でバイパスを下り、赤穂の「有年」というという地に入る。
備前の旅は今回で六度目で、その都度友人になんと読むのか尋ねるのだが覚えられない。。
ひたすらハンドルを握っている友人が、その質問は聞き飽きたという調子で「うね」と答える。
畑で土を盛り上げて作る畝(うね)の意味で、小高い山々が続いているので名付けられたという。
和同6年(713年)に発せられた好事二字令(地名は漢字二字に統一せよという勅令)によるものだろう。
しかし、なぜ、こんなまぎらわしい漢字を当てたのだろうか?

友人の親戚にあたる源左衛門という人が、沖田という古風な村の村長をしていて、家を新築したので見に行くことになった。
行ってみて驚いた。
古風どころか弥生時代後期とみられる竪穴住居がいくつもある。
その中のひときわ目立つ真新しい住居から、80歳を超えたかと思われる源左衛門さんが出て来た。
「ようおいでくれやました。お茶でも飲んでいってくれてや!」とおっしゃるので、家の中に入る。
地面を掘っただけの囲炉裏があって、大きな鍋が吊るしてあり、ぐらぐらと湯が湧いている。
急須に日本茶を淹れるのだろうと思っていたら、源左衛門さんはドリッパーを持ってきて、コーヒーを淹れてくれた。
まだ咲きかけの桜の木の下で、竪穴住居や高床式倉庫を眺めながら熱いコーヒーをすする。
うららかな春陽を受けて、今は古代なのか現代なのか、頭がぼぉーっとしてくる。
何千年もの年を有して、こんな生活があるのだろう……。
「うね」という地名に「有年」という漢字を当てた意味が、ようやく解った。
「往(い)にに、また寄ってくれてや。そんころには桜が満開やろ」という源左衛門さんの言葉をあとにして有年の地を離れた。

※②に続く

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