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河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
加えて、日々の思いをブログに移入しています。

只今、ブログの引っ越し中

2025年05月28日 | よもやま話

ブログの引っ越しを取り合えず終えたが、レイアウトが思い通りにならないやら、タグ付けまで引き継いてくれないなど、どうもしっくりこない。
gooブログは「誰でも簡単」が売り物だったが、その通り簡単だったとつくづく思う。
そこで、ライブドアに加えて、もう一つ楽天にもブログを開いた。
こちらは、引っ越しではなく、過去の記事のリメイク版にした。
過去の記事を見直しして、一日一つを公開していく計画だ。
gooに500以上の記事があるから、一年半ほどで完了させる計画だ。

 

せっかくだから、一行分かち書き(一文一行)をやめて、普通の散文にした。
一行分かち書きは、文のつながりが多少飛躍しても意味が解るという利点がある。
そのかわり段落が定かでなくなるという欠点がある。
それを補うために、写真を挿入していた。
しかし、散文にすると段落が明確になるので、写真の必要がなくなる。
したがって、写真無しの記事もある。
不必要な部分も、ざっくりと削ぎ落とした。
よろしければ、ご来場を!
★楽天ブログ「河内のオッサンのブログ」
https://plaza.rakuten.co.jp/ottusanlando/

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茶話182 / おいおい

2025年05月09日 | よもやま話

我が町会の地車(だんじり)が、富田林を代表して、今日9日からから11日まで万博の「大阪の祭り」に出演する。
本当は、今日、それに付いて行って、今頃はその記事を書いている予定だった。
しかし、前回書いた「爺の悲劇」に見舞われたので欠席にした。
万博会場には、ゆっくりと休憩できる場所が少ないそうだ。
痛みはだいぶん楽になったが、まだ軽く咳をするだけで痛みが背中を走る。
万博のガイドブックを買ったのに……。
背中に神経痛を抱えた人間が行ったのでは、みんなに迷惑をかけるだけだ。
新しいカメラを買ったのに……。
行ったところで、自分だって苦痛だし面白くない。

若いときだったら、「これくらいの痛みは酒を飲んだらなおるわい」という気概が有った。
今でも、そんな気概は有る。
しかし、体力が無いので、気概が長続きしなくなった。
すぐに、なよなよと萎れてしまう。
若い時だったら、日帰り温泉に入って、かぱっと生中を飲めば元に戻ったのに。
しかし、今は、そこに行きつくまでの体力がない。
老化で首の骨が劣化している。
そう聞くと、もはや充分に若くはないのだとしみじみと感じる。
 ◇
9時30分。
万博に出発する町会のバスが出る時間だ。
本来なら、それに乗っていたのに……。

おいおい、アカン! 
このまんま萎れていたのでは枯れてしまう。
そう思って整形外科へ。
医者に経過を報告してリハビリ室に。
まずは、狭まった首の骨の牽引。
次に、痛む背中を温熱で温める。
続いて、低周波で背中を刺激。
最後は、温水パッドでマッサージ。
ああ、なんとも気持ちがいい。
軽く咳をしたが痛くない。
こりゃ極楽、極楽、極楽温泉じゃわい!

気概なんぞ無くてよい!
老い老い老化と気楽にのんびり付き合えばよいのだ。

『風と陽差しと私』

風が ガラス戸を叩くので
中に入れてあげた
そしたら
陽射しまで入って来て 
三人で おしゃべり

おばあちゃん 独りで寂しくないかい?
風と陽射しが聞くから
人間 所詮は独りよ 
私は答えた

がんばらずに 気楽にいくのがいいのね
みんなで笑いあった 昼下がり
(柴田トヨさんの詩)

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茶話181 / 爺の悲劇

2025年05月08日 | よもやま話

玄関先に、鉢に植えたクサフジがきれいな花を咲かせている〈茶話137/藤の花〉。
どこにでも見かける雑草だが、クサフジの紫の花と、傍にあるオレンジのメダカと一緒に写真を撮れば、ブログの記事になりそうだ。
クサフジの鉢をメダカの水槽の前に持ってきてパチリ!
おお、こりゃ、いい写真が撮れたわい!
爺(じじい)が、一人で悦にいっている。

しかし、これが爺の悲劇の始まりだった。
爺の足下に、薩摩芋にカビが生えたのを干しているのが有った。
爺はその存在を忘れていたのだ。
爺が立ち上がって右足を一歩進めた所に有った薩摩芋を踏んでしまった。
芋はコロコロと前に転げる。
その上にある爺の右足も、どんどんと前に進む。
しかし、爺の上半身は後ろに取り残されたたままだ。
オイオイ! マテマテ! 
爺は、必然的に後ろに倒れてしまった。
ギャアッッッッ!
爺の左の背中に激痛が走る!
ウグッグッグッッッ!
息ができないほどの痛さでしばらく立ち上がれない。
爺の左側には、メダカの水槽を保護するためのコンクリートブロックが有ったのだ。

完全に左背中の肋骨を折ったのだと思った。
翌日、あちこちを踏ん張って、這う這うの体でベットから起き上がる。
じっとしている限りでは痛みは無いが、背中をよじったり、咳をすると激痛が走る。
開院の9時になるのを待って近くの整形外科に行った。
連休明けとあって、大勢の人がドアの傍まで立って待っている。
こんなの待っていたのでは身体がもたない。
帰ろうとした時に、以前に通っていた整形外科を思い出した。
幸いなことに、混んではいたが、リハビリ専門で回転が速いのか、空いている席があった。
背中の痛みと一緒に両肘も痛かったので、ついでに問診票に書いて受付を済ます。

1時間ほどして、名前を呼ばれて診察室に入る。
「玄関で転倒して背中を打ちました」と告げる。
後ろ向きに座り直すと、先生が背中の痛い所を指で探す。
「痛ッイッツ……そ、そこです!」
前向きに戻ると先生が首をかしげている。
患者の前で、医者が首をかしげた時はろくなことはない。
「最近、身長が低くなりました?」と訊いてくる。
「はい、2、3㎝ほど……?」
「レントゲン撮りましょか」
「は、はい?」
 ◇
レントゲン室に入る。
ベッドに寝て背中を撮るのかと思っていたら、起立した格好で首や肩のあたりを五枚撮られる……?。
ようやく最後にベッドに寝て背中を一枚。
なんかへんだ?
再び、待合室で待たされ、しばらくして名を呼ばれて診察室に入る。
最初に見せられたのは四方から撮った首の写真?
最後に背中の写真を一枚。
「背中の骨は異常無しですは!」
「はぁ?」
「原因はこいつですわ!」
首(頸)にある骨の出っ張りが幾つか写っていない?
「老化で首の骨が劣化して狭まってますわ。頸椎狭窄症やなあ!」
「はあっ?」

コンクリートブロックに背中をぶつけたのではなかった。
首から上半身のすべての部位に神経がつながっている。
その首の骨が劣化しているために、強い刺激を与えると神経を圧迫してしまう。
つまり、後ろに転げたときに首がムチ打ちのようになって神経を圧迫し、それがたまたま背中で爆発したのだ。
それを背中をぶつけて骨を折ったと勘違いしてしまった。
当然のことだが、ぶつけたのであれば、かすり傷や腫れがあるはずだが無い。
先生は、最初から首の骨が原因だと判断していたのだ!
両肘が痛いのも首の骨が原因だった。

痛み止めの注射を打ってもらって、薬をもらって帰った。
昼食を摂って、薬を飲んで小一時間ほどすると痛みが和らいできた。
今日は安静にしているしかない。
メダカの水槽の前に置いたままのクサフジ(草藤)の花を、痛くない姿勢をとって、ぼーっと眺める。
骨折ではなく、死ぬまで付き合わなければならない頸椎狭窄症とやらで、良かったのか悪かったのか……複雑な思いになる。
昔、藤の盆栽を買ったら、オカンが「藤は『不治』につながるから縁起が悪い」と捨ててしまったのを思い出した。
「いや! 『不治』ではなく『不死』なのだ」と、心の中で新ためてつぶやいた。
草藤の薄紫の花が、優しく風に揺れた。

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茶話180 / お引越し

2025年04月16日 | よもやま話

今までに三回、引っ越しをしている。
一回目は24歳の時で、兄が結婚するというので実家を離れた。
駅前にあるアパートで、憧れの独り暮らしが出来るというので嬉しかった。
ところが、二年ほどして父が亡くなり、母屋には祖母と母の女二人なので、不用心だから実家に戻ることになった。
独り暮らしを謳歌していたのに……ちょっと寂しい二回目の引っ越しだった。
三回目は今住んでいる家に引っ越した。
まだ結婚していなかったので、再びの独り暮らしで嬉しかった。

医療費の負担が3割から2割になる歳になって、次に引っ越すのはあの世に逝くときだと思っていたら、ひょんなことから引っ越しをするはめになった。
と言っても家を引っ越すのではない。
ブログの引っ越しだ。
gooブログが11月で閉鎖になる。
半年後だから、ゆっくりと考えようと思っている時に、gooより前にライブドアのブログを持っていることに気が付いた。
4年も前で、しかも更新もせずにいたから削除されているだろうと思っていたら、どっこいこらさで残っていた。
これもなにかの縁だとライブドアに引っ越すことにした。
  ◇
早速、gooから「引っ越しデータ」のダウンロード。
「込み合っています」の表示があったが、1分ほどで完了の知らせ。
早々に、ライブドアに引っ越しを開始。
「他からの引っ越し」ボタンをプチッとして、データを貼り付けるだけ。
後は勝手にやってくれる。
記事(テキスト)が2分ほどでアップロード完了すると、gooから勝手に画像を引っ張ってきてくれる。
さすがに画像データは大きいので20分ほどかかった。
ブログの引っ越しは大層な手間がかかるのだろうと思っていたら、なんのことない30分で終了した。
  ◇
というわけで、本来の引っ越しから言うと、今は二軒の家を持っていることになる。
検索にひっかかりやすいように表札(ブログタイトル)は「河内国喜志村覚書」にしている。
しばらくは二軒の家を行ったり来たりすることにしている。
なお、新居はこちらです。
お近くにお越しの節は是非お立ち寄りください。
https://kawatinokuni.doorblog.jp/

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茶話179 / 時間

2025年04月13日 | よもやま話

ちょっとした探し物があって、滅多に開けなくなっていた我が机の引き出しから、現役時代に使っていたストップウォッチを見つけた。
仕事を辞めたのは8年前の4月……、その前に買った物だから、まさか動いてはいまい。
そう思っていたら、どっこい生きていた。
さすがに15分遅れていたが、それで、逆に、見つけたストップウォッチが愛おしくなる。
暗い机の引き出しの中で、8年間も独りで静かに動いていたのだ。
今の自分は、8年前の自分から何分遅れて生きているのだろうか……?

今は、時間に追われる生活ではないから、何分遅れていようと別段支障はない。
当然、時計なんぞは必要ない。
だが、人と行動を共にしなければならないときは、迷惑をかけるので時計を持つようにしている。
安物の懐中時計、それに今回のストップウォッチが加わった。
      ◇
畑では時計を持たない。
お天道様が出ている時は、自分の影で時間を知る。
地面に映った影を「土圭(とけい)」という。
「圭」には影という意味がある。
この「とけい」に「時計」という漢字を当てたのは明治になってからだ。
  ◇
明治になって学校教育が始まった。
集団で生活する学校で、子どもたちは時計が刻む時間によって行動しなければならない。
以来、子どもたちは時間に追われるようになった。

新学期が始まり、初の子ども見守り隊に交差点になった。
見知った6年生がいなくなり、身体と同じ大きさくらいのランドセル背負った1年生が加わった。
信号機が変わりそうになったので、ちょこちょこと走って来る。
焦るな焦るな、君たちには時間がいっぱいあるのだから。
時間に追われるのではなく、時間の先を悠々と構えて進んでほしい。
日本の未来は君たちにかかっているのだから。

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